モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

家庭

2021-09-24 06:07:09 | 総大会
主はなぜ…家庭を福音…の中心にしたいと思われたのでしょうか。パンデミック…はいずれ終わります。しかし…家庭を最も重要な信仰の聖所にするという決意は決して終わりません。
(わたしたちが学んで忘れないこと ネルソン大管長)


わたしたちは家庭から神について学ぶことができます。
親として子供を愛するときに、‟神の愛”への理解が深まります。
親子の関係から、‟神と人との関係”を学ぶことができます。
神が家族という単位を設けたのは、‟神の思いを理解する”ためではないのでしょうか。


教会は主の福音(愛と平和)を学び、訓練を受けるためにあります。
それを実践する場所は家庭です。

家庭に愛と平和があれば、そこはシオンです。
それぞれの家庭に愛と平和があれば、その集まりはシオンです。
すべての家庭に愛と平和があれば、この世には愛と平和が溢れているはずです。
この世に戦争や争いは存在できません。
(と誰かが言っていました)
それは真実だと思います。

家庭に争いが絶えないとします。
どのようにしてシオンを築くことができるでしょうか。
世の中に争いと犯罪が溢れているとすれば、それは家庭内の争いや罪が原因です。
(これも誰かが言っていました)


愛と平和のある家庭を築くこと以外にこの世に平和をもたらす方法はあるでしょうか。
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教会内の問題

2021-09-24 05:59:07 | モルモン書
「教会員の悪事は…つまずきの石となり…教会の発展が鈍り始めた」アルマ4:10


教会の発展に陰りが見えるとしたら、それは教会内に問題があるからかもしれません。
それを指摘されると、耳をふさぎたくなる人もあるでしょうね。
心に突き刺さるからです。
かく言うわたしもその一人です。

それを認めようとせず、悔い改めることもなく、
非難の声が上がることさえあるかもしれません。
行動にまで至らなくても、心の内に苦々しく思うことでしょう。


それを指摘する声を聞かないのはなぜでしょうか。

わたしは他人から自分の問題を指摘されることが大嫌いです。
高慢だからです。
分かっていても嫌いであることに変わりはありません。

感謝していることは、周りの人々がこれまで‟その問題に気づきながら、
指摘せず、自分で気づくまで忍耐してくれた”ことです。
わたしの性格からすると、周りからそれを指摘されたら、
ここにいることに耐えられなくなっていたでしょうね。

主は人が自分でそのことに気付くために、試練も含めて色々な経験が与えます。
後にそのことに気付いたときには感謝しきりです。


たぶん、今もまわりの皆さんはわたしに耐えてくださっているのだと思います。
申し訳ない気持ちもありますが、同時に感謝しています。

それに甘えてはいけないですね。
耳をふさぐことなく、素直に受け入れる、それを‟へりくだる心”と言います。
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