◎心理・意識から現実へ
無と空は同義だと言っておきながら、無には、ポジティブ面とネガティブ面があると述べた。ところが冥想修行者にとっては、重要なポイントが語られていない。どこまでが心理あるいは意識状態で、どこからが現実かということ。これは、ズバリ個人が宇宙全体に逆転するのはどのポイントかということにからんでいる。
タロットでも易でも西洋占星術でもよいが、どんな占いでも、心を何も映っていない鏡にするのは基本。何も映っていない鏡に占う対象を映じさせるのが占いだが、心を何も映っていない鏡にした後に何かが起こる。
何も映っていない鏡は、無であって、ダンテス・ダイジなら石ころの心だが、そこから豊かに満ち満ちてあふれ出すとは、そこに心理・意識から現実への転換が起きているということ。
この点について、覚者たちは逆転や変身と言うことはあるが、気がつくだけという言い方もする。ところがこのポイントは、意識の絶対的な極限状況であって、釈迦やクリシュナムルティや空海が見た明星の直前ポイントなのだろうと思う。
OSHOバグワンにしてもダンテス・ダイジにしても、何も予備知識もいささかの体験もない人にこれを説明しても有害無益なので、ここは多くは説明していない。ジャンプアウトがあるからである。
平たくいえば、OSHOバグワンのいう無のネガティブ面は心理・意識であって、ポジティブ面は、窮極を経た先にある現実なのだ。
また無心を「なにもかもなし」と同じと単純に見ることもできない。