マサチューセッツに繋留展示してある貴重な重巡「セーラム」、
見学記もこれで最後です。
まずは載せ忘れた写真から。
ギャレーメスの食べ物を取るカウンターの手前には、このように
金属製のトレイがあり、フォークやナイフと共に取ってから進むようになっています。
金属製で食べ物を乗せるくぼみのあるトレイは、現在自衛隊で使われているのと同じ。
あのお皿の発祥はアメリカ海軍だったんですね。
棚に何本もの棒が檻のように立っていますが、これは何かわかりません。
ギャレーや士官、准士官の居室、医療施設などがあるこのセカンドデッキには、
唯一、「シップビルディング・ミュージアム」の部屋がありました。
ここクィンシーには、ジェネラル・ダイナミクスの造船部門があったのです。
潜水艦建造から企業した同社は、「ホランド型」という初期の潜水艦から、
「ノーチラス」などの原潜も手がけると言ったように潜水艦専門でしたが、
今ではコングロマリット企業としてアビオニクス、航空宇宙の分野まで進出しています。
奥の女性3人は、戦時中造船所で働いていた「ロージー・ザ・リベッター」たち。
「セーラム」についてお話しする前に取り上げた戦艦「マサチューセッツ」の
造船過程を記録した写真が展示してありました。
ブロック工法とかではないということはわかります。当たり前か。
このころは下から順番に作っている感じですね。
おそらく日本の造船、「大和」なども同じような工程を経て建造されたのでしょう。
説明はありませんが、後ろに現在と同じブリッジが見えているところを見ると、
初めてここクィンシーに展示のため運ばれたころ(1992年)の「セーラム」だと思われます。
艦体の塗装がことごとくはげ落ちているのが悲惨な感じですが、
1959年に退役してからずっとモスボール保存されていたためでしょう。
フォラデルフィアで保存されていたころの「セーラム」。
隣にいるのは艦番号134は、同型艦の「デモイン」です。
「デモイン」も退役してから同じフィラデルフィアの海軍不活性艦艇整備施設
(Naval Inactive Ship Maintenance Facility, NISMF)でなんと
2006年まで保存されていたそうなので、その時の写真です。
この施設では、彼女ら姉妹は隣同士に並べられていたんですね。
説明に肝心の時期とこの戦艦が何かが欠けているのですが、彼らの制服と、
艦橋の形から、第一次世界大戦の頃の写真ではないかと思われます。
「セーラム」は、戦闘に参加したことはなく、災害救助で活躍しました。
1953年、ギリシャのイオニア諸島を襲った大地震の被害に対し、「セーラム」は
緊急出動して、物資の運搬や現地の復興を支援しています。
マグニチュード6.4から7.2の揺れにサンド見舞われた現地は壊滅し、
人命だけでなく、貴重なギリシャの歴史的遺跡が多く失われました。
ボストンのギリシャ系コミュニティが「セーラム」に組織して集めた救援物資を託し、
「セーラム」艦長に渡すということも行われています。
ちなみに、あの「小泉八雲」ことラフカディオ・ハーンはイオニア出身です。
ここで趣向が変わって?スターズアンドストライプス紙の漫画を。
アドルフ・ヒトラーという人は、実にいろんな語録を残していて、例えば
「マスコミは下衆である。
この下衆が所謂世論の2/3を製造し、その泡から議会主義という神の愛が生まれたのだ。
口当たりの良い言葉を用いるマスコミや人間は自己の利益のみに動くか、
単なる馬鹿である。用心すべし。」
という結構賛同できるような(笑)ことも言っていたりするのですが、
このシリーズはヒトラー語録を紹介するもので、なんとこれが連載3回目。
いろんな語録に、それとはあまり関係なく漫画をつけています。
この漫画は、ヒトラーに影武者が何人かいた、という噂に基づくもので、
「本物はこいつか、それとも我々のうちの誰かかな」
北の黒電話にも影武者が何人かいて、耳の形が違うと指摘されてますね。
今はネットで細かい部分をチェックできるので影武者をやりおおせるのも難しい(笑)
ヒトラーの演説を聞いていて倒れてしまった人。
「かわいそうなルードヴィッヒ!
聖書のペリシテ人みたいに、顎の骨(ロバの)で虐殺されたんだな」
With the jawbone of an ass, heaps upon heaps,
with the jaw of an ass have I slain a thousand men.
