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デモイン三姉妹の運命〜重巡「セーラム」8インチ砲塔

2017-07-05 | 軍艦

デモイン」級重巡の2番艦である USS「セーラム」についてお話ししています。
「デモイン」級の最初の2隻は戦時中に企画が始まっていましたが、
建造中に終戦を迎え、2隻は海戦の思想の変化の波に色々と設計変更を加えられました。

3番艦の「ニューポートニューズ」 CA-148は起工が1945年11月と
完全に戦後体制の中で生まれた最後の重巡洋艦です。

「セーラム」はアメリカ海軍で初めて主砲の自動装填装置が加えられた艦ですが、
「ニューポートニューズ」は

アメリカ海軍で最初に空調装置が搭載された艦

ということになっています。
これは直接戦闘とは関係ありませんが、大きな一歩だったんではないでしょうか。
逆にいうと、それまでの艦って、空調設備なかったんですね。
まだしも外に出れば風に当たることのできる部署はともかく、
エンジンの音轟々と鳴り響きボイラーがが発する熱のこもった艦底にも
空調設備がなかった、というのはもう考えただけでぞっとしますね。

1949年に就役したあとは、1962年のキューバ危機でキューバ北東に待機し、
ソ連のミサイルがキューバから撤去されたのを確認する仕事をしています。 

なぜ「ニューポート・ニューズ」について書いているかというと、
「セーラム」艦上でこのような銘板を発見したからです。

1972年10月1日、ベトナム戦争中に海岸地域の掃討作戦を行ったのですが、
彼女が非武装地帯で活動中、8インチ砲の2番砲塔で連続爆発が起こりました。

補助フューズに欠陥があり、発射時に砲弾が爆発したのです。

wikiには(日本語のページにはこのことは言及されていない)
この爆発で19名が死亡し、10名が負傷した、とありますが、
ここに書かれている犠牲者の数は20名。
3基砲がある砲塔内には30人いたのではないか、と考えると
wikiの数字は間違いであると考えるのが良さそうです。 

重傷者がその後亡くなり、その一人を勘定に入れず記録が残ったのでしょうか。
 

この爆発では艦底近くのバレル本体が前方に吹き飛ばされるほどの被害を受けたので、
破損したマウントを、すでに予備艦になっていた「デモイン」(CA-134)
またはこの「セーラム」のいずれかのそれと交換することも考慮されたのですが、
それには費用がかかりすぎるということで、結局損傷は修復されないまま、
「ニューポート・ニューズ」はターレットを閉鎖して帰国することになりました。

ということは、最後まで第二砲塔なしで稼働していたってことなんでしょうか。

さて、艦尾側の甲板から前に向かって全部見てきたので、
ここで階段を一段だけ上がってみることにしました。

なんと!
主砲砲塔の中に入ることができるように、木のデッキがあります。
もちろんわたしにとっても中に入るのは初めての経験。

ちなみに、今から入るのはこの上の砲塔の方ですので念のため。
8インチというのは20.3cmのことです。

 

デッキは両側に段があり、見学者がスムーズに流れるようになっています。

それでは中に入ってみます。
これが砲塔の中だなんてこの写真から信じられますか?
テーブルがあり椅子があり、居住スペースとしても十分。

何よりこの明るさは一体・・・・?

外から見るとこんなことになっているとは全く想像できません。
パネルや計器のあるこちら側と、実際に砲弾が装填される装置は
透明のアクリルで仕切られていて、こちらから操作するようになっています。

自動装填装置を取り入れたというのはこういうことなんですね。
もちろん、砲塔の中にもエアコンが効いていて、
夏場に皆が裸で作業をしなければならないということはなくなりました。

 

砲が一度稼働し始めたら、この部屋?全体が目標に向かって回転し、
まるでディズニーランドのアトラクションのようになります。 

アクリル板はもしかしたら一般公開に当たって上から人が落ちないように
設置されたものかもしれません。
一応下に落っこちないようにもともと柵があるみたいですけどね。


さて、これが装填装置と砲の後ろ側です。
発射体を乗せるトレイが雨どいのように発射口に繋がっています。
トレイの右側にあるのが装填のための機械でしょうか。

部分を拡大してみました。
左にあるのが「パウダー(火薬)トレイ」

自動装填装置になって初めて、軍艦で火薬を「袋」ではなくケースに入れ
それを扱うということになりました。

これが右側に倒れ、中身だけが装填されると(どうなるのかわからず)
右側の銅色のトレイに火薬のケースだけがカラで残されるというわけです。

口の上の丸いのが(おそらく) Breech Block。 
日本語では「銃底」あるいは「ボルト」と称している部分で、
発射薬が燃焼する間、チャンバー(薬室)の後部をブロックする
銃器類の機構部品で一般のことです。

