◎だが、おまえもおれなのだ。
(2015-09-19)
今日も外国人観光客の人気ナンバーワンの観光スポットは、ホワイト・フォックスの伏見稲荷でござる。
そこで、ダンテス・ダイジのホワイト・フォックスの詩。
愛も愛情も不安な灰色と化したこの現代に、まだ大金を儲けようという考えから抜け出せない人は、ダンテス・ダイジの歓迎する客ではない。しかしそんな我利我利亡者も彼の一部である。そうした見方は彼のやさしさではあるが、ろくでもない影響を時代に与え続けているという一側面もある・・・・・ダンテスの悪影響。
『ホワイト・フォックス
ホワイト・フォックス。
おれは、長いこと、
おまえを嫌っていたらしい。
女の汚れの中の女。
何一つ見ることのないホワイト・フォックス。
おまえの頭は打算だけだ。
フォックス———
だが、
おまえもおれなのだ。
666の
黒光りしたクンダリニーとともに
今、
おれはホワイト・フォックスをも飲む・・・
白狐。
所詮、おまえの神通力も、
愛の代用品に過ぎない。
そして、
いかなる愛も愛情も不安な灰色と化した時、
ホワイト・フォックス
おまえに一体、
何ができよう。
快適で豊富なる暮らしの神。
聖なるマンモン。
白狐。
もう、
おれは、
おまえについて、
どんな判断もしやしない!』
(ダンテス・ダイジ/老子狂言からの引用。)