らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

女心と秋の空

2019-10-30 | 季節

「天高く馬肥える秋」という諺がありますが、今年の10月は、秋真っただ中というのに雨や曇り空が続き、秋らしい天気がやってきません。
一昨日は久しぶりに高い青空が見られてほっとしたところですが、昨日はまた雨になりました。

昔から「女心と秋の空」と、秋の変わりやすい天気を例えて言われていますが、これほどまでに曇天が続いて秋の爽やかな天気が少ない年も珍しいのではないでしょうか?
これも地球温暖化の関係なのかもしれませんが、下の写真のような爽やかで気分の晴れ晴れとする秋の高い空を毎日見たいものです。

・久しぶりにさわやかな秋空となった一昨日の天気です。(畑上空の秋空です)


ところで、ころころ変わる天気を称して「女心と秋の空」と言いますが、「男心と秋の空」という言い方もあるようです。
そこで今日はこの諺について、その由来を調べてみました。

「男心と秋の空」
現在では「女心と秋の空」が一般的に言われていますが、江戸時代までは「男心と秋の空」でした。
そのルーツは室町時代の狂言、「墨塗(すみぬり)」で、この中に「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」というセリフがあって、ここから「男心と秋の空」の諺が生まれたといわれています。

江戸後期の俳人・小林一茶は、変わりやすい自分の心を秋の空にたとえて、
  「はずかしや おれが心と 秋の空」
と、自分の心の移ろいやすさを秋の空模様に例えて詠んでいます。

「女心と秋の空」
では、「女心と秋の空」はいつごろから言われ始めたのでしょうか?
それは明治以降のことのようです。
この諺の背景には「浮いた話」があって、明治以前の浮いた話の当事者は(建前上)男性だけでした。
しかし、女性の地位が向上していく大正時代から昭和にかけて「女心」の浮いた話も定着していきます。

明治時代の小説家、尾崎紅葉が明治25年に読売新聞に連載していた長編小説に『三人妻』というものがあります。
この小説の中に、「男心と秋の空」という諺が出てきて、そのくだりで、「欧羅巴(ヨーロッパ)」の諺に「女心と冬日和といえり」が出てきます。
尾崎紅葉は「男心と秋の空」を説明するために、変化しやすい冬の風を女心に例えたヨーロッパのこの諺を、パロディ的に「女心と秋の空」としたのかも知れないということです。

「女心と秋の空」が一般的に使われるようになったのは「大正デモクラシー」以降です。
大正デモクラシーで女性の地位が向上すると恋愛の価値観も変わり、女性が素直に意思表示する風潮も受け入れられるようになりました。
浅草オペラで、「♬ 風の中の羽のようにいつも変わる女心」と歌う『女心の歌』が大ヒットすると、この頃から「女心と秋の空」が言われるようになったということです。

「女心と秋の空」の諺は、当初は「男心」のようですが、男心も女心も、そして秋の空もあまり変わって欲しくないですね。


 


じゃが芋の語源

2019-10-28 | 家庭菜園

8月下旬のまだ残暑が厳しい時に植え付けた、秋に収穫するじゃが芋「以下、秋じゃが」が順調に育っています。
数年前に秋じゃがの植え付けで一度失敗したことがありました。
それは、まだ残暑が厳しい時期であるにも拘らず、除草の目的からマルチ張りをしたところ、種芋が腐ってしまい、その大半が発芽に至らなかったのです。
今年も10月初めまで真夏日が続いたことから発芽が心配されましたが、その心配は杞憂に終わりました。
このまま生育すれば12月初旬には収穫できそうです。

「各地の名称」
ところで、ジャガイモの名称は各地域で様々のようです。
東北や近畿では「ニドイモ」と言い、私の故郷・岡山では一度上がって「サンド芋」と言います。
さらに回数が上がって「ゴド芋」と言う地域もあるようで、収穫回数に由来する名称となっている地域もあるようです。
しかし、昔、父が栽培していた頃、サンド芋でありながら、三度収穫したことはなかったように記憶していますが、名称と収穫回数とは直接関係ないのでしょうか?

