らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「蛇の道は蛇」の由来

2024-05-31 | 雑学

当地では、6月頃に田植えが始まりますが、これと時を同じくして「蛇」に遭遇することがあります。
その蛇は毒蛇のマムシです。
マムシは湿った溝や河川の草むらを好むことから、水田や小さな川周辺は勿論、田畑にも出現するので、田植えが始まった水田近くの草むらには気を付ける必要があります。
実際、菜園仲間のT氏は毎年数匹のマムシに遭遇しており、何匹も捕獲しているのだそうです。
皆様も毒蛇に咬まれないように十分ご注意ください。

・これが毒蛇のマムシです。


ところで、「蛇」と言えば、「蛇の道は蛇」という諺があります。
この諺では「蛇」を「じゃ」と「へび」とに区別して読んでいますが、何故なのでしょうか?
その由来を調べました。

「蛇の道は蛇の由来」
「蛇の道は蛇」とは、もともと『蛇(じゃ)の道は蛇(へび)が知る』といわれていた言葉が短縮されたものです。
そして、その意味は、「大蛇の通る道は小蛇(こへび)がよく知っている」。
即ち、同類の者は互いにその方面の事情に通じている。同類であればよく分かるという意味を表し、同じような生き方をしてきた人の考えは深い関わりがなくても理解できるという例えで使用されます。
同じ仕事をしている同類であれば、ある程度その世界に通じているため、他の人にはなかなか理解しにくいことも自然と伝わるという事です。

『「蛇」を「じゃ」と「へび」と読む理由』
この諺で「蛇」を「じゃ」と「へび」に読んでいます。
その理由については、前記したように、『蛇(じゃ)の道は蛇(へび)が知る』からで、
・『蛇(じゃ)』は大きな蛇を表しており、
・『蛇(へび)』は小さな蛇のことを指しているのです。
つまり「蛇の道は蛇」とは、『大きな蛇が通る道は小さな蛇でも知っている』ということから、「じゃ」と「へび」に区別した読み方となっています。

「悪い意味ではない」
「蛇の道は蛇」という言葉は、ドラマや小説の中などでも『悪人のすることは同じ悪人が知っている』といったニュアンスでたびたび使われています。
「蛇」に対する印象もあるのでしょうか、この言葉によくないイメージを感じている人は多いかもしれません。
しかし、この諺はネガティブな事柄以外に対しても使用できるので注意が必要です。
例えば、
・「さすが蛇の道は蛇だ。母親に髪を切ってもらうよりも、美容院で切ってもらった方がおしゃれなスタイルに仕上がった」
・「蛇の道は蛇といわれるように、パソコンに関する不調の原因は、エンジニアに聞くべきだ」
・「こんな難題をクリアするなんて、さすが蛇の道は蛇ですね」
など、「蛇の道は蛇」は本来は悪い意味を持つ言葉ではありません。

しかし、ネガティブなイメージしか知らない人に対しては、何気なく使うと相手に誤解される可能性があります。
褒め言葉として使う場合には注意が必要です。

 


身近な野鳥「ムクドリ」

2024-05-29 | 家庭菜園

畑で草刈りをしているとすぐ傍までムクドリが寄ってきます。
近くの竹藪にねぐらがあるのか、集団でやってきては虫やミミズのようなものを加えては飛び去り、またやってきます。
野鳥の世界は今が子育ての時期なのでしょう。

「ムクドリ」
ムクドリはスズメ目ムクドリ科の鳥類です。
全長24cm、全身は黒味のある褐色で、頭は灰色がかった黒褐色、目の周囲から頬にかけて不規則な白斑があります。
くちばしと足は黄色で、飛んだときに、腰の白さが目立ちます。
地上を歩いて餌を探すことが多く、その時にはくちばしを草株の間に入れて開くことで、地面や草株にひそむ虫を探すようです。



「分布」
アジア大陸の中緯度、温帯に分布していて、日本では九州以北の平地から低山地の人家や人家近くの林で繁殖し、農耕地、公園の芝生、草地などでよく見られます。
繁殖が終わると群になり、多い場合は数万羽の群になることもあるようです。

