モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

主の見方、永遠の観点

2021-09-20 06:24:57 | 福音について
主の見方、永遠の観点に立つためにはどうすればいいですか?


幼い子どもは昨日のことを覚えていません。
明日どころか、一時間先のことも考えていないと思いまます。
その時、その瞬間のことしか見ていません。

成長するにつれ次第に、昨日、今日、明日の関係を理解できるようになって、
昨日の経験を今日に活かし、明日のために今日を生きるようになります。


この世的に生きる人は生まれる前のことに興味がありません。
死んだ後のことなど気にもしないかもしれません。
この世に存在する間のことしか見ていないからです。

この世に生まれる前に自分という存在はあったのだろうか。
死んだ後はどうなるのだろうか。
それを考えるのは‟永遠の観点”を持つきっかけとなります。

前世で霊として存在し、この世でその霊が肉体に宿り、
後の世でも同じ霊が存在すると知れば、自分の霊(心)に目を向けるようになります。
それが‟主の見方”を知るきっかけとなります。

「人は外の顔形を見、主は心を見る」サムエル上16:7
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困ったときの…

2021-09-20 06:12:38 | モルモン書
「自分たちの…行いのために神の裁きが下されたと思い…義務を思い起こした」アルマ4:3


これまでに何度もこう祈りました。
「祝福によって主を思い起こせるように助けてください」

平安があると主に頼ることをしなくなり、
試練のときにやっと主に頼ることのできる自分にちょっとがっかりします。

「祝福によって主を思い起こすことができれば、試練が少しは減るかな」
という下心もあります w

‟困ったときの神頼み”と言いますが、どうして困ったときだけなのでしょうか。


何も問題がなく、悩むこともなく、平穏であれば、祈りもそれなりのものになります。
主に従うことも「このくらいでいいかな」くらいの気持ちです。

大きな問題にぶつかり、苦悩し、怯えを感じているときにの祈りは真剣です。
そこから逃れるためであれば、思いつくことは何でも試すほどです。

「いつもこのくらい真剣であればもっと祝福を得られるだろうに」と思います。

試練がなければ真剣になれない
これって、どうにかならないものでしょうか。
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