「三つ巴の決定戦」
大相撲九州場所は西前頭9枚目の阿炎が12勝3敗で初優勝を果たし、今場所もまた平幕力士の優勝となりました。
平幕力士が優勝するのは先場所、先々場所に続いて3場所連続であり、これは優勝制度が確立した明治42年以降はじめてのことです。
今場所は横綱照ノ富士が先場所に続いて休場となったため、大関陣の奮起が期待された場所だったのですが、11日目までには優勝争いに大関陣の名前が上がっていませんでした。
終盤になって星のつぶし合いから優勝ラインが下がったため、千秋楽に辛うじて貴景勝が優勝戦線に顔を出したという状態でした。
そして、千秋楽に優勝を目前にしていた平幕の高安が阿炎に敗れて3敗になったことから、12勝3敗で並んだ大関貴景勝と高安、阿炎の3力士で「三つ巴(みつどもえ)」の優勝決定戦を繰り広げ、阿炎が初優勝を果たしたのでした。
・「三つ巴」です。
「三つ巴の意味」
ところで前述したように、今場所は三つ巴の決定戦を繰り広げたのですが、3人で戦うことを何故「三つ巴」というのでしょうか?
「三つ巴」の基本的な意味は、3つのものが円を描くように渦巻いていることで、ここから以下の3つの意味が生じています。
・3つのものが入り乱れて対立していること
・3人が向かい合って座っていること
・巴が3つ組み合わさって円形になった模様
「巴とは」
「巴」とは「鞆絵(ともえ)」のことで、弓を射るとき手首につける皮革製の道具の形やそこに描かれた文様のことを指します。
他に稲光や神霊が宿るとされる勾玉を由来とする説や、蛇や人魂(ひとだま)をかたどったものを「巴」とする説などもありますが、いずれも決め手がなく今のところ定説となるものは見出されていません。
「巴の由来」
「ともえ」の起りには、弓を射る時に使う「鞆」を図案化したもので、もとは鞆絵であるという説や、勾玉を図案化したものであるとの説、などがあります。
その後、水が渦をを巻くさまとも解釈されるようになり、本来、中国では人が腹ばいになる姿を現す象形文字の「巴」という漢字が、形の類似から当てられたそうです。
「鞆の由来」
刀剣ワールドさんのHPによれば「鞆」の由来について以下のように説明されています。
鞆(とも)は、古代に用いられた弓具の一種です。
武具としては8世紀ごろまで使用され、中世以降は武官の儀礼用となりましたが、14世紀中期ごろ以降は使われなくなりました。
大きさはこぶし大で革製、なかに稲わらを詰め、外側は黒漆を塗り革緒で結びます。
左腕に結び付けて弓を射るときに弦(つる)がひじを打たないようにした他、釧(くしろ:軍陣や狩猟の際に手首に付けた飾りのこと)にあたって破損するのを防ぎました。
鞆の表側には巴/鞆絵(ともえ:水が渦を巻いて外へめぐるような形・模様のこと)を描いています。
弦が触れたときの音響が「とん」や「ぽん」と言うところから「とも」と呼ばれ、革製のため国字で「鞆」と書きました。
と説明しています。
巴の由来は以上のとおりですが、大相撲では、平成6年春場所以来28年ぶりの「三つ巴の決定戦」となった優勝の行方は、西前頭9枚目の阿炎が高安と貴景勝を下して初優勝したのです。
心情的には高安に優勝して欲しかったのですが、勝負の世界は厳しいものですね。