差し詰め、私の畑では、春と秋の年2回栽培しているので、強いて言えば、「ニドイモ」になるのでしょうが、それは兎も角、今日はじゃが芋について調べました。

・畑の秋じゃがです。順調に育っています。


「名称の由来」
ジャガイモはペルー南部の標高3800メートルほどのチチカカ湖近辺が原産地とされています。
また、日本への伝来は、慶長3年(1598年)とも、8年(1603年)とも云われており、いずれもオランダ人によりジャワ島のジャガタラ(インドネシアの首都・ジャカルタの古名)から長崎に持ち込まれた、とされています。
呼び名の由来は「ジャガタラから来た芋」で、「ジャガタラ芋」と呼ばれ、それが転じて「ジャガイモ」になったようです。
また、別名を「馬鈴薯(ばれいしょ)」といいますが、これはじゃが芋が馬の首からぶら下げる丸い鈴、「馬齢」に形と色が似ている薯(いも)ということからつけられたようです。

「品種の由来」
なお、日本国内において栽培されているジャガイモの代表的な品種としては、男爵イモはがありますが、この名称は、明治41年、函館ドック専務取締役の川田龍吉男爵に因んでつけられたようです。 
川田男爵はイギリス留学の経験があり、その時食べたじゃがいもを日本でも育ててみたいという思いがあり、イギリスやアメリカから様々な種いもを取り寄せて試験栽培を行ないました。
その中で北海道での栽培に一番適した品種がこの男爵いもでした。
当時、正確な品種名が不明だったのですが、川田男爵が育てたいもから、農家が男爵いもと呼ぶようになったそうです。

一方、男爵に次いで栽培が多いと言われている品種にメークインがあります。
 この品種の原産国はイギリスですが、同国では、”May Queen”(メイ・クイーン)という呼び名がつけられています。
”May Queen”(メイ・クイーン)の起源はローマ神話においてマイア(Maia)という名で呼ばれている大地の実りを司る豊穣の女神とされており、そこから”May Queen”(メイ・クイーン:五月の女王)という呼び名がつけられ、更に、日本ではこれからメークインと呼ばれるようになったと考えられています。


セキレイ

2019-10-26 | 地元紹介

野鳥の「鶺鴒(セキレイ)」が畑や路面で見られる季節になりました。
皆さんもご覧になったことがあると思いますが、セキレイ(白鶺鴒)はスズメ目セキレイ科に属する小鳥で、長い尾を上下に振る習性があります。

「鶺鴒(セキレイ)」
鶺鴒はセキレイ科に属する鳥の総称で、日本ではふつうキセキレイ、セグロセキレイ、ハクセキレイの三種をさします。
全長20センチメートル前後で、大きさはスズメよりやや大きく、尾は長く、体は黒白、または黄と黒に染め分けられた美しい野鳥です。
今日は畑と道端で見かけた鶺鴒をご紹介します。

鶺鴒は年中みられる野鳥ですが、私の住まいしている大阪南部の熊取では、毎年、秋から春先にかけて畑や路面などでよく見るのですが、今年も、先日から道路に舞い降りて餌を探す「セキレイ(鶺鴒)」を見かけるようになりました。

・この鶺鴒はセグロセキレイかも知れません。餌を探しで忙しく歩き回っていました。
 ハクセキレイとセグロセキレイの違いは、頬の色が白いのか黒いかで見分けるようです。


「ハクセキレイの季語は秋」
鶺鴒は長い尾を上下にしきりに動かすのが特徴であり、尾で叩いているようにも見えることから「石叩き」「庭叩き」とも言われています。
俳句では秋の季語となっていますが、これは、稲負鳥(いなおおせどり)が鶺鴒ではないか、という説が有力ということから、古来、秋の小鳥として詠まれてきているようです。