・草刈りの後の畔にに集団でやってきたムクドリです。


「語源」
日本語の「ムクドリ」の語源としては、椋木(むくのき)の実を好むからとする説や、常にムクノ木に棲んでいる為とする説、更に、騒がしいので「むくつけし鳥(=正体がわからず不気味な鳥)」の略とする説などがあります。
また、群れになる特徴から「群来鳥」「群木鳥」「雲鳥」等の表現もあるようです。

・これも草苅の後にやってきて虫などの餌をさがすムクドリです。


「身近なムクドリは益鳥か害鳥か」
ムクドリは山よりも人里にいることが多いため人間に身近な野鳥です。 
古くは田畑にて害虫を多く食べることから益鳥とされていました。
 しかし、1960 年代以降になるとナシへの 被害が問題になり、他の果樹にも被害を出すようになったことから、現在では害鳥と位置づけられること が多い野鳥です。

秋には渋柿などが残っている柿の木に集団で来て熟れた柿の実を啄んでいるのをよく見かけます。
残った渋柿だからいいようなものの、果物を狙う鳥であるということは、矢張り、害鳥のようですね。


慣用句「流れに掉さす」とは

2024-05-27 | 雑学

文化庁が行っている調査に「国語に関する世論調査」があります。
この調査は、政府の文化庁が国語(日本語)施策の参考とするため、「現代の社会状況の変化に伴う、日本人の国語意識の現状」について、平成7年(1995年)度から毎年実施している世論調査です。
この中では慣用句の意味についての調査がありますが、平成24年度のこの世論調査で、「流れに掉さす」という慣用句について、その意味を尋ねる項目がありました。

調査での質問、
 「その発言は流れに棹(さお)さすものだ」という慣用句を、あなたは(ア)と(イ)のどちらの意味で使っていますか?
 と尋ねたところ、                       平成24年度   平成18年  平成14年
(ア)傾向に逆らって,ある事柄の勢いを失わせるような行為をする・・59.4%     62.2%    63.6%
(イ)傾向に乗って,ある事柄の勢いを増すような行為をする・・・・・・・・23.4%     17.5%    12.4%(本来の意味)
(ア)と(イ)の両方   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.6%      1.5%    1.1%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.4%      0.3%       1.5%
分からない   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14.2% 1      8.5%     21.4%

本来の意味は(イ)です。
「流れに棹さす」とは、流れを下る舟に棹さすことで、勢いの付いたところへ更に助力が増えることで、物事が調子よく進むことの例えに使われる慣用句です。
調査の結果は、全ての年代で,本来の意味ではない(ア)を選んだ人の割合が,本来の意味である(イ)を大きく上回っています。

「誤用の要因」
この要因としては、
・まず日常生活で慣用句を使わなくなっているということがあります。。
 この「国語に関する世論調査」では、「流れに棹さす」を使うかどうかも尋ねており、その結果を見ると、使うと答えた人の割合は9.4%で、「流れに棹さす」は、現代ではほとんど使われていないこと。
・また、「流れに棹さす」は、船を操るための棹を水底にさして、船を進めていく様子に由来するものですが、現在ではそのような光景を目にする機会がほとんどないこと。
等が考えられるという事です。

「辞書では」
辞書では、物事を時流に乗せて順調に進行させる。と説明しており、「棹」は水の底を突いて舟を進ませる長い棒。それを操って流れのままに舟を進めることを「流れに掉さす」と言う。
誤用として、「棹を突き立てて流れをせき止める、流れに逆らう」と解し時流や大勢に逆らう意で使うのは誤り。と説明しています。

最近では、本来とは異なる意味での理解が定着しつつあるようですが、本来の意味をよく理解したうえで、誤用しないように心掛けたいですね。


ニゲラの花「蕾から種まで」

2024-05-25 | 

いま、私の畑には、真っ白なニゲラが咲いています。
「ニゲラ?」
ご存じないかも知れませんね。
そこで、今日はニゲラの蕾から花が終わって種ができるまでをご紹介します。

・これがニゲラの花です。


「ニゲラの蕾」

ニゲラはキンポウゲ科クロタネソウ属の一年草で、5月~7月頃に花を咲かせる植物です。
草丈は40cm~90cm程、茎が伸びて枝分かれをし、その先に3cm~5cmの花を一輪咲かせます。
下の画像はその蕾です。
真上から見ると渦を巻いているように見えます。

