毎年防衛省では、任務に殉じて亡くなられた自衛隊員のための
自衛隊殉職隊員追悼式を、自衛隊記念日の時期に行います。
先日、自衛官の殉死と、その命を捧げるべき大義について、
元海将の書かれた一文を元に少しお話しする機会がありましたが、
殉職隊員の慰霊に関しては、一般国民に膾炙しているとは言い難い、
とこのとき私見を述べさせていただきました。
しかし防衛省ならびに政府がこれを疎かにしているというわけではなく、
毎年、市ケ谷の防衛省慰霊碑前に於いて、殉職隊員のための追悼は
内閣総理大臣ならびに歴代防衛大臣が出席してこれを執り行います。
今年顕彰された御霊は全部で31柱。
その内訳は、
陸自7柱 海自12柱 空自10柱 防大1柱 防医大1柱
というものです。
1年に31名の殉職、という数字を皆様は多いと考えられますか?
国会で民進党の阿部知子議員の質問に(もちろんこの人も慰霊式は欠席)
答えた安倍首相の答弁書から、平成15年以降の殉職者の数を書き出してみます。
陸海空その他で色分けをしています。
平成15年 48 17 10 16
平成16年 64 16 14 6
平成17年 64 15 14 8
平成18年 65 19 9 8
平成19年 48 13 12 6
平成20年 51 16 9 7
平成21年 53 15 12 6
平成22年 55 10 12 6
平成23年 49 14 15 8
平成24年 52 7 20 4
平成25年 47 16 13 6
平成26年 43 12 11 3
これを見てどう思われましたでしょうか。
全員で31名というのがむしろ少ないほうだと知って
驚かれた方もおられるのではないでしょうか。
あと特筆すべきは各自衛隊での殉職者の数が
これによると毎年ほぼ一定していると言うことですが、これは
危険の多寡ではなく、隊員数比によるものだと思われます。
あと、自殺は殉職に含まれるのか、ということについても
書いておくと、
「 自殺は、自衛隊員の自損行為による災害のため
原則として公務災害とは認められないが、
公務の負荷により精神疾患を発症し、当該疾患が原因で自殺した場合は、
公務に起因して死亡したものと認めている」
とされています。
この自殺だけに特定した資料によりますと、1年に自殺した自衛官の数と、
一般の国家公務員の10万人あたりの自殺者の数を比較したものがあります。
年度 自衛隊 一般(単位人)
平成15年 31.4 17.1
平成16年 39.3 19.0
平成17年 38.6 17.7
平成18年 38.6 23.1
平成19年 36.0 20.3
平成20年 33.3 21.7
平成21年 34.9 23.6
平成22年 33.8 22.7
平成23年 34.2 20.7
平成24年 35.2 15.9
平成25年 33.7 21.5
平成26年 29.1 (調査中)
一般職と比べてやはり自衛隊は自殺者の割合が高いのがわかりますが、
どちらもどちらもその比率にさほど増減はありません。
自衛官の総数は22〜3万人なので、10万あたりの割合から類推すると
実際に自殺する隊員数は年間7〜80人ということになります。
そこで気になったのですが、この自殺者の「自殺理由」が
「公務の負荷であるか否か」についての認定はどうなっているのでしょうか。
テロ対策にもとづく勤務従事における自殺者の内訳は
海上自衛隊 25人 航空自衛隊 0人
イラク措置法に基づく勤務における自殺者内訳は
陸上自衛隊 21年 海上自衛隊 0人 航空自衛隊 8人
でしたが、その個々の理由には借財、家庭関係なども含まれます。
実際にこれが派遣との因果によるものだと認定はできませんが、
このうち公務災害と認められたのは
陸上自衛隊 3人 航空自衛隊 1人
となっています。
さて、ところでこれだけの隊員が任務中に亡くなっていることを、