正岡子規は 鶺鴒を次のように詠んでいます。
 「鶺鴒よ この笠叩く ことなかれ」   子規

「神話」
また、鶺鴒に関しては日本書紀に次のような記述があります。
日本神話の国産みの伝承の一つとして、イザナギとイザナミが性交の仕方が分からなかったところにセキレイが現れ、セキレイが尾を上下に振る動作を見てその仕方を知ったという内容の記述があるということです。

・こちらはハクセキレイのようです。
 10mくらいまで近寄って餌探しをしていました。傍で見ると本当に可愛いです。
 

「逃げない鳥」
鶺鴒は人懐っこい鳥です。
畑を耕しているとすぐそばまでやってきてはエサを探しています。 機械の音がしていても逃げず、耕した後からついてきます。
この様なことから、ハクセキレイは「逃げない鳥」と呼ばれます。
ハクセキレイが他の鳥と比べ人間を怖がらないのは、米などの農作物を食べないことから、人間にいじめられたことがないからだと言われているようです。


オケラ

2019-10-24 | 家庭菜園

畑を耕していると、土の中からいろいろな虫が出てきます。
ミミズは勿論、コガネムシの幼虫やヨトウムシ、オケラや名前を知らない小さな虫など、様々な虫にお目にかかります。
ミミズ以外は農作物に食害を与えるので捕殺しますが、オケラは何となく愛嬌があるので逃がすことが殆どです。
今日はそんなオケラについて調べました。

オケラの正式名称は「ケラ(螻蛄)」で、バッタ目ケラ科の昆虫です。
体長は約3センチ、頭部と前胸は頑丈で、前足はモグラに似て熊手状になっています。
地中に穴を掘って棲み、昆虫などを捕食するほか植物の根なども食べるようです。



 螻蛄(けら)は後翅(うしろばね)が長く、夜には飛んで灯火に集まる事があります。
更に、 秋に鳴く虫の一種でもあり、泳ぎも上手く、バッタの仲間の鳴く虫としては飛行することが出来る多才な昆虫です。

螻蛄はこの様な特性を持っていることから次のような諺も生まれています。

「お螻蛄(けら)の七つ芸 」・・・いろいろと芸を持っているが一つも上手なものはないことのたとえ。
              螻蛄は「掘る」「走る」「跳ねる」「飛ぶ」「よじ登る」「泳ぐ」「鳴く」の七つの特性を持っているのですが、どれも特に巧みとは言えない
              ことから中途半端とされ、いわゆる「器用貧乏」といった使われ方をする諺です。

「螻蛄の水渡り 」・・・・・・いくら努力しても成し遂げられないことのたとえ。
              ケラは泳ぐこともできるのですが、すぐに止めます。
              このことから、物事を最後までやり遂げないこと、他人の真似をして失敗すること等を指す諺です。

他にも、お金がない状態を「おけら」と言いますが、これは、おけらを正面から見た際、前足が万歳(=お手上げ)をしているように見えるので、そこから、所持金を無くし、お手上げ状態になっている人に例えてこのように呼ぶようになったのだそうです。

多才な持ち主の「おけら」ですが、諺ではあまり良い意味に使われていないようです。

・これがおけらです。動きが素早く、すぐに土の中にに潜ろうとします。


日本では昔からケラ(螻蛄)の事を「おけら」と呼んで親しんでいますが、この昆虫は雑食性で大食いであるため、堀り当たった植物の根は大概食べてしまい、農業に害をなす害虫なのだそうです。

今まで螻蛄を見つけると逃がしていましたが、今回、農業に害を与える害虫ということが分かったので、、次から見つけた時には捕殺することにします。



山の神

2019-10-22 | 雑学

先日のことです。
菜園仲間のH氏と畑で雑談していたのですが、ふと、そこに奥様がいないことに気付きました。
そこで、「ところで、今日は奥様は来ていなのですか?」と尋ねたところ、周りを見回しながら「いま、山の神が来た。来た。」と、奥様が来られたことを教えてくれたのです。

T氏は70代前半の方ですが、久しぶりに「山の神」なる言葉を聞きました。
「山の神」とは、年配の方はご存じだと思いますが、自分の妻を卑称して使われる言葉です。
嘗ては、年配の人がよく使用していましたが、最近ではほとんど耳にすることがなくなりました。

