家に入った途端に携帯が鳴った。
母の病院からだった。
「一日一日と悪くなっています。そう長くはないと思います」
先生のその言葉を、聞く前にわかっていたような気がした。
電話を受けた時、母に会いに病院へ行って帰って来たところだったのだ。
眠っているようだった母の目が、ここ何日か開いている。
見ているという開き方ではなくて、瞼を閉じる機能がなくなったかのようだ。
父の最後の頃がそうだった。
父はまだ59歳だったから、生命力が強かったのだろう。
その状態が何日も続いた。
母が、目が乾いて辛いだろうと言って、瞼を閉じてあげても自然に開いてしまう。
その目を見ているのが辛いと言って、母が開いた目の上にガーゼを載せて塞いでいた。
そのことを思い出していた。
私も母の目を塞いであげようかと思ったけれど、
顔に布を被せることに躊躇があって、できなかった。
呼吸も荒い。 とても辛そうだ。
肺がふさがったのだろうか。
「かあさん」、何度か呼びかけてみる。
もちろん、反応はない。
はぁはぁという息遣いを聞いているのも辛い。
「もう少しだよ、頑張って」
思わずその言葉が出た。
でも、何がもう少しなのか?何を頑張るのか?
自分で言っておいて、わけがわからない。
本当は言いたい。
「頑張らなくていい、もう楽になって」
「これはというときになったら、夜中でもご連絡しますか?」
先生がそう訊かれたのは、我が家から病院まで1時間近くかかるとご存じだからだ。
連絡しても間に合わないかも知れませんよ、という意味を含んでいるのだと思う。
それでも、「そうしてください」とお願いして、電話をおいた。
何をどう頑張るのか・・・複雑ですが
それでも、頑張ってください
母が19日になくなりまして、ごたごたしていたもので、遅くなってしまいました。
ご心配いただいてありがとうございました。
そのうち、記事でご報告したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
更新がないので心配しておりました。
コメント欄を開けさせていただいて
悲しいお知らせに驚いています。
ご冥福をお祈りいたします。
なにかとお忙しい毎日だと思います
珊瑚さんもお体に気を付けてお過ごしください
返信は気になさらないでくださいね。
年齢も年齢ですし、母を失った悲しみとは別に、ホッとしたところも大きいです。
それにしても、煩雑な手続きに右往左往していて、
一人の人が死ぬということは大変なことなのだと実感しています。
思いがけなく、息子や弟のお嫁さんとの親しみがぐっと深くなったのは、嬉しいことでした。
母の置き土産のような気がします。