が聖書の原文ですが、すみません、わたし聖書には詳しくなくて・・・。
部分が欠けているので読めないのですが、
「たった一語も空に書き遺すことが出来んのか!」
とパイロットに無理なことを言っております。
アドルフ・ヒトラーの墓石。
「これはわたしの最後に求めた領土である」
他の土地を焼け野原にしておいて、ってところでしょうか。
「セーラム」の乗組員フィレンツェなう。
サードデッキ、メインのギャレーなどがある階の一階下、
かつては兵員の寝室などであった部屋は、資料展示室となっていました。
そのうちの一つ、「シップモデル・エキジビッド」。
モデルシップの愛好家がこぞって作品を提供しています。
西海岸でこれも見学した空母「ホーネット」が、ドゥーリトル空襲を行うために
陸軍機を満載しているあの時の再現モデル。
ドゥーリトル空襲というのは、アメリカ人にとってよほど誇らしいことらしく、
未だにその日がくると記念日と称して色々イベントを開催したりしてるのですが、
この右下の本も、「65周年記念」に参加したベテランが編纂した写真集です。
右下はFDRに勲章をつけてもらう(FDRは車椅子に座っているらしい)
ジミー・ドゥーリトル准将。
この写真で初めて、ドゥーリトルが当時から禿げていたことを知りました。
スペンサー・トレイシーもアレック・ボールドウィンも禿げてませんでしたがそれは。
ところであの世紀の駄作「パールハーバー」、我々日本人はあまりの偏向的描写に
ネタとして楽しんでしまうか、せいぜい不快感を感じるくらいでしたが、
ドゥーリトルを実際に知る人たちが、あのボールドウィンに対して
「あれは違う!あんなのはジミーじゃない!」
ということで怒り狂ったということがあったらしいですね。
何がそんなに逆鱗に触れたのかまではわかりませんでしたが・・
まさか髪の毛じゃないとは思うけど。
昔の造船所の船台で建造中の駆逐艦「ヤーネル」DD-143 YARALL。
1917年から4年間の間に建造された「ウィックス級」駆逐艦は、
このように四本煙突がトレードマークです。
造船台の下の組み木の台まで内部の仕組みがわかるような模型になっていますね。
「ミズーリ」の後ろには、艦上で行われた日本の降伏調印式の写真が。
1944年10月14日、午後18時40分。
CA-70「キャンベラ」を牽引するタグボート、「ムンシー」ATF-107。
台湾沖で一式陸攻の雷撃が命中し航行不能になった「キャンベラ」を牽引するために出動しました。
画面下の海面に日の丸をつけた航空機が見えます。
これは説明によると、50口型銃で撃墜したフランシス(銀河)だそうで、
「パイロットの一人はすでに海の下のデイビージョーンズに会う準備をしていた」
だそうです。
海で亡くなることをアメリカ人はよくこのように表現します。
「ガダルカナル任務艦隊第62機動隊」と書かれたキャップは、
60周年を記念して同窓会が行われた時に作られたものです。
ちょうどラッパで艦番号が隠れてしまい何かわかりません。
時代は飛んでいきなりベトナム戦争。
どうやらUSS「セント・ポール」の展示のようです。
「セントポール」の日本語wikiには、1945年の呉の大空襲、そしてその後
戦艦「マサチューセッツ」も参加していた釜石への攻撃に加わったことが
書かれているのみで、朝鮮戦争、ベトナム戦争については特に言及がありませんが、
実際に最も活動したのはベトナム戦争のときだったようです。
ベトナム戦争では右舷側に砲撃を受けたこともあります。(1967年、写真中央上)
そしてネイビーシールズのコーナー。
彼らの帽子の形を見ると、ベトナム戦争ではなく最近撮られた写真かもしれません。
かつらを被せないマネキンに迷彩メイクを施してます。
「セーラム」の妹艦、「デモイン級」の「ニューポート・ニューズ」のコーナー。
野球はアメリカのごくごく一般的な暇つぶし(パスタイム)です。
海軍では本格的なユニフォームまで作って、艦対抗の試合を行ったようです。
自衛隊でも艦対抗のスポーツ試合は群単位で集まる訓練先で行われますが、
例えば掃海隊でいうと、
「フネ対抗」
の原則は崩さないそうです。
つまり大人数の掃海母艦対掃海艇、という対決が行われることになるわけですが、
その方が盛り上がるらしいですね。
ここからは海軍ユニフォームのファッションショー。
左はわかりますが、右のこの格好、実に普段着っぽいですね。
ダンガリーのシャツとジーンズっぽい水兵の基本スタイルの上に
オレンジの救命ベストとカーキ色のジャケット。
寒冷地用にニットキャップも用意されていました。
この帽子は、「踊る大ニューヨーク」でシナトラが被っていたタイプです。
「SP」の腕章をつけていますがショアパトロールのことでしょうか。
アメリカ海軍ではこの夏の制服のことを「ホワイツ」と称するそうです。
手前士官のホワイツ、後ろは下士官と兵。
こうしてみると、自衛隊の制服ってアメリカ海軍とほとんど同じですね。
まあ、今は制服、特に海軍の制服はグローバリズムとでもいうのか、
冬服はネイビーブルーのスーツに夏は白の半袖、水兵さんはセーラー服、
とほとんどこの基本ラインは世界共通となっています。
江田島の幹部候補生学校卒業式でも、タイ王国の軍人さんが一人いても
肌の色も全員が同化してほとんど見分けがつかなかったですからね。
さて、というわけでこれで重巡洋艦「セーラム」、隅から隅まで紹介しました。
わたしとしては、ここの繋留期限が切れる4年後、「セーラム」がどうなるか、
果たして展示艦としてその後も保存されるのかどうかを注視していきたいと思います。
終わり。