でも、なぜ自分の妻を「山の神」というのか、今日はその由来を調べることにしました。

「山の神」とは、山を領する神として農・山・漁民などに広く信仰されてきた神です。
自然と共に生きてきた日本人は、昔から「山」を神聖なものとしてあがめてきました。
畑が豊作に恵まれるのは山の神のおかげであり、洪水や土砂崩れなどの自然災害は山の神を怒らせたためだと信じられていました。
この神様はところにより男神又は夫婦神とされていますが、一般には女神であると考えられています。
それは、人々の精神に多大な影響を与える「山」は、万物を生みだす源であり、すべてを受けいれる「母」のような存在であることから、「山の神=女性神」として信仰されてきたようです。

この女神様は非常に恐ろしい神様で、機嫌をとるのが難しく、嫉妬深くて醜いなどと伝えられており、そうした文化的な背景から、口やかましい妻のことを、ちょっぴり皮肉も交えて「うちの“山の神”が…」などと呼ぶようになったようです。

 ・山の神にお供えされる「オコゼ」です。(ネットより)


「山の神とオコゼ」
山の神様はなぜか醜い魚のオコゼを好むようです。
魚貝類など庶民の日常食糧について解説した江戸時代中期の本草書(ほんぞうしょ)「本朝食鑑」には、時化(しけ)で漁の出来ない時には、漁師がオコゼを山の神に供えて「風が穏やかに波が静かで、釣網の便あらしめたまえ」と祈ると、翌日、海上の風波は必ず収まり、漁の獲物が多くなると記されているそうです。
古川柳にも、「山の神 オコゼばかりを 食につけ」と詠まれているように、 信仰されている「山の神」はオコゼと言う醜い魚を好むのだそうです。

「現代の山の神」
若い人の間では、「山の神」と言えば箱根駅伝の往路5区の山登りだと思います。
往路の最終区間となる5区は、高低差が800m以上にもなる、まさに山登りのハードなコースです。
このコースを走り、好記録を出して最初の「山の神」となったのが、2005年(平成17年)に走った順天堂大学の今井正人選手です。
その後、2009年(平成21年)〜2012年(平成24年)の東洋大学の柏原竜二選手や、青山学院大学の神野大地選手など、5区を快走したランナーを「山の神」と呼ぶようになっています。



秋の味覚「栗」

2019-10-20 | 家庭果樹

今月の初めまで真夏日が続いていた大阪泉州地方もようやく秋らしくなりました。
16日には最低気温が13度まで下がり、一気に冬のような寒さを感じて身震いするほどでした。
この分では今年の秋は短かそうですね。

さて、秋と言えば、「味覚の秋」と言われるように、おいしい食べ物がたくさん出回ります。
秋の味覚をネットで見ていたら、「秋の味覚人気ランキング」というページがありました。
それによると、第1位は、「秋刀魚」、第2位は「松茸」第3位は「栗」でした。
ランキングは紹介しているページによって異なると思いますが、このページでは「栗」が3位に入っていました。
栗は秋を代表する味覚の一つのようです。

その栗が先日、実家から届きました。
ということで、今日は栗について調べることにしました。

・送られてきたこの栗は、花の咲いている下の画像の栗の木から収穫したものです。


「栗の花」
栗の木には雌花と雄花があり、受精した雌花が実をつけます。
もともと雌花にはトゲがあって、これが実をつけたときにイガになります。
イガは他の果物でいう皮に当たり、その中にある栗が果肉と種です。

「栗のイガに実が3個」
雌花にあるトゲの部分は総苞(そうほう)といい、その中には将来、種となる子房が、通常3つずつ入っています。
受精すると総苞はイガになり、子房が栗となります。そのため、一般的な品種ではイガの中に3個栗ができる「3つ栗」です。

・左側が雄花、右側が雌花です。雌花には既にイガになるトゲがあります。(2014年6月撮影)