国民のどれほどが認知しているかというと、そもそも全ての事故が報道されず、
慰霊式が行われることすら全く一般に知らされない(もちろん報道もほとんどない)
という現状を考えると、皆無に等しいのではないでしょうか。
ただ、今年は少し事情がいつもと違いました。
産経新聞がこのような記事を出し、それがネットで広まったからです。
殉職自衛官追悼式、野党議員で参列したのは1人だけ
安倍晋三首相が追悼「国民の命と平和を守り抜いていく」
防衛省は22日、平成28年度の自衛隊殉職隊員追悼式を行い、
安倍晋三首相らが参列した。
しかし、国会で安全保障関連法の施行に伴う
自衛官のリスク増大を批判する野党議員の姿はほとんどなかった。
追悼式では新たに31柱の名簿を慰霊碑に奉納。
首相は「ご遺志を受け継ぎ、国民の命と平和を守り抜いていく」と追悼の辞を述べた。
追悼式に出席した現職の国会議員は13人で元職は5人。
このうち現職の野党議員は民進党の大野元裕参院議員だけ。
民進党や共産党など野党は今国会で、南スーダン国連平和維持活動(PKO)
に派遣される陸上自衛隊部隊をめぐり、安保関連法で認められた
「駆け付け警護」任務などを負わせる政府方針を批判。
民進党からは自衛官の安全を心配する質問も出た。
防衛省は国会議員に関し、元首相と同省の元政務三役に
追悼式の招待状を出している。
また、自ら出席を申し出た場合、席に余裕があれば受け入れている。
衆参両院事務局によると、今国会の予算委員会で
自衛官のリスクに関する質問をしたのは民進、共産、社民各党の計8人。
この中で出席したのは元防衛政務官の大野氏だけだった。
産経新聞は、ここで野党議員のダブルスタンダードを非難しています。
追悼式の報道に関しては毎年ほとんど行われることはありませんが、
今年は産経以外には毎日新聞社がほんの少しだけ報じています。
しかしそれは
「安保法制に伴う危険の増大に対しても、変わらず
任務を全うすることを自衛隊に要請し期待する安倍首相」
という図式を補強するための通り一遍な記事に過ぎず、
野党議員の欠席についてはもちろんスルーでした。
前にも書きましたが、現職の自衛官の口から
「あの人たちに自衛官の命の心配をしてもらうことになるとは
夢にも思いませんでしたよ」
と苦笑まじりに実際に聞いたことがあるわたしとしては、
この産経新聞の記事を読んでもまったく驚きません。
そこであらためて防衛省のホームページを確認したところ、
記事にもあるように防衛省は出席者を
「現職総理大臣と元防衛大臣」
と決めており、それに従って招待状も出しているということです。
そこには追悼式が始まった昭和32年の岸総理をはじめとして、
出席した歴代総理大臣の名前が記録されているのですが、
たった一人、出席しなかった総理大臣がいました。
民主党政権時代、総理を務めた野田佳彦、あの菅直人ですら
(野田総理は2年連続で出席している)出席しているというのに、
史上唯一、鳩山由紀夫だけは追悼を頑として拒んだのです。
なんでもその日、無理やりなにか予定を入れたという話ですが、
それが追悼式以上に優先すべきことであったとは誰しも思わず、
つまりは観閲式同様、「逃げた」のだといまでも言われています。
おそらく、自衛隊最高指揮官であることからも逃げたかったのでしょう。
さて、先日呉地方総監部で執り行われた地区における
殉職隊員追悼式に、今回はわたしも参列させていただきました。
参加が決まったのは直前のことであったので、
わたしは出欠のやり取りをファックスで行い、当然ながら
当日どこにどういう風に赴けばいいのかもわからないまま、
朝一番の飛行機に乗り、空港バスで呉まで辿りついてからタクシーで
呉地方総監部を目指しましたが、ここで痛恨のミスがありました。
本来、こちらから入場することになっていた慰霊碑近くの門を、
こちらには来たことがないため通り過ぎてしまったのです。
