もう、この絵と題名だけで、特に先週2月26日、新国立劇場のオペラ「椿姫」を観た方は
「ああー・・・ねえ・・・」
と、力なく呟かれるかもしれませんね。
音楽家は音楽の才能さえあればなれる職業です。
しかしながら、中村紘子様が言いきるように「容姿も実力」ということは避けられない事実。
勿論、一般的に言う「例外」はあるものですが、超絶技巧の某ピアニストや、ただのおばさんでコンテストに出て話題になった歌手など、センセーショナルなストーリーがまつわった場合はその限りにありません。
だがしかし。
「容姿が実力」と何のためらいもなく言いきれる音楽のジャンル、それがオペラ。
よくある話なのですが、身体ができていないと声ができないと言われる歌手には、
小山のように太っている人が多々います。
特にワグナーの4時間もかかるような楽劇になると、マラソン並みの体力が必要ではないか、
と思われるほどのハードさなので、特にドイツの、ワグナーばかりやっている歌劇団の歌手は
軒並み物凄いどすこい体型です。
しかし、皆がそんな体型なので、最後になって指揮者が舞台に上がり、
みんなに囲まれてその縮小サイズであるのを見て
「ああ、そうだったのか」と納得します。
つまり、今ここにいる人たちを「神のような美男美女である」と翻訳しながら観る作業を
暗黙のうちにしているわけです。
しかし、一般的にもすらりとした美貌の歌手がやはりもてはやされるのは事実。
だって、例えばベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」。
まるでベルサイユのばら並みに「男装の麗人」が活躍するのですが、ここに小太りのおばちゃんが出てきた日には、
いくらうまくても舞台を見るたびに「翻訳」しなくてはいけないという作業が、非常に辛い。
(という公演を一度観ました)
結核で死んでしまうこの椿姫のヴィオレッタや、「ラ・ボエーム」のミミの役が丸ゝと太っているのも
何かと感興を殺ぐものです。
で、先日、新宿の新国立劇場オペラです。
「こんなアルフレードはいやだ!」というアルフレードだったんですねー、この日の主役は。
少しこの日のオペラについて解説いたしますと、オペラ鑑賞という非常に料金的に敷居の高い芸術を、
日本でももっと気軽に楽しむ、という偉大な使命を帯びて企画された新国立劇場の定期公演です。
シーズン通し券などでハコ売りし、コーラスや脇役は全て二期会の邦人歌手を使うことで、
チケットの低価格化を実現しています。
しかし、主役、主役級、だいたい三人は、海外の中堅どころを呼んできて「特別感」を出しています。
全員二期会なら「二期会公演」になってしまい、おそらくこれだけの人は呼べないでしょうから、
このシステムはオペラファンと、日本人オペラ歌手にとってもよくできていると言えましょう。
この日のヴィオレッタは、がりがりに痩せた、赤毛の美人で、
この「華やかだが裏社会に生きてきた高級娼婦(ドミモンド=半世界の意味)の崩れた雰囲気が実にぴったり、
そして、先日のNHKホールの代打、代打の代打歌手などより、ずっとテクニックもあるようで、
なによりヒステリックで不安定な前半のビオレッタを実にシリアスに表現できていて、
観客も彼女のアリアと彼女にはいたく満足し、アリアの後の拍手も惜しみないものでした。
ところがアルフレード。
最初、乾杯の歌に繋がる群衆シーンからこのオペラは始まるのですが、何処にいるのだかわからないわけですよ。
それもそのはず、「外タレ」を呼んでくるはずのこの主役に今回抜擢されたのはなんと韓国人。
ミラノスカラ座で、何のサービスのつもりか、チョイ役ですが中国人と韓国人が配役されていたのを「要らないって・・・」
と苦々しく思ったところの「オペラ・レイシスト」エリス中尉です。
誰が何と言おうと、オペラに東洋人は要らん!特に男は要らん!
日本公演だから日本人を使うならまだしも我慢するけど、「チャン」も「リー」もお断りだあ!
オペラは耳だけではない、観て「なんぼ」の芸術、
どうでもいいところで「翻訳」しなくてはいけない歌手は使わんでくれ、と、心から願うものの一人です。
いや、全員が日本人なら、いやたとえ日本人でなくても、全員が東洋人ならいいんですよ。
せめてコーラス隊だけ日本人、というのなら、まだ我慢しましょう。
しかし、アルフレードに韓国人を使うのはやめてくれ。
しかも。彼が主役だとわかったときの感想。
「うそ、このこまわり君がアルフレード・・・・・」
このこまわり君を三時間美男に翻訳するのか・・、とげんなりしつつオペラは進んでいきます。
最初こまわり君に見えていたこの歌手、しばらく経つと
「うーん、誰かに似ている」
・・・・・はっ。キム・ジョンイル?
そう言えばこの歌手もキムだ。
うわあ、金正日のアルフレードかあ。そう言えば体型もそっくりだわ。
まあ、北朝鮮国民にしたらあれがハンサムらしいけど。
キムくんの名誉のために言っておくと、決してこのアルフレード、ヘタではありませんでした。
軽やかなテノールで、高音がやや不安定のきらいはあったものの、おぼっちゃまで打たれ弱いこの青年の苦悩は、
よく表現することができていたのではないか、と言っていいかと思います。
でも、ダメ。
特にビオレッタとのラブシーンで、実際にしているのかどうか分かりませんがキスするところなど
「いやだー」
と見てはいけないものを見るような気がしてついつい目をそらしてしまうんです。
ビオレッタ役の歌手も、心なしかその瞬間だけは「引いて」いたように見えました。
一〇一回目のプロポーズで、浅野さんが武田さんとのキスシーンを「死んでも厭だ」と言ったためそれは無くなった、
という話がふと脳裏をよぎったりしました。(失礼だなあ)
ただ、現実的にみれば、たとえ金正日そっくりの男性でも、美女と恋愛するなどということはあり得るわけですし、
(現実の金正日ならなおさらのこと?)
このおぼっちゃまがこういう容姿で、今まで「もてない君」だったからこそ、こういう女性に入れあげ、
女性も容姿などという「うたかた」のものよりその誠実さを愛したのだ、という
深い深いストーリーを加味すれば、何の不思議もない椿姫です。
それに、このキム君、なかなか愛嬌のある奴で、カーテンコールの時のお茶目な仕草は、
「きっといい奴なんだろうなー、三枚目で」
と思わせ、非常に人間としての好感を持ったのですが。
でも、やっぱりオペラっていうのはそういうリアルな映画とは違うからねえ。
カーテンコールの時に隣りのカップルが
「もう少し痩せてた方がいいかもねえ・・・・・」
と呟いたのを(=_=)こんな顔でうなずきながら聞いていたエリス中尉です。
新国立劇場の企画の方、これを見ていたら配役に次回からはもう少し
「オペラらしい夢のあるキャスティングを」
と心からお願いする次第です。
それにしても、ヴィオレッタ役の歌手、カーテンコールの瞬間、それまでの退廃的なけんのある表情が豹変し、
いきなりかわいらしい健康的な顔になったのには驚きました。
どうやらビオレッタを憑依させていたようです。