一般的に栗の皮だと思われている鬼皮が、他の果物の果肉にあたる部分で、表面の皮(鬼皮)をむいた渋皮つきのものが種になります。
私たちが食べているの栗の実と言われているものは、実は栗のタネの部分なのです。

・鬼皮のついた栗の実と鬼皮を剥いだ栗の実です。
 鬼皮は他の果物の果肉にあたる部分で、 中央と左側の鬼皮を剥いだ渋皮と中身が栗のタネに当たります。


・前記のイラストです。
 イガは他の果物の皮に当たり、鬼皮が果肉で、渋皮と中身は種に当たります。(以下、農水省のHPより)
みんなが食べている部分は種

「美味しい栗の見分け方」
・鬼皮(外側の硬い皮)に張りがある。
・鬼皮の茶色が濃い。
・指で押してもブカブカしていない。
・白いブツブツがついていない。
・座(底の部分)に黒っぽい箇所がない。
・座がベトベトしていない

「鬼皮の剥き方」
(1)生栗を熱湯に10分つけておく。
(2)包丁で座から頭に向け、切り込みを入れる。
(3)手で鬼皮をむく。

「渋皮の剥き方」
(1)沸騰した湯に鬼皮をむいた栗を入れる。
(2)1分から2分ゆでる。
(3)火を止めて鍋から出す。
(4)手で触れるくらいに温度が下がるまで待つ。
(5)手で渋皮をむく。

「モンブランと栗の関係」
なお、ケーキに栗を乗せたケーキはモンブランとして知られていますが、栗とは全く関係ないそうです。
フランス語で“モン”は山、“ブラン”は白という意味です。
ケーキが山のような形をしていることから、イタリアとフランスの国境にあるアルプス最高峰の山“モンブラン”にちなんで名付けられたといわれています。

以上、今日は秋の味覚「栗」について農水省のHPからご紹介しました。
ご参考になれば幸甚です。



イチゴの畝作りと定植

2019-10-18 | 家庭菜園

今年もイチゴの定植時期がやってきました。
今回、定植したイチゴは来年5月頃に収穫するもので、ゴールデンウィークにやってくる孫たちが楽しみにしているものです。

「畝作りと定植」
今年植えるイチゴの場所は西瓜の後の畝に植えるのですが、その畝の後片づけが先月下旬になってようやく終わったところであり、例年に比べて畝作りの準備が大幅に遅れました。
更に、夏の猛暑の厳しさが10月初めまで続いたため、イチゴの苗がたくさん枯れたことなどから、6畝分の苗が確保できるのかどうかとても不安でした。

しかし、例年通り6畝を準備することにしたので、その畝作りをご紹介します。

・西瓜を片付けた後の畝です。この場所にイチゴの畝を6畝作ります。


畝作りでは、今年は1畝に2条植えで30株を植えるように作りました。
まず、畝幅60㎝を目安に畝の中央部分の土を片方に寄せ、浅い窪みを作ります。
その窪地に、石灰、油粕、ようりん、配合肥料、牛糞、化成肥料を入れて小型テーラー(耕運機)で耕します。

・耕す前に肥料を入れた状態の畝です。


テーラーで耕した後、もう一度ようりんを入れます。
ようりんは甘いイチゴを作るための必須肥料と思っているので少し多めに入れました。
次にロープを張り、それに沿って土を戻し、畝幅60㎝の畝を完成させます。

・幅60㎝の畝が完成しました。


その作業を繰り返して6畝完成させます。
畝の完成後、雨が降るのを待ってからイチゴの植え付けをします。

・上記と同様に施肥と耕運を繰り返し、6畝完成させました。


昨年まではたくさん苗が採れたのですが、今年は冒頭に書いたように暑さの関係でランナーが出ず、十分育った苗が少なく、細い株を含めて180株を確保しました。

 ・定植用株の一部です。


畝作りから10日ほど後に台風19号が雨を降らせてくれたので定植することにしました。
定植が例年より少し遅れたので、降雨の翌々日、まだ十分乾いていない状態の畝に植え付けることにしました。