・ニゲラの蕾です。


原産地は地中海沿岸と西アジアで、日本には江戸時代末期に渡来し、当初は野菜として栽培されていたようです。
この花の特徴は細長い花びらを幾重にも重ねているところや茎からそのまま細長く枝分かれしている葉の形状にあります。

・蕾が開き始めました。


「名前の由来」
ニゲラという名前はラテン語の「Niger ・黒い」からきています。
花後にバルーン状の果実が膨らみ、中に黒い種が出来る事からこの名前がつきました。
和名は「黒種草(クロタネソウ)」と呼ばれていますが、これは種が黒いことに由来しています。

・我が家の花は純白ですが、他にも、青、黄、ピンク色、薄紫などの花色があります。


穢れのない純白のニゲアの花は綺麗です。

「花後のバルーンに種」
花が終わってもそのまま育てていくと、だんだんとバルーン状の実を形成していきます。
最初のうちは緑色ですが、成熟が進むと茶色っぽく枯れていきます。
完全に枯れてしまうとバルーンが弾けて種が散らばってしまうので、少し早めに収穫してカビないように風通しのいいところで乾燥させ、完全に枯れたらバルーンを開いて黒い種を採取できます。
我が家ではそのままにしているので、この辺りに種が散って、来年にはここで芽を出します。

・花が終わって茶色のバルーンができました。この中に種が入っています。



イカは何故「1杯」と数えるのか?

2024-05-23 | 雑学

お酒の好きな方ならイカ徳利で飲んだことがあるかも知れません。
イカの香りがしてお酒が旨いそうですね。
お酒好きな人にはたまらない美味しさのようですよ。
イカ徳利を乾かすと3回ほど使え、最後はおつまみとして食べられるという事です。

「イカの数え方」
そのイカ徳利にもなっているイカですが、数える時に何故、「1杯」と数えるのでしょうか?
調べてみると、イカやカニなどは生きているときには「1匹」と数えますが、ひとたび商品となって市場に出ると「1杯」と数えられます。
商品になっても「1匹」と数えることは出来ますが、その場合は活(い)きの良さが条件で、まるで生きているかのような新鮮さをアピールする場合に限られるそうです。

・イカ徳利です。(ネットより)


「杯の由来」
イカを「1杯」と数える由来には、諸説あって、その一つには、イカやタコを軟体動物の貝類の一種として「貝(ばい)」と数えたことに因むとする説があります。
しかし、「1バイ」「2バイ」とは数えないことからこの説は否定的なようです。
他には、「杯」と言う漢字にヒントが隠されていると考える説があって、この説が有力なようです。

「杯」は、「木」と「不」が組み合わさってできた漢字です。
「不」は、花の「がく」の形で、ふくらむという意味であることから、ふくらみのある器を表します。(『新潮日本語漢字辞典』)
『数え方の辞典』(小学館)によれば、イカの胴体も、イカ飯やイカ徳利にできるような形をしていて、漢字の「杯」のイメージにぴったりなので、「1杯」で数えるようになったと言われています。
そこから派生して、タコもイカと同じ「1杯」で数える数え方が出てきたと考えられています。

冒頭のイカ徳利は函館の名産のようです。
通販でも買えるという事なので、興味のある方はお試ししてみては如何でしょうか。


魔法使いか?「吉備真備」

2024-05-21 | 地元紹介

”晴れの国” と言われている岡山では、2018年7月6日から7日にかけて、後に西日本豪雨と言わる記録的な大雨がありました。
この豪雨では倉敷市真備町一帯が5メートルを超える深さの浸水となり、その被害は、倉敷市だけでなく、総社市や高梁市、矢掛町などに及ぶに至り、県西部や岡山市東区でも堤防の決壊や土砂災害が発生するなどの大災害となりました。
県内では、浸水や土砂災害で61人が命を落とし、3人が行方不明のままとなっています。

「吉備真備公の銅像」
ところで、奈良時代の公卿で学者の吉備真備(きびのまきび)という人物をご存知でしょうか?
西日本豪雨で被害が出た、岡山県の矢掛町と倉敷市真備町の一帯は、その吉備真備が生まれた地として有名であり、矢掛町には吉備大臣宮が鎮座しています。
吉備真備は吉備地方(現・岡山県)の豪族から身を起こし、阿倍仲麻呂らと遣唐留学生となり、様々な学問を習得し、 帰国後、学者から右大臣にまで上りつめ、日本史においては菅原道真と並ぶ天才と称されています。

