モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

心を清める

2021-09-10 06:19:01 | 福音について
どうすれば心を清めることができますか?


罪とは何でしょうか?
‟法を犯すこと” 世の中一般的にはそう解釈されます。
‟倫理に反すること” 良心を大切にするならそう考えるでしょうね。
‟キリストを信じないこと” 教会でいわれる罪です。
‟御霊に従わないこと” 教会外から見れば意味不明かもしれません。

法を犯さないのはよいことです。
倫理に従うのはそれに勝ります。
キリストを信じて従うように努力するならどうでしょうか。
御霊に従うのはさらによいことだと思います。

法を犯さないのは、罰に対する恐れからくるものかもしれません。
倫理に従うのは、清くありたいという望みがあるからではないでしょうか。
キリストを信じて従うためには、さらなる望みが必要です。
御霊を受けて従うには、それにふさわしい心と思いが求められます。


このステップを上るには何が必要でしょうか。
‟心の清さを求める望み”であるように思います。
言い換えれば、このステップを昇る毎に心は清められて行くのかもしれません。

わたしたちはそのために福音を学び、それに従って生きるよう努めています。
コメント

罰を恐れて

2021-09-10 06:07:46 | モルモン書
「法律に背いた者…は…処罰されたので、彼らは…公然と…悪事を行おうとはしなかった」アルマ1:33


罰を恐れると‟法に触れないように”するにはどうすればよいかと考えるようです。
その中には‟法に触れなければ問題ない”と考える人もあります。

さらには‟法の抜け道を探す”かもしれません。
それは大抵‟悪”のようです。

「公然と悪事を行おうとしなかった」とは、
隠れてそれを行ったと解釈することもできそうです。

表面上は穏やかであったかもしれませんが、その心の内はどうだったのでしょうか。
罰を恐れるとはそういうことにつながるかもしれません。


‟安息日にしていい事としてはいけない事”を仕分けしようとすることがあります。
もしかすると‟罰を恐れて、戒めに触れないようにどうすれば”
という思いがあるかもしれません。

そのようなとき、こう質問します。
「安息日は何のためにありますか。
その目的のためにあなたは何をしたいですか。」

主の御心は何でしょうか?
コメント