画像の左端の畝にはアスカルビー30株を、右端の畝にはアキヒメ30株を、その内側の4畝にはトヨノカ120株を植え付けました。
まだ乾く前の柔らかい畝でしたが、何とか10月中旬までにすべて植え付けが終わり、ひとまず安心した次第です。
この後、除草や追肥、マルチ張りを行い、来年4月ころに防獣・鳥鳥網を設置して収穫を待ちます。

・細い苗も含めて6畝に定植ができたイチゴ畑です。




「逃げ水」の原理

2019-10-16 | 雑学

NHK-BS放送に、毎週月曜日から金曜日までの午前7時45分から8時まで放送している「こころ旅」という番組があります。
この番組は視聴者から募集したその人の心の風景を、俳優の火野正平さんが自転車で尋ねるものです。

先週は福井県の旅でした。
収録日は数週間前だったのでしょう。とても暑い日だったように感じました。
その暑さの関係で「逃げ水」現象が現れているのを正平さんが見つけていました。
同行している撮影隊もその現象を撮影して数秒間見せてくれました。

逃げ水現象は実際に見たことがありますが、今回テレビを観て、”何故起きるのか?” という疑問が湧き、その発生原理について調べることにしました。

・道路上に水を撒いたような「逃げ水」現象です。(ネットより)


「逃げ水」
逃げ水とは、あたかも地面に水があるかのように見える現象のことです。
風のない、良く晴れた暑い日に起こる現象で、実際には水などないにもかかわらず、少し先に水が溜まっているよう見えます。
近づいてもそこに水はなく、さらに先に同じようなものが見えるだけのため、まるで水が逃げていくように感じられるということから「逃げ水」と言われ、「地鏡」とも呼ばれます。

 「逃げ水の発生原理」
1.逃げ水の発生原理は下の画像をご参照ください。
2.暑い日のアスファルトの上には空気に温度差が生まれます。
3.光は暖かい空気と冷たい空気の境目で曲がる性質があるため、空の光が上向きに曲がります。
4.遠くにある空の光が道路の近くで上向きに曲がると、目に届いてなかった空の光が、人の目に入ってきます。
5.その結果、曲がった部分で道路に空が映り、水が浮いたように見えるのです。
 
・「逃げ水の原理」(ネットより)


自然界にはいろいろと不思議なことがたくさんあります。
子供さんたちが自然科学に興味を持ってくれれば嬉しいですね。



油断大敵

2019-10-14 | 雑学

「油断大敵」という熟語があります。
「油断」は「気を抜くこと」や「注意を怠ること」を、「大敵」は「強く手強い敵」をそれぞれ意味していることから、「油断こそが手強い敵」であり、「思わぬ失敗につながる」との意味になり、「気をぬいてはいけない」、「注意を怠ってはいけない」と言う戒めの言葉として使われます。

今日はこの語源について調べました。

「語源」
油断大敵の語源は、一説に仏教に由来すると言われています。
今からおよそ1200年前、天台宗を開いた伝教大師・最澄が、比叡山の山中に根本中堂を建立し、大師自ら薬師如来のご本尊を彫り、「明らけく、後の仏の御世までも、光伝えよ法の灯しび」と、御心を込めて点灯された尊火があります。
この灯が最澄が灯して以来、1200年間一度も消えることなく燃え続けている「不滅の法灯」です。
この灯りは全国数か所に分燈されており、その中に山形県の通称・山寺「立石寺」があります。

「不滅の法灯」も長い歴史の中で一度消えたことがあります。
それは、1571年に織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ちの時です。
しかし、以前、山形県の立石寺に分灯していたことから、これを活かして再び光を取り戻しました。

この「不滅の法灯」は毎日、僧侶の手によって菜種油が補充されることで火は燃え続けているのですが、もし、気を抜いて注ぐことを忘れたりすると1200年の灯火が消えてしまいます。
ここから油断大敵という言葉ができたという説があります。