江田島の旧海軍兵学校と同じで、呉総監部もこの港が
「正門」であり、あとは「裏門」であるそうです。
この港を望む開けた場所に、殉職隊員のための慰霊碑があります。
本日の慰霊式のために献花台と花が飾られているのでした。
参列者はこの前に設えられたテントの名前の書かれた場所に座ります。
ところがファックスでやり取りしたわたしにはそんなことはわからず、
来たことのあるこちらの庁舎側の門から入って行ってしまいました。
入り口で聞くと、「坂を下りていったら慰霊碑があります」
今にして思えば慰霊式出席者ならタクシーでそのまま下に行くように
指示してくれても良かった気もしますが、まさかこんな間違いを
する参列者がいるとは警衛の隊員さんも思わなかったのでしょう。
初めて見る赤煉瓦の横の坂を下って行くと、慰霊碑とテントが見えました。
そこで警衛の隊員に止められました。
「招待状を見せてください」
仕方なくファックス用紙を見せると
「これはファックスですね(だからダメですの意)」
わたしはもう今にも式が始まりそうなのに、ここで
隊員と押し問答をしている時間はない!と判断し、
出席が急に決まったことと、招待者の名前を告げてそこを突破しました。
そのときには追悼式開始までまさに10分といったところです。
これらの写真は全て式典終了後に撮りましたので念のため。
これは式が終了したあとですが、献花台に続く専用の道を
挟んで、白いベルトの隊員が護るように直立していました。
自衛隊の殉職隊員追悼式に参列するのは2度目です。
1度目の前回は掃海隊殉職者であったため、
殉職隊員の遺族は年配の方が多く、しかもその参列者は
年々減っていっている、という話をそのとき伺いましたが、
呉の担当区における殉職者の遺族の方々には、
亡くなった隊員の若さを表すかのように、まだ若々しい両親、
そして新婚であったのかもしれない若い女性や母親に抱かれた幼児、
そしてまだ月齢の赤ちゃんを抱いた母親もいました。
弔銃発射のとき、自動車のおもちゃを抱えて抱っこされていた
男の子がその音にびっくりして泣き声をあげ、それをなだめるために
母親が彼を抱きしめる様子には、思わず涙を誘われました。
続いての献花では、一人ずつ名前を呼ばれ祭壇前に進み出、
白菊を霊前に捧げて御霊のご冥福を祈ります。
そのあと行われた呉地方音楽隊による追悼演奏では、
「海をゆく」
「ふるさと」
「海ゆかば」
の三曲が奏楽されました。
この日最後に遺族代表の方がされた挨拶全文です。
追悼式を執り行っていただきまして心から厚くお礼申し上げます。
私ども遺族にとりまして、何ものにも代えがたい大切な肉親を失った悲しみは、
崇高な使命のためとはいえ、言葉に尽くせないものがありました。
この深い悲しみを乗り越え、今日まで頑張ってくることができましたのも、
歴代の呉地方総監を始め、隊員の皆様方の温かい励ましや
親身な支えがあったからこそと心から感謝しております。
私たち遺族は、これからもお互いに手を取り合い、故人、
そして残された者のためにも、そして残された者のためにも明るく、
さらに力強く生きていくことを、ここにあらためてお誓い申し上げます。
近年全国で続発する大規模な自然災害における救援活動、及び、
諸外国におきましても活躍され、国の期待がますます高まっていく昨今、
どうか隊員の皆様にはくれぐれも健康に留意され、
わたしたちの夫や子供、父、そして兄弟たちが果たせなかった
国防の任務を全うされますよう祈念申し上げますとともに、
今後とも私たちを末永く見守っていただきますようお願い申しあげます。
本日は、平成28年度呉地区殉職隊員追悼式を、かくも厳粛に挙行していただき、
またこうしてお招きいただきましたことに、重ねてお礼申し上げ、
遺族代表の挨拶とさせていただきます。
あらためて、任務に殉じて尊い命を捧げられた隊員の方々の
ご冥福を心より祈ります。