・矢掛町の吉備真備の銅像です


「遣唐使とは」
遣唐使は630年に始まり、計15回中国の唐へと派遣されました。
しかし、その旅は過酷なもので、船の約四分の一が沈没や漂流等で帰らないという危険に満ちたものでした。
そして、その目的は、内乱が多発し、飢饉や疫病などに苦しんでいたことから、国を強化することが必要だった奈良時代に、遣唐使は、唐との関係を良好にするとともに、その進んだ文化や学問を吸収するための国家プロジェクトだったのです。
遣唐使に選ばれたのは、国の命運を担った精鋭たちで、平城京の大学で優秀さを認められた「吉備真備」をはじめとする遣唐留学生で、その専門分野は、仏教や金属・ガラスの加工、舞踏など多岐にわたっていました。
真備たち一行はおよそ3か月の旅を経て、当時世界最大級の大都市であり、最新の文化が集まる場所だった唐の都・長安に到着したのです。

「魔法使いか?吉備真備」
吉備真備は716年、22歳のときに遣唐使として唐に渡り、儒学、天文学、音楽、兵学などを学んだ後、735年に多くの 典籍(てんせき:書物、書籍)、武具、楽器を携えて帰国しました。
19年も唐に留め置かれたのは、玄宗皇帝がその才を惜しみ、帰国させなかったためとも言われています。

帰朝後は聖武天皇や光明皇后の寵愛を得て従五位に列せられ、役人の世界でも昇進を重ねて743年には従四位下、春宮大夫(とうぐうだいぶ)兼皇太子学士、746年には吉備朝臣(きびのあそみ)の姓を賜わりました。
しかし750年、突然筑前守として大宰府に左遷されると真備は翌年、再び遣唐副使となって唐に渡ります。
753年には鑑真を伴って無事に帰国しました。
その後、大宰大弐(だざいのだいに)となり、怡土(いと)城を築き、大宰府防備の策を献じました。

吉備真備は唐から帰国後、大学改革や最新の中国語の普及に尽力し朝廷の注目を集め、政治の中枢へと抜擢されていきました。
天皇の信頼を得た真備ですが、朝廷では権力争いが深刻となっていました。
実権を握ろうとする貴族・藤原仲麻呂と孝謙上皇の争いでは、真備は上皇側の軍の指揮官となり、巧みな戦術で仲麻呂軍を倒したのです。
その後、朝廷では僧侶・道鏡が天皇の寵愛を受けて台頭します。
右大臣にまで出世した吉備真備は775年、81歳で亡くなりました。
激動の奈良時代を、最新の学識で支え続けた吉備真備は、その手際の良さから、後世に“魔法使い”と称えられることになります。

・矢掛町の吉備大臣宮です。


「吉備大臣宮」
遣唐使として中国に渡った吉備真備を祀る神社です。
学問に秀でていた真備公にあやかろうと、受験シーズンには多くの受験生が参拝するそうです。

吉備大臣宮が鎮座している矢掛町は私の実家のがある笠岡市の隣町に立地していることから、10年ほど前に参拝した時に撮影した画像を使用しています。


還付金詐欺の新たな手口

2024-05-19 | 消費者問題

特殊詐欺の被害が一向に減りません。
報道によれば、大阪では昨年の特殊詐欺発生件数は2649件で、この内最も多いのは還付金詐欺でした。

「還付金詐欺の新たな手口」
還付金詐欺とは、「医療費などの還付が受けられる」などとと嘘を言ってATMを操作させ、現金をだまし取る手口です。
新たな手口の還付金詐欺の電話での口調は穏やかで丁寧であり、市役所の職員や銀行の行員を騙って電話をするときに、実際の職員や行員と聞き間違えるような話しぶりなのです。
先日、その実際の電話のやり取りが放送されていたのでご紹介します。

「還付金詐欺の電話の内容」
昨年10月に、吹田市に住む80代の男性のもとに、吹田市の職員を名乗る男から、詐欺の電話がかかってきました。
その時の話しぶりは詐欺の電話とは思えない丁寧な口調でした。

