ツアーの出ていた案内所でこんな地図を買いました。
裏が昔の海軍時代の地図になっています。
軍港めぐりツアーの航路は赤の点線で記されており、
ちゃんとジョージ・ワシントンの停泊位置もわかるように
記載されています。
これを見てお分かりのように、ツアーは
{吾妻島」という島の周りを廻って帰ってきます。
その吾妻島が左手に見えてきたところ。
なんだか寂れているようなアヤシイ雰囲気。
ガイドさんの説明によると、
「旧軍時代は燃料や火薬の貯蔵庫があったが、戦後
米軍に接収されて以後、共同管理地に戻ってもここで
何がされているかは明らかにされていない」
ひみつの武器弾薬貯蔵島ってことですか。
この島が米軍に接収されたのはなんと昭和20年の9月2日。
占領を始めるなり「大慌て」でここを抑えたようですね。
まあそれも燃料弾薬が貯蔵されているとあっては当然か。
その後、在日米軍と日本の共同管理下に置かれてはいますが、
何人たりとも一般人の立ち入りは禁止です。
ここでいったい米軍は何をやっていたのだろう。
島、といいますが。
実はこの吾妻島、人工島なのです。
造ったのは海軍。
メイドバイジャパニーズインペリアルネイビー。
弾薬貯蔵をするために箱崎半島と言われた岬の根元を堀削して
隔離のための島をつくってしまったんですね。豪快だ。
この水路を造るのも爆薬を利用して豪快にやったらしく、
海軍の技術力の高さが表れているという話でした。
何と1899年(明治22年)のことでございます。
人工の水路ですから、深さはあまりなく、
ジョージワシントンは勿論のこと、大きな船は航行できません。
従って、小型の艦船が「近道」に利用する水路となっています。
実は海軍には、横須賀の「夏島」という島の周りを埋め立てて
これとは逆に陸続きにしてしまったという前科?もあります。
もともと陸軍の土地で、陸軍軍人の別荘もあったそうなのですが、
海軍はここを手に入れ、そうやってここに飛行場を造りました。
それが「追浜飛行場」です。
前回お伝えした「日産」「住友重機」の工場がその跡にあたります。
水路を掘削したことでこの島は隔離され、
弾薬、燃料、武器を貯蔵するだけでなく
それらを調整したり開発する「秘密基地」にもなりました。
勿論現在もです。
現在は、在日米海軍補給センターの管理下で、
航空燃料・艦船燃料等の貯蔵・補給を行う貯油施設で、
吾妻島全域と堀割水路を隔てた旧田浦送油施設地区からなっています。
周辺水域は横須賀海軍施設水域の一部で常時立入禁止。
施設には吾妻島に37基の提供タンクがあり、
貯油能力は約397,000klといわれています。
燃料の貯蔵は、海上のブイまたは接岸により、
タンカーからタンクに送油される仕組みです。
燃料は、はしけ等を利用して米軍艦船に供給されているほか、
旧田浦送油施設地区に送油され、
その後タンクローリー車等により各施設に輸送されているのです。
ところで写真の二個一の酸素ボンベみたいなのは何かわかりません。
消火器のように見えなくもないですが・・。
建物は日本軍の頃からのものかもしれませんね。
これも何かわからないけど、燃料を移すための
特殊な素材の巨大なホースではないか?と予想してみる。
「全然ちげーよ」
という確信がおありの方、もし何かご存知でしたら
教えてください。
何か手がかりになりそうな文字が見えたので写真を撮ったのに、
前の人の頭で隠れてしまいました。残念。
水路を移動しているときに撮ったものです。
と言うことは、この何本もある細いパイプが、
水路の下を通っている燃料用のパイプ?
