モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

覚えているか

2021-09-28 05:30:20 | モルモン書
「あなた方は…覚えているか」アルマ5:6


何を信じればいいのか
自分はどのように生きればいいのか
何のために生きているのか
そんな思いを持ったことはありませんか。

福音に出会ったとき
主の教えに希望を見出したとき
それに従って生きると決めたとき
そのとき何を感じましたか。

悔い改めて生まれ変わると誓ったこと
バプテスマの水に入ったこと
祈りに涙が溢れたこと
その気持ちを忘れることができますか。

そのとき御霊がありました
確信に心は満たされました
心に証が刻まれました
覚えていますか。
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先へ進む

2021-09-27 05:55:38 | 福音について
教会で霊的な時間を過ごすだけでは不足ですか?


霊的な時間を過ごすことは大切です。
禅などで知られる‟瞑想の時間”と同様に良いものです。
それで満足できるのであれば、それはそれでよいことだと思います。


今以上のものを求めている人にお勧めします。
目的と求める思いを持てば、さらに先へ進むことができます。

何のために教会へ集いますか
福音を学ぶ目的は何ですか
何を目指して歩みますか

それについて深く考えるとき、御霊の導きを受けることができます。
御霊の導きを受け入れるなら、そこは‟静かな時間以上のもの”になると思います。
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純粋な証

2021-09-27 05:48:38 | モルモン書
「純粋な証をもって責めるほかに、人々を改心させる方法はない」アルマ4:19


純粋な証とは‟御霊によって与えられるままに語られる言葉”だと思います。


「モルモン書に記されていることは真実です」
わたしと預言者がそれぞれに語ったとします。
言葉は同じであり、意味も同じであったとしても、その力強さが異なるのはなぜでしょうか。

御霊から受けている証、心に蓄えられた証、その違いによるものだと思います。
それは‟十人の乙女のたとえ話に出てくる油”のようなものかもしれません。


聞いた言葉の受け売りにバックボーンはあるでしょうか。
自分自身で深く考えた上でたどり着いた答えには力があります。
自らの思いに御霊からの確信が与えられるなら、それはさらに力強いものとなります。
口から出る言葉が御霊と一致するなら、
それは純粋な証であり、天使の言葉といえるのではないでしょうか。
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さらに注意深く

2021-09-26 06:17:38 | わたしに従って…
すでに交わした…聖約をどのようにして…さらに注意深く守ることができるでしょうか
(わたしに従ってきなさい 9月26日)


神主さんが行うお祓いの儀式に参加したことがあります。
その場に参加するほとんどの人はそこで行われていることの意味を知りません。
(もちろん、わたしも)
深く考えることもなく、ただ‟そこに座って神妙にして”いればいいのです。


大変失礼な言い方で申し訳ないのですが、
それと同様の感覚で、教会で静かに座り、神妙に聖餐を取り、話されることを聞いて… 
という人もあります。

「バプテスマを受けて、毎週聖餐を受けていれば祝福があるはず…」
それを否定するつもりはありませんが。


主の御名を受けるとはどういう意味ですか
いつも主を覚えるとは
戒めを守るとは
それを天父に証明するために何をしていますか?」

この質問は主の道を歩み続けるために必要です。
「来てごらんなさい」という主の招きを受け入れるすべての人は歩みを進めます。
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神の言葉によって

2021-09-26 06:09:05 | モルモン書
「人々の中にあるあらゆる高慢と悪巧みと争いを、神の言葉によって取り除く」アルマ4:19


そんなことができるのでしょうか。

神の言葉は良心に働きかけます。
良心を拒むならその力は及びません。

神の言葉には御霊の証が伴うので力があります。
御霊を受け入れないならその証も受け入れません。

‟高慢と悪巧みと争いを神の言葉によって取り除く”ことのできるのは、
良心に従う心があって、御霊の証を受け入れる人だけかもしれません。

そのような人にとって、‟神の言葉”は確かに力のあるものだと思います。
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