ところで、この写真をよく見ると、ブリーチブロックの左に
弾薬を押して突っ込むための棒が見えますね。

主砲は完全自動ってことになってたと思ったけど・・・。

電源パネルも文字通り「パネル」で薄い板状です。

「プロジェクタイル・ホイスト・コントロール」
「パウダー・ホイスト・コントロール」 

「プロジェクタイル・クレイドル・コントロール」
「パウダー・クレイドル・コントロール」

 など、ここで装填の全ての電源を扱っていたことがわかります。

1から25まで番号の打たれたダイヤルが並ぶパネル。

一つ一つのダイヤルは1番砲かあるいは2番砲のトレイなどを細々と操作するもの。
今のように一つのパネルで全てをやってしまえるシステムがなかったってことですね。 

二つ穴の空いたボードは何かの蓋のような気がしますがわかりません。
左の木材は、砲身が詰まった時に使います(たぶん・・・違うかも) 

艦の状況がわかるコンピュータ。

アナログコンピュータはフォード製でした。


弾薬を装填しているところ。
「セーラム」は自動装填方式が取り入れる前で手動で行なっています。

射撃が終わった後の薬莢はネットに溜まっていきます。
全てが終わってから甲板にガラガラガラッと落として後始末していました。

とにかくものすごい音がしたでしょうね。 

こちら使用後、甲板に薬莢が転がりまくる甲板の光景。
偶然直立してしまった薬莢あり(右上) 

安全のための装置がここに集まっている模様。
異常が起きた時のアラームベル、電話、異常を知らせるランプ、
そして天井近くの赤いレバーはスプリンクラー。

ところで今ふと気づいたのですが、「ニューポート・ニューズ」で爆発し
吹っ飛んだ8インチ砲の「第2砲塔」って、まさにここのことだったんじゃあ・・・。

まず、稼働中の「ニューポート・ニューズ」の2番砲。
まさに今見ているのと同じ場所の砲です。

これはベトナム戦争での一コマで、悲劇の起きる直前です。
白黒写真ですが、撮影の時光が写り込んで炎(みたいなもの)が甲板に見えています。 

事故が起こった後の砲塔。
これでは中にいた人ひとたまりもなかったでしょう。
むしろ何人か怪我で済んだという方を奇跡というべきかもしれません。

現在階段とデッキがつけられて中に入ることができるようになっていますが、
乗組員たちはこれにも確認できるハシゴをよじ登って砲塔に上がったようです。 

 

砲塔下部の「バレル」部分。
この記事にも死亡者が19名とあるので、wikiはこれを見たのだと思われます。

「爆発によってバレルそのものは前方に吹き飛んだ」

ということだったのですが、それがこの写真で確認できます。
向こう側に転がっているのは装填する前の発射体であろうと思われます。 

文中には

「爆発によってフットボール二つ分の厚みのある鉄が吹き飛んだ」

とありますね。 

別の装填装置。
これが当然ですが三つ並んでいるわけです。

外に出て見ると、同じ階の艦橋寄りに、対空砲である

Mk.12 38口径127mm砲

がありました。

木材部分の劣化に比べて塗装がやり直してあるせいか、妙に綺麗に見えます。

航空写真で甲板を見ると、主砲二つの後ろに1基、両側に2基。
砲の位置関係はこうなっております。
今の軍艦はこの三つの役目をCIWS1基がやってしまいます。

俯瞰で見ると左舷側に配置されている5インチ砲がこちら。

この中身は確か「マサチューセッツ」で見たことがあります。
1934年から使用が始まり、駆逐艦級の主砲、大型艦の対空砲として
スタンダードになっているので、いわばどこでも見ることができます。 

 

就役してすぐにその名前の由来であるマサチューセッツセーラムに
「表敬訪問」をした「セーラム」は、訓練と調整を済ませた後、
最初の任務として地中海艦隊の旗艦を勤めました。

この時に前任だった「ニューポート・ニューズ」と交代し、
後任を1番艦の「デモイン」に譲っています。

また、その後の地中海クルーズでも前任は「ニューポート・ニューズ」でした。

同型艦であるため、この三姉妹はこうやって同じ配置を交代しあうことが
よくあったということなのですが、末っ子の「ニューポート・ニューズ」が
戦争に参戦し、事故とはいえ「戦死者」まで出しているのに比べ、
「デモイン」と「セーラム」は演習と支援だけで、ほぼ一度も
戦闘を経験しないまま、平和な一生を終えています。

姉二人は日本の重巡洋艦を打倒することを目的に設計されたのに、
日本との戦争が終わってから生まれた末娘は、
姉たちが全く予期しなかった敵と戦って損害を受けたのです。

これを皮肉と見るか、「常に戦争をしてきた国」に生まれた軍艦として
姉たちが単に幸運だったということなのか・・・。

 

続く。