◎古事記黄泉平坂の戦いの内容は現実化する
古事記で伊邪那岐命は、最終戦争・大峠である黄泉平坂の戦いの最後に、伊邪那岐命は、巨大な岩で道をふさぎ、岩を挟んで伊耶那美命は、一日千人取り殺すと言い、伊邪那岐命は、一日千五百人産むと言った。
ここは文字通り読むのではなく、全体で千五百人いるところ、その三分の二の千人が殺され、三分の一の五百人が生き残ると、シンボリックに読むのだろう。このように古事記でも、最終カタストロフィにおける人類生存率は三分の一と予言されている。
古事記は予言の書と言われ、出口王仁三郎は、終わりの時代に、上つ巻の内容はすべて現実化すると予言している。
人類の生き残りが三分の一ということを説くのは、ダンテス・ダイジ、ブルガリアの予言者ベラ・コチェフスカ、出口王仁三郎、そして古事記とあるが、ババジ予言は更に数字が厳しい。
出口王仁三郎の三分の一予言の出典は、大本神諭などで何回も出てくる。
以下引用文では、三分の一どころか二分だとも言っている。特に神国日本には、神国であるがゆえに厳しい。
『今の世界の人民は人生の本義を知らぬから、衣食住の物慾斗りに迷ふて、自分から肝心の人格を殺して居るものが七分あるから、艮の金神が明治二十五年から、世界の人民は今に三分に成ると申して置いたが、此の神の申た通り、今の人民は人民としての資格が亡びて了ふて、誠の生命人格を保つものは、世界中平均して二分も面倒いぞよ。』
(雑誌神霊界 大正8年3月15日号 神諭から引用)
2025年は、地震や天変地異、核戦争などの懸念をする人もいるが、大難を小難に変えるのは、自分が日々冥想して神仏を知ることである。
いつ災難が襲うか事前に知って、自分だけ助かろうというのでは、如何なものか。非常持ち出し袋の準備も大事だが、まず善を行い悪を行わず、冥想が大事。
今年一年を占ってタロットカードを引いてみた。審判と隠者。神意・天意と冥想ということか。