他には、原始仏教の経典「北本涅槃経(ほくほんねはんぎょう)」にある逸話が語源とも言われています。
逸話では、インドの王様が家臣に対し「油を入れた鉢を持って街の中を歩くよう」命じ、油が一滴でも鉢からこぼれたときには処刑すると告げたというものです。
鉢いっぱいに入れた油が一滴でもこぼれないように歩くのは極めて難しいことであり、このことが「注意を怠ると命取りになる」の意味の「油断大敵」の語源とされる説です。

更に、古語「ゆたに」が語源とされる説もあるようです。
「ゆたに」とはのんびりとした様子を表す語で、万葉集にも使われている古い言葉です。
その「ゆたに」が変化して「油断」となり、「油断大敵」の言葉が生まれたという説です。

いずれにしても、「気の緩み」や「注意を怠けること」により、思わぬ失敗や危険をまねくことがあることから、「油断大敵」の言葉は戒めの言葉として肝に銘じておきたいものです。


煮詰まる

2019-10-12 | 雑学

先日、読売新聞のコラム欄に次のような記事が載っていました。

<会社で、部下が上司に仕事の進み具合を聞かれて、「煮詰まっています」と答えました。
部下は仕事が難航する状況を伝えたつもりですが、上司は「仕事が最終的な段階にさしかかった」と受け止めた。>
という内容です。

コラムのこの記事は、医療実績の少ない公立病院の統廃合について、じっくり議論を煮詰めてほしいということを主眼に書いているのですが、その中で冒頭の会話を例えて、正反対の意味に用いられる「煮詰まる」について考察されているものです。

皆様は「煮詰まる」についてどのようにご理解されているでしょうか?

「煮詰まる」の本来の意味は、意見が出尽くして結論を出す段階になることですが、30代より若い人は7割以上の人が本来の意味ではない、「(議論が行き詰まってしまって)結論が出せない状態になること」と反対の意味で理解しているそうです。

「平成19年度の国語に関する世論調査」
このことは、文化庁が行っている平成19年度の「国語に関する世論調査」にも表れています。
調査では、「七日間に及ぶ議論で計画が煮詰まった。」という例文を挙げて、「煮詰まる」の意味を尋ねたところ、次のような結果がでているのです。
(下線を付したものが本来の意味。)

(ア)(議論が行き詰まってしまって)結論が出せない状態になること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37.3%
(イ)(議論や意見が十分に出尽くして)結論の出る状態になること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56.7%
(ウ)(ア)と(イ)の両方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.2%
(エ)(ア)、(イ)とは全く別の意味 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 0.2%
(オ)分からない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4.6%

この調査から、全体では本来の意味である「(議論や意見が十分に出尽くして)結論の出る状態になること」を選択した人の割合が高くなっていますが、年代別の結果では、40代を境にして「結論の出る状態になること」と「結論が出せない状態になること」を選んでいる人の割合がはっきりと逆転しています。

「本来の意味ではない年齢別割合」
本来の意味ではない「結論が出せない状態になること」を選んでいる人の年齢別割合は下記のとおりです。
・16~19歳・・・76.3%、
・20代・・・・・・・ 69.5%、
・30代・・・・・・・ 73.0%、
・40代・・・・・・・ 50.3%
・50代・・・・・・・ 20.4%
・60代以上・・・ 16.2%

つまり、若い世代では「結論が出せない状態」、年配の世代では「結論の出る状態」というように、正反対の意味でこの言葉を使っている可能性があるということです。

 「煮詰まる」を 広辞苑で調べると、
①煮えて水分がなくなる。
②転じて議論や考えなどが出尽くして結論を出す段階になる。
と説明しています 。

辞書が示すように「煮詰まる」の本来の意味は、意見が出尽くして結論を出す段階になることですが、近年では、「議論が行き詰まり、結論が出せない」という意味で使用されるケースが多いということです。

使う人によって,正反対の意味で用いられることのある言葉は,コミュニケーションの上で、重大な誤解を生む危険があるので注意が必要ですね。