この水路を通る前に、肉眼では全く見えなかったのですが、
何か書いてあるらしいゲートを発見。
とりあえず撮って、拡大してみました。
「魚雷・水雷」「機雷」
横須賀施設
なんですって~!
mine、というのは地雷のことも指しますが、
ここが海軍施設であることで「機雷」だと理解しました。
そんなものも作っているのか。
それとも作っていたのか。
あるいは単に「調整する」だけなのか。
このゲートが字もかすれるほど古くて、
とても現在使われているように見えないのと、
さらによく見るといたるところに鉄条網があり、
立ち入り禁止になっているっぽいのが謎です。
現在、グーグルアースではここを見ることはできませんが、
別に公開していないというわけではなく、ウィキペディアの
「吾妻島」のページからは、ここの航空図を見ることができます。
吾妻島航空写真
これを見ていただくと、島の何か所かに燃料のタンクがあり、
それらが島を斜めに横切る道路の一方にあるとしたら、
この「水雷、機雷施設」はその反対側の島の端に位置します。
つまりこの写真の島右上の出っ張った部分ですね。
やはり危険な作業であるため引火物とはできるだけ
遠くに離していたのでしょう。
今は軍艦の搭載武器も様変わりしましたから、
そのためこの部分は使用されない一角となったのではないでしょうか。
しかしながら今現在もここが
『日本一危険な島』
であることには間違いのないところでしょう。
因みに、この航空写真で見る、島の左下部分。
ここは、昭和54年から日米合同施設において
「海自水雷調整所として共同使用とすることが合意された」
区画です。(旧軍港市国有財産処理審議会承認)
米軍だけが使用しているわけではないんですね。
まあ、米軍としても昔と違って占領しているわけではなく、
「日米同盟の運用のために日本の土地を使わせてもらう」
という立場ですから、島の占有はありえないのかもしれません。
現在、全施設面積の30パーセントにあたる、
吾妻島補給所(貯油タンク6基、約20,000kl)、
弾薬施設(艦船用誘導弾薬整備・調整)、
吾妻島信号所、
気象観測所(港務支援)及び
横須賀水雷整備所(水雷武器整備・調整)
これらの部分が共同利用されています。
ここで勤務する日米軍人その数141名(現在)。
はい、その証拠。
という言い方も少し何ですが、新井削堀というこの水路を
抜けたところにある日米国旗。
ところで、このツアーのガイドですが、海自の制服に似た感じの
船員風スーツを着た、(でも茶髪だったりする)若い人。
調子のいいおしゃべりと、程よくすべるギャグとダジャレの連発で
なかなか楽しい一時間を過ごすことができたのですが。
このツアー、軍港と言う特殊なところを巡る関係上、
ツアーのたびに係留しているフネが違っているわけですから、
それなりに勉強して軍艦や護衛艦のことを調べておられるのですが、
ときどき「あれ?」「そうだっけ?」と思うようなことを
さらっとおっしゃるんですね。
例えばこの国旗掲揚については、お互いのメモリアルデーの際、
例えば日本は3月11日、アメリカは9月11日に半旗にする、
と言う説明をしたわけですが、その説明のときに
「ウサマ・ビン・ラディンが起こした同時多発テロが」
なんて断定してしまっていました。
うーん。
確かにアメリカはビン・ラディンを主犯と決めつけ、
派兵の理由にしてついには「死人に口無し」で
殺してしまったみたいですけどね。
このテロについて本人はわりと早い段階で
「わたしが指揮したのではない」って声明だしてませんでしたっけ。
うかつなことは言えませんが(とか言いながらエリス中尉、
以前に結構大胆な米政府陰謀説など書いてしまったことがありますが)
そういったことを全く考慮に入れなかったとしても、
もし本当にビン・ラディンが計画したなら、堂々と犯行声明を出して、
「アメリカの帝国主義に対する攻撃である」
って言ってたと思うんですよね。
だって、やったのに「やっていない」とうそをつくのなら、
じゃああれだけのことをやる理由って何?ってことになりませんか?
つまりこの件はいろいろとアメリカ政府にアヤシイことがあるのも事実だし、
ビンラディンが黒幕であると確定したわけでもないんです。
今のところね。
そういう微妙な問題をこんなツアーのガイドとはいえ
確定事項として語ってはダメでしょ、って話。
さて、と言うわけで、吾妻島の周りをぐるっとまわり、
また出港したところに帰ってきました。
護衛艦が見えてきました。
ここでもじつはガイド説明の「あれ?」があったのですが、
それは次の項のお楽しみ。