◎九分九厘から一厘の大逆転とは、個人が逆転して世界全体になること
2024年パリ五輪、スケートボードの男子ストリートで、堀米雄斗選手は、1%の可能性を最後まで信じて、最終の5回目の演技に成功し、2大会連続の金メダルを獲得した。
釈迦が成道できたことで英雄と呼ばれるのも、悟る可能性が1%もなくても可能性を最後まで信じて冥想修行に取り組んだから。
また古神道家ならこれを一厘の仕組という。一厘の仕組とは、世の立替の時に、99.9%滅亡のところから大逆転するメカニズムのこと。出口王仁三郎は、そのヒントは、古事記の仲哀天皇の帰神の段にあるという。
さらに冥想シーンで、九分九厘から一厘の大逆転とは、個人が逆転して世界全体あるいは神になること。
冥想シーンでのそれを、確率百分の一の無謀なギャンブルと見れば、常識的社会人や青少年はおいそれと取り組まないかに思える。
ところが、すべての人は、クンダリーニのエネルギー・コードが直接神とつながっているが、それに気がつくことを神人合一という。
さらに、古代インドのパタンジャリは、時間とは、〈現象〉〈現象〉〈現象〉とのべつ幕無しに進行しているわけでなく〈現象〉〈隙間〉〈現象〉〈隙間〉〈現象〉と進行しているが、
それを超スローモーションで見たパタンジャリが、有である〈現象〉の停止に気づき、実は時間とはリアルな現実ではなくデジタル動画であることを発見したのだ。
現象という動画は、無数の静止画と隙間によってできている。というのは、パタンジャリは、世界の現象を形成する無数の静止画(三種のグナ)が何も動かないで停止しているのを見たから。その時、パタンジャリは、すべての現実というドラマがデジタル動画つまり幻影で作られていることに気がついた。
この気づきこそが、大悟覚醒、入我我入、一厘の仕組である。このことは、確率1%だから取り組む、取り組まないという個人的好みの問題ではなく、すべての人にとって何のために生きているのかという共通の課題なのである。