◎霊能力、超能力志向の冥想修行は、時代遅れ
七つの身体論と輪廻転生は切っても切れない関係がある。その辺縁にチャネリングという技術もある。
チャネリングとは、自分のボディに他神霊を感合させて、当該他神霊の言葉をわが身が語るという技術。チャネラーとは霊媒とも云う。出口王仁三郎は、身辺に長命の優秀な霊媒がいたのにこんなことを言っている、
『【霊媒】
霊媒などになる人を、身魂が磨けて居るから霊覚がある、などと思うて居る人がだいぶんあるやうであるが、決してさうでは無い、意志が弱いから、霊に左右せらるるのである。霊の方では使ひやすいから使ふので、かうした人間には大した仕事は出来無い、確かりして居て、しかも霊覚があると云ふやうな偉人は、滅多に出るものではない。
大抵意志薄弱で、一生涯憑霊に支配されて、真の自我と云ふものの確立がない、情ない状態で終つて仕舞ふのである。霊媒になるやうな人は、一寸人がよいやうで、さうしてどこかにぬけた所がある。しまひには悪い事を仕出かし勝である。命も短いものである。』
(月鏡/ 出口王仁三郎から引用)
さらに、
『【霊媒は短命】
霊媒の物理的現象を起す精力素(エクトプラズム)は精液の変形したるものである。そして外気にふるれば九分迄は汚れて其の精気を失ふものであるから、再び身体にかへつても駄目である。ああした実験を度々やるのはよくない、生命が短くなる。私は皆一通りやつたが、この原理が分つたからやめたのだ。』
(月鏡/ 出口王仁三郎から引用)
チャネリングの話ではないが、霊能の得方について大本教で鎮魂帰神に邁進していた若き谷口雅春が霊能の得方には2種あると述べている。
彼は肉体をコップとし、霊を水とする。水(霊)の分量がコップ(肉体)より過剰となれば、水が外に流れ出すから霊能力が発現する。また逆に水(霊)の量が変わらなくてコップ(肉体)の大きさが小さくなれば、水は外に流れ出す場合も霊能力の発現。
これは神懸、憑依等の話なのでアストラル体以上の説明だろうと思うが、霊の方が充実し過ぎて溢れ出すようになった出口ナオのようなケースが前者であり、肉体が衰弱してコップの容量が小さくなったので霊が外に発現するのが後者。後者は、よく内臓が弱いと霊能力があることがあると言われる巷説を裏付ける。(参考:雑誌神霊界93号(大正8年9月)の大本霊学座話)
以上を踏まえるとチャネリングでの、いわゆる霊とは、エーテル体、アストラル体、メンタル体から、時に第六身体アートマン(大神)まである。
エクトプラズムは、エーテル体レベル。一口に霊をボディに引き入れる、感じ取るといってもレベルの差は相当にある。
ただしチャネリングとしては最高レベルの、大神の言葉を伝えるチャネリングであっても、チャネラー本人は何を伝えたか全くわからないという事がある。チャネリングは、それが限界なのだろう。
霊能力、超能力志向の冥想修行は、時代遅れのものとなって久しい。