珊瑚の時々お絵かき日記

夫と二人暮らし、コロナ自粛するうちに気がついたら中国ドラマのファンになっていました。

あるじ失せ 咲き誇るかな チューリップ

2009年05月13日 | 日々のこと
あるじ失せ 咲き誇るかな チューリップ

先日我が家への帰り道、車から、一軒の家の庭に真っ赤なチューリップが咲いているのが見えた。
それは結構意外な光景で、作ったことも無い俳句、いや俳句モドキが一句浮かんでしまった。
この季節、チューリップの咲く光景がなぜ意外かというと、最近までそこは、住宅街のなかのゴミの山だったからだ。

その家は、ここ数年家の軒下から庭まで崩れたダンボールや束ねた新聞紙、空き缶や空き瓶、膨らんだり潰れたりしたゴミ袋、その他いろいろなゴミが無造作に投げ捨てられていて、ゴミ屋敷へまっしぐらの状態だった。
道路から玄関前まではまさにゴミの中の獣道だった。
よくある、お年寄りが外から持ち帰ったゴミを溜めている感じではなくて、ゴミの日に出し忘れたゴミを放置していたら山になってしまったという感じだった。
チューリップは、そのゴミの山の下で息を潜めていたのかも知れない。

それが今はきれいに片付いていて、ゴミの山はなくなっている。
表札ははずされ、人が住んでいる様子もない。
どうやらその家は持ち主が替わったらしい。
その家の元主がどうなったかは知らないが、近隣のお宅はほっとしたことだろう。

そして真っ赤なチューリップが咲いて風に揺れているというわけだ。
10本ほどだが、ゴミの下で球根を太らせていたのだろう、大きくて立派なチューリップだ。
元主が去ったことを一番喜んでいるのは、もしかしたらこのチューリップたちかもしれない。

この家に何があったのかはわからない。
数年前まではごく普通に見えた。
それが少しずつ荒廃して行ったのだ。
あのままだったら、あと2.3年で立派なゴミ屋敷になっていただろう。

その家にまだ住人はいない。
不動産屋が買ったものの売れないのだろうか。
それとも新しい家族の引越しを待っているのだろうか。
無人のままなら、また別な意味で荒れていくだろう。

来年もここでチューリップが見られるといいのだけれど。

なんていっているけれど、我が家の庭も結構荒れているのよね。