レポートが行きつ戻りつしますが、また霧島の報告です。
霧島神社でさざれ石の巌となる生成過程を目にして、
非常にカルチャーショックを受けたエリス中尉と受けなかった家族。
(家族は全然さざれ石の存在に気が付いていなかったため)
次なる観光地、といっていいのかどうか。
新燃岳ハイキングコースの入り口に行きました。
この辺一帯を高千穂河原といいます。
二連の山に見える、右側が「高千穂峰」。
左が「御鉢」といわれる火口。
ほとんど人気無し。
噴火前はそれなりににぎわっていたんでしょうか。
駐車場にあったお土産所とレストランなど。
どれも結構建てられたばかりのような感じですが、
営業していたのは一番左に見える店だけでした。
後は休業状態です。
鳥居から向こうには行きませんでした。
神社の手洗いがありますが、ここに神社はありません。
鳥居の向こうには1934年まで霧島神社(この前に行った)があったそうです。
高千穂河原は天孫降臨の聖地として信仰を集めてきました。
ご神体が無くなっても、その痕跡を取り払えないのも
また日本人のメンタリティかも・・・。
新燃岳は活火山ですので、太古から噴火を繰り返してきましたが、
そんなところにもかかわらず飲食店を営業する人がいるとは・・。
現在のように入山規制レベル3(5段階の3)ともなると、
無期休業を余儀なくされてしまうというのに。
ご存知の通り、新燃岳は平成23年の初頭に噴火し、
降灰などの多大な被害がありました。
灰に留まらず噴石も落下し、車のガラスが割れたりしています。
見るからに新しい避難壕。
おそらく噴火以降作られたのではないでしょうか。
サイレンも噴火以降作られたようです。
噴火してから作ってどうする、と言う気がしないでもありません。
観光センターはオープンしており、
その時の様子を資料として展示していました。
赤く塗られた山のふもとに黄色い立て札が見えますが、
それが「高千穂河原」つまり現在位置です。
噴火したときここにいたらまず助からないでしょう。
噴石が木をなぎ倒し、その熱で火災が・・・。
当時、大変だろうなあと思いながらも
遠く離れた九州で起こっていることゆえ、なんとなく
「他人事」であったこの噴火ですが、住人には一大事。
「災害」って所詮そんなものかもしれません。
福島の災害ですら「他人事」と感じる人がいるのですから、
死者の出なかったこの災害を大したことに思えないのもむべなるかな。
皇国の降灰この一閃にあり。
こんなに降灰しては、農作物はきっと全滅だったでしょう。
地元地銀は災害に遭った農家に融資をしたそうです。
当時と現在のここの姿。
比べてみると警報サイレン、そしてこの日唯一営業していた
一番左の休憩所は当時無かったことがわかりますね。
何しろ火口のふもとですから、この降灰。
今跡形もなくきれいになっているのは
「片付けたんでしょうね」(案内の方)
各員一掃奮励努力したんですねわかります。
平常時の姿。
黄色い札が現在位置です。
鹿もいるようです。
奈良の鹿とは少し違いますね。
穏やかに見えますが、まだまだ入山規制は解けないようです。
さて、この後、お昼を食べることになりました。
高千穂河原からほんの少し走ったところにある牧場です。
牧場は当然皆車で訪れるのですが、入口には
タイヤのために大量の石灰が撒いてありました。
「車を消毒しても人間の靴底になにかついていたら
どうしようもないんじゃね?」
と息子がごもっともな突っ込みを入れていましたが・・・。
口蹄疫以降、九州の畜産家はぴりぴりしているのでしょう。
口蹄疫といえば。
そう、「赤松口蹄疫」ですよ。
この件に関してもわたしはいまだに民主党の馬鹿どもを全員
石灰をぶっかけて土中に埋めてしまいたいくらい腹が立っています。
全く、この一件をとっても彼らが「日本人を守る気が全くない政権」
であることが如実に表れていましたね。
それはともかく。
ひつじと触れ合う「ふれあい広場」。
顔の黒いひつじ、可愛いかも。
わたし「ヒツジと触れ合えるよ!」
息子「触れ合いたくない」
確かに。
触れ合うには少しニオイが気になる動物かもしれない。
この女の子も触れ合いをかたくなに拒否しています。
まあ、自分より大きいし、無理はない。
ヒツジの方もガンつけてます。
こちらにも触れ合おうという姿勢が全く感じられません。
大きなタンクにはミルクが貯められています。
DAIRY(乳製品)と記されていますね。
ソリ持参で斜面を滑る子供がいれば、
ソリ無しで斜面を転がる子供在り。
ここからは新燃岳がこんな風に見えます。
この手前の木は桜。
これが満開になったのはさぞきれいだったでしょうね。
ここでランチを取ることにしました。
TOは去年の夏一度来ているそうです。
「一度家族を連れてきてやりたい」
ということで、案内の方がわざわざコースに入れてくれました。
ここに来たらこれを食べるしかない。
まあほかにもメニューはありますが、
これを食べなければここに来た意味がない。
というラム肉のすき焼き。
高タンパク低脂肪。
ラムはヘルシー食材ですよ、ということで一同納得し
注文をしました。
正直言ってわたしはラムが大の苦手。
北海道に行ったときしゃぶしゃぶをいただき、
これならなんとか食べられると思ったのですが、
焼いたラムは・・・・・ダメでしたね(笑)
ヒツジ独特のあの匂いがどうしてもだめなんです。
タレが濃厚なので、かなりごまかされますが、
このときも一切れでギブアップ。
肉を食べるふりしてせっせと野菜をつついておりました。
やっとの思いで食べ終わり、土産物屋で定番のソフトクリームを。
これは、霧島名物のかんきつ類(なんだっけ)の味で、
美味しかったです。
土産物屋の棚を見れば。
ヒツジ、豚、キツネ、これはわかる。
しかし、抱き合っているピンクとブルーの物体、
それと茶色いトトロのようなこの物体は何か。
右は、ミミズク?
