モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

サタンの誘惑

2021-09-13 06:18:10 | 福音について
どうすればサタンを追い出すことができますか?


何も悩みがなく、問題もなく、平穏なとき、祈る回数は確実に減ります。
主に助けを求める必要がないからです。

問題が立ちはだかり、心が悩んで、不安に襲われるとき、熱心に祈ります。

サタンの誘惑を感じると、主を思い起こして助けを求めます。
その状況は決して好ましものではありませんが、サタンの誘惑がなければ
熱心な祈りは減って、さらには主を忘れてしまうかもしれません。
そうしてみれば「サタンの存在は必要なのかな」と思ったりすることもあります。

サタンが存在せず、試練もなく、戦う必要も、忍耐も必要なければ、
成長の機会が失われるかもしれません。

福千年になると、サタンは縛られ、世界に完全な平和がもたらされるそうです。
もちろんそのような世界にあこがれますが、
わたしはそのような世界では成長できない人間かもしれません。


ところで、サタンを追い出す方法でしたね。

サタンの誘惑を無視すれば、サタンは力を振るうことができません。
誘惑に反応してしまうのは、そこに心が向いてしまうからのようです。

ポルノグラフィを見て嫌悪感があるなら、それは誘惑の材料にはなり得ません。
興味を惹かれてしまうので、誘惑となり得ます。

心の内が御霊に満たされるなら、サタンの誘惑の入り込む余地はありません。
逆にサタンの思いで心が満たされるなら、御霊の入る余地は無くなってしまいます。

理屈では簡単なのですけどね。
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サタンの業

2021-09-13 05:50:03 | モルモン書
「彼らの計画と陰謀を知…ることによって…防備を固め」アルマ2:21


「ミイラ取りがミイラになる」ということわざがあります。
古代、ミイラから取れるミイラ油が万能薬として珍重されました。
この貴重な薬を求めてミイラを探す人々(ミイラ取り)がありました。

ミイラを探すための砂漠の中の旅は過酷なものでした。
途中で行き倒れになり、ミイラのように干からびてしまった人もあったことから、
このことわざが生まれたそうです。


主を信じるある人がサタンに立ち向かうためにサタンの業の研究を始めました。
学ぶほどに多くの興味深い発見がありました。
彼はいつしかその研究にのめり込み、ついには主を見失ってしまいました。
サタンに目を向けたために、主から目を逸らしてしまったのです。

このお話は‟主から目を逸らすことの危険性”を警告しています。
サタンは巧妙で狡猾です。
主から目を逸らし、その目を自分に向けてくれるなら、
サタンにとって願ってもないチャンスであるかもしれません。


福音では‟主の業への証を強めることによって、
サタンの業を見分けることができる”と教えています。
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