詐欺の男・・・もしもし、私、吹田市役所の保険課の松本と申します。お世話になっています。本日、ご確認の電話なんですが、今年5月に累積医療費と書かれた封筒をお送りしたのですが、中身をご覧になられましたでしょうか。
(電話を受けた男性は自分は絶対詐欺には騙されないと自信があったそうです。そして、還付金詐欺の手口は知っていたが、この時点で詐欺を疑う事はありませんでした。)
詐欺の男・・・国が医療費を見直し、過去3年間に負担した医療費の一部を返還されることになりました。
       そのための申請書類を自宅に送付したのですが、まだ提出されていません。
男性・・・・・書類を受け取った覚えがありません。
詐欺の男・・・見落とされている方が吹田市内で大変多くいらっしゃったので、もしかしたら他の書類と一緒に捨てられたのかと思いまして。
男性・・・・・うっかりして一緒に捨てたかもしれません。
詐欺の男・・・申請書が現在提出されていなかったので、お返しできずにいる状態だったんですね。
男性・・・・・あーそうですか。ご迷惑をおかけします。
  (丁寧な説明を受け、男性は書類を誤って捨てたと思い込んでしまいました。)
更に、
詐欺の男・・・期限が過ぎてしまっているので、どうしても市役所でのお手続きができなくなっています。
       ただ、今回、銀行で直接お受け取りの手続きができるようになりましたので、この後、急いで手配を取ります。
  (話を信じてしまった男性は、銀行からの連絡を待ったうえで、手続するよう指示されました。)
詐欺の男・・・今年度から○○様を担当させていただく松本と申します。今後ともよろしくお願いいたします。

(この後、銀行員を名乗る男から電話がかかってきました。)
銀行員を名乗る男・・今回市役所の方から郵送されていた申請書の方に記載されていた受け取り番号が必ず必要だったんですが、それがない方に限りましては2~3分程度で終わる受け取り番号の発行手続きをご案内させていただきます。
          還付金を受け取る為には6桁の「受け取り番号」が必要です。ATMで手続きすれば番号が書かれた「受け取り番号証明書という黄色の紙が発行されます。
          操作が終わりましたら「受け取り番号証明書」という黄色の紙が発行さますので、無くさないようにお願いいたします。
  (男は近所にある、無人ATMを指定し、そこに向かうよう指示しました。その時、時間は午前11時頃でした)
          この後のご案内になるんですけれど、午前中という事でお伺いしていましたので。
男性・・・・・・・・午前中? もう時間がないじゃないですか?
  (時間がないと焦った男性は家族と共にすぐに指定されたATMに向かいました。)
  (しかし、初めて行く場所だったため迷っていると、近所の人に窓口がある近くの金融機関を案内されます。)
  (男性はそこで事情を説明したところ、応対した職員が詐欺と気づき、ギリギリのところで被害に遭わずに済みました。)

当時、男性に付き添っていた奥さんは次のように話しています。
奥さん・・・交番の掲示板などで「詐欺があります」と貼っていたので、気を付けなければと思って見ていたのですが、自分のところに電話がかかってくると全然頭に浮かんでこなかったので、矢張り、詐欺があるという事は頭の隅にいつもおいておかなければいけないですね。

「男性がもしATMに行っていたら」
男性はATMに着いたらサポートコールセンターに電話するよう指示されていました。
そして電話を繋いだままの状態で指示通りの操作をさせられていたと思われます。
そして、黄色い紙は実際には出てきません。
そこで、振り込みが失敗したと言って、再び振り込みをさせて資金を振り込ませる可能性があります。
ATMからは黄色い紙は出てこないので、何度でも「振り込みが失敗した」と言って、黄色の紙が出るまで振り込ませた可能性があります。

「この電話のポイント」
・先ず、銀行で還付金の手続きができることはありません。
・この新しい手口では、それを信じ込ませるためのやり取りが非常に巧妙です。

・今回の電話で騙される3つのポイント
 1.穏やかで丁寧な口調で本物を装っている点。
 2.「急いで手配」など、焦らせるような言葉を織り交ぜている事。
 3.犯行とは直接関係ないやり取りを交えてリアリティを演出していること。