ところで、一切れのラム肉を持て余しながらふと、
ここに飼われているひつじさんたちの運命について
考えてしまったんですよ。
日本人はヒツジの乳を飲まないから、やはり
子ヒツジの内に先ほどのジンギスカンになってしまわなくても、
ウールの毛を刈られるのが主な仕事。
でも、やっぱり最後はお肉にされてしまうんだろうか。
そんなことを考えたのは、土産物屋に貼ってあった
この掲示を見たからです。
皆さん。見ました?
わたしはですね。
今の今まで乳牛はミルクを取るのが仕事だから、
メス牛は最後までその役目を果たし、
無事に一生を終えるのだと心のどこかで信じていたんですよ。
ですから北海道で牛の群れを見ても、心穏やかでいられたというか、
「こんな広々したところで一生を送れてよかったね」
などと、まるでジャングル大帝のレオ(末期)
みたいなお花畑なことを考えていたんですよ。
ところが。
これによると、オス牛は生まれてオスだと分かったとたん、
母牛と離されて、運が悪ければ数か月で
ランドセルにされてしまい、
さらには2年半で否が応でも
ステーキにされてしまう
というのですね。
まあ、それはよろしい。
牛にとっては全然よろしくありませんが、
それが牛に生まれてしまった牛の宿命というものです。
しかし、わたしが一生安泰だと思っていたメス牛は、
時期が来たら無理やり人工妊娠、そして出産させられ、
強制的に牛乳を取られるのです。
そして、3回も4回も同じことを繰り返し・・・・。
その任務ゆえオスよりも長く生かせてもらえはするわけですが、
妊娠と出産、それに伴う乳絞られ、それだけで終わってしまいます。
そもそも、すべての牛はオスもメスも、生まれてから一口も
母牛の乳、つまり牛乳を飲むことなく死んでいくんですね。
牛乳は人間様のためだけのものなのですから。
「うしのこどもが まきばにいました」
こんな出だしで始まる歌をコーラスで歌ったことがありますが、
その二番が
「ぼくがまいにち ぎゅうにゅうのむから
それをこうしが しっているのか」
つまり僕が呼んでも知らん顔して態度悪いけど、
(『しらんかおして あそんでいました』)
母牛の牛乳を取られて怒ってるんだな?
そうだな?
って歌だったんですね。
今にして思えば、牛の悲哀を無邪気な歌詞で、
切々と訴えているすごい歌だったんだ・・・。
人間は「人間なんだから人間の乳をやるのが
赤ん坊にとって一番いいことである」
と母乳を推奨されるわけですが、
これ逆に考えると牛だって牛なんだから、
牛乳を飲むのが一番いいに決まってます。
それをいくら早くて2年で殺してしまうからと言って、
一口も母牛の乳を飲めないとは・・・・。
そして、さらに哀れなことには、そうやって
人間のために尽くすだけ尽くした後、メス牛もやっぱり
肉になってしまうのです。
しかも、オス牛が「ステーキ」と限定されているのに対し、
メス牛は「ミンチ」。
ミンチですよ。
その理由は?
やっぱり年取って肉が固くなるからですよね?
差別するな!といいたいところですが、それも仕方のない話。
人間は他の命をいただいてのみ生きていくものであるからして、
こういうことに「かわいそう」とは口が裂けても言えません。
(しかし、こういう牛さんの災難に対しては何とも思わず、
日本人が捕るクジラやマグロにだけ憐れみをかけているのが、
そう、シーシェパードという団体なわけですね)
そしてこの上、ヒツジですよ。
ヒツジなんて食べなくたって、人は全く困らないんじゃないか?
とそれでなくても肉食をあまりしないわたしとしては
ついそんな風に思ってしまいますが、
老衰するまで飼って自然死させるわけにいかないから、
殺して食べてやるしかないんだよ、ということなんでしょうね。
「ヒツジさんとのふれあい」
などというコーナーでヒツジとたのしく触れ合った後、
隣のレストランでそのヒツジの肉を食らう。
自分が食べるためだけに草食動物を襲い、
それをきれいに食べてしまう猛獣たちより、
人間の方がよっぽど残酷な動物かもしれない、と思います。