自分は騙されないと自信がある人でも、このような新しい手口で電話があると信じてしまいそうです。
もし、このような電話があったら、自分で役所や銀行の電話番号を調べて、確認するようにしましょう。


心頭は「達する? 発する?」

2024-05-17 | 雑学

一昨日、非常識な夫婦を取り上げましたが、この中で農家の奥さんが「怒り心頭に発する」と書きました。
小生、最初は「怒り心頭に達する」と書きかけたので、改めて辞書を開いてみたところ、「発する」が正しいことが確認できました。
この慣用句については間違われる人が多いようなので、今日のテーマに取り上げることにしました。

「心頭は『発する?』 それとも 『達する?』」
「怒り心頭に達する」とは、激しく怒っている様子を表現する慣用句ですが、「達する」は誤用とされています。
では、本来はどのような表現なのでしょうか?

「辞書では」
まず、明鏡ことわざ成句使い方辞典では、「怒り心頭に達する」とするのは誤りと記されています。
「使い方」・・激しく怒る。激怒する。「無礼な振る舞いにーー」
       「心頭」はこころ、「に」は「~において」、「発する」は、外へあらわれ出る意。心中の怒りが抑えられなくなることをいう。
「誤用」・・・「に」を到達点を表す助詞と解し、怒りが心に到達するの意と考えて、「怒り心頭に達する」とするのは誤り。
       例として「怒り心頭に達して家を飛び出す」を誤りとしています。

辞書が示すように、「達する」ではなく、「怒り心頭に『発する』」とするのが本来の用法とされています。
「頭に来る」という表現との類推で「心頭に達する」の方がしっくりするという人が多いかもしれませんが、これは誤用です。

「国語に関する世論調査」
文化庁の平成24年度の「国語に関する世論調査」に、この慣用句の使用についての質問がありました。
それによると、本来の表現である「怒り心頭に発する」を使うと答えた人は23.6%だったのに対し、「達する」を使うと答えた人は67.1%もいました。

「心頭」の「頭」は人間の「あたま」の意味ではなく、「ほとり。そば。あたり」(新明解漢和辞典、三省堂)を表し、「心頭」で「胸のあたり、心の中」の意味になります。
頭(あたま)が理性や知性の場所であるといわれる一方で、心は感情や感性の場所です。
従って、怒りは心に「達する」ものではなく、心から「発する(起きる・生じる)」ものであり、「心の中から怒りが生じる」状態が激しい怒りを表現しているのです。

「調査結果」
慣用句の使い方の調査で、「激しく怒ること」をどのように表現するかを質問したところ下記のとおりでした。
            平成24年度      平成17年度
(a) 怒り心頭に達する    67.1%          74.2%
(b) 怒り心頭に発する    23.6%          14.0%(本来の表現)
(a) と (b) の両方使う     1.3%         1.8%
(a) と (b) のどちらも使わない 5.0%          ー
分からない         3.0%         10.0%

調査では、全ての年代で本来の言い方ではない(a)「怒り心頭に達する」を使うと答えた人の割合が、本来の言い方である(b)「怒り心頭に発する」を大きく上回っていました。

「心頭」は「達する」ではなく、「発する」が正しい表現です。
間違いやすい慣用句なので、使用時は注意したいですね。


諺「十で神童、十五で才子・・・」

2024-05-15 | 家庭菜園

「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと)」という諺があります。
意味は、幼いときは並外れた才能の持ち主だと思われていた子供も、成長するにしたがって、まったくの平々凡々の人になることが多いということを譬えて使われる諺ですが、最近、この諺の「只の人(平々凡々)」以下の非常識な夫婦の話を聞きました。

「非常識な夫婦」
この非常識な夫婦とは、家庭菜園をするために地元の農家の休耕地を借りに来た人とその奥さんです。
非常識な奥さんが言うには、主人の実家は金持で社会的地位が高く、地元の有力者だそうです。主人も裕福な家庭で育ち、勉強もできて国立大学を出て○○会社(一流企業)に就職して定年退職後、現在に至っているとのこと。
一方、奥さんは「私の実家も金持であり、私は学校の教師を30数年間していました」と言っていたそうです。
この夫婦は下記の「事例」のことから農家に謝りに来たのですが、謝罪の言葉を述べる前に、開口一番、上記のような自分たちの自慢話を始めたそうです。

「謝罪すべき事例」
国立大学出身を自慢していたこの人は、既にこの農家から畑を借りて家庭菜園をしているのですが、更にサツマイモを植えるために休耕している畑の借用を申し出たのです。
農家の主人はこの人を知っていたことから、休耕になって雑草が生えていた畑を使用することを許可しました。
その時、畑の中に柿の木があるので、「その下あたりなら使用してもよい」と言ったのだそうです。

この畑の一角、柿の木から離れた場所に、花好きの農家の奥さんが十数メートルの長さの畝を3畝作って花を植えていました。
勿論、草を取って畝を作っており、昨年秋に蒔いた花の種は茎が長く伸び、蕾は色づいて開花寸前の状態でした。
そして、支柱を立て、網まで張って花が倒れないように仕立てていたのです。
ところが、あろうことかこの非常識な人は「柿の木の下あたり」と言われた場所を越えて、大事に育てていた奥さんの花まで雑草と同じように刈ってしまったのです。
花を仕立てていた支柱は抜かれ、張っていた網は片付けられて農家の小屋に置いたのだそうです。

「謝罪に来て自慢話」
奥さんが出先から帰ってそのことに気づき、すぐに怒りの電話を入れたところ、夫婦が謝りに来ました。
しかし、農家の奥さんの怒りは収まりません。
奥さんの怒りが心頭に発したのは、6か月もかかって育て、やっと開花し始めた40数株の花(スターチスほか)が数株を残して無残にも刈り捨てられていたことに加え、謝りに来た非常識な奥さんの冒頭の一言だったようです。
それは謝罪の言葉ではなく、冒頭に書いた「主人は国立大学を出て、一流企業に勤めました。実家は社会的地位が高く金持です。私の実家も金持で、私は教師を三十数年勤めました。」などと自慢話を始めたのだそうです。

農家の奥さんはますます腹が立ってきたそうです。
何故、刈ったのか、理由を聞いても本人は何にも云わず、自慢話をしていた奥さんがただ「すみません」と謝るだけで、本人からは何の謝罪の言葉もありません。
それどころか、長引きそうになると、自分の奥さんに対して「もう帰ろう!」と言ったという事です。

「諺」
諺に「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと)」がありますが、この夫婦はそろって「只の人(平々凡々)」以下の非常識極まりない人たちのような気がします。

国立大学を出て、一流企業を退職した大の大人が、借用する畑の区域を越えて、整備された畝に植えられている開花直前の花を、確認もせずによく刈ってしまったものです。
一流企業に勤めていた人であれば、否、一流企業に限らず一般の社会人であれば当然の注意義務として、刈ってよいかどうかの確認をすべきであるし、その前に何故、許可されていた柿の木の下あたりの借用範囲を越えて草を刈ったのか。
越えるのであれば、農家の人にその許可を得るのが社会人の常識の筈。
その弁明は全くなかったとのことです。

この諺の意味は、「幼いときは並外れた才能の持ち主だと思われていた子供も、成長するにしたがって、まったくの平々凡々の人になることが多い」という事を譬えているのですが、この夫婦の主人は勿論、教師を長年務めた奥さんまで「平々凡々」以下の非常識な人になっているようです。
これでよく30数年間も先生が務まったものだと、呆れてものも言えません。


ダジャレ「クイズ」

2024-05-13 | 趣味

今日はくだらないタジャレ「クイズ」で肩の凝りをほぐしていただきたいと思います。

次の5問の「クイズ」をお考え下さい。
①二階建ての家で一番怖い場所は何処でしょうか? 

②「よく噛んで食べなさい」と叱られる生き物は何でしょうか?  

③酢を手にもって行うスポーツはどんなスポーツでしょうか? 

④火の隣りにいる鳥は何という鳥でしょうか?  

⑤パンをずっと見つめている花の名前は分かりますか? 

いつもコメントをくださるiina様はマッチ棒クイズを出されていますが、私はそのような難しい問題は思いつきません。
なので、くだらないダジャレをクイズにしました。

正解は下に書いています。











正解
① 階段(怪談)
② 亀(噛め)
③ テニス(手に酢)
④ ひよこ(火、横)
⑤ パンジー(パン、ジ~ッ)