皆様は奥様に「ありがとう」と感謝の言葉をかけていますか?
奥様が喜ぶような家事を手伝っていますか?
出来ていない方は、せめて明日だけでも感謝の気持ちをお伝えくださいね。
「急に何を言い出すのか?」
と思われるかも知れませんが、実は明日の1月31日は「愛妻の日」なのだそうです。
「愛妻の日」
愛妻の日とは、 日本愛妻家協会が1月31日の「1」をアルファベットの「アイ:I」に見立て、「31」を「サイ」と読んで「愛妻の日」と制定したものです。
その理念は「妻というもっとも身近な他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない」と言う甘い理想のもと、日本独自の伝統文化かもしれない愛妻家と言うライフスタイルを世界に広めていこうという文化活動だそうです。
「由来と活動」
愛妻の日の由来は、群馬県に本部を構える日本愛妻家協会が前記の理念のもとに制定しました。
同協会によれば、その活動には以下の項目が掲げられています。
1.愛妻家という日本独自の文化の再生
2.絶命が危惧される愛妻家の保護育成
3.妻に感謝をささげる「愛妻家の日」制定
4.倦怠感削減の知恵を地球規模で共有
5.妻恋村を世界の愛妻家の聖地にする
「てみる5原則」
また、日本愛妻家協会によれば、愛妻家のための「てみる」5原則があります。
1.やってみる・・・妻が喜ぶ家事一つ
2.出してみる・・・気付いた時の感謝の言葉
3.聞いてみる・・・世間話と今日の出来事
4.捨ててみる・・・見栄(みえ)、照れ、建前(たてまえ)、世間体(せけんてい)
5.なってみる・・・ 恋した頃の触れ合う気持ち
上記、5原則については、皆さんは既に実行されていらっしゃることと思います。
もし、まだの方がいらっしゃったなら、せめて愛妻の日の明日1日だけでも、この内の一つでも実践されてみては如何でしょうか?
「日本武尊の愛妻家伝説」
群馬県嬬恋村の村名の由来は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の愛妻伝説にあります。
昔々、日本武尊が東征中、海神(ワタツミ)の怒りを鎮めるために愛妻・弟橘姫(オトタチバナヒメ)が荒れ狂う海に身を投じました。
その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)に立ち、亡き妻を偲んで「吾嬬者耶(あずまはや)=ああ、わが妻よ、恋しい」と嘆きました。
これが世界初の愛妻家宣言、と言われています。
毎年、晩秋から春先にかけて、我が家の庭にはメジロやヒヨドリ、たまにシジュウカラなどの野鳥がやってきます。
これらの野鳥は木の実や花の蜜を求めてやってくるのですが、先日、イソヒヨドリと思われる野鳥がやってきました。
この鳥は千両の実を食べに来たようです。
・イソヒヨドリと思われる野鳥が我が家に初めて顔を見せました。
日本では嘗ては磯や港など海岸周辺がイソヒヨドリの主要な生息地域でしたが、1980年頃から内陸部の地方都市で繁殖が確認されるようになり、2000年代に入ってその数はさらに増加しているということです。
現在では関東、近畿など大都市圏で見かけることも珍しくなく、電線や看板に留まっていたり、住宅地やビルの間を飛び回る姿を見かけるようになりました。
・イソヒヨドリが食べに来た千両の実です。
「イソヒヨドリ」
イソヒヨドリを調べてみました。
イソヒヨドリ(磯鵯) は、スズメ目、ヒタキ科に分類される鳥で、アフリカとユーラシア大陸に広く分布しています。
ヒヨドリと和名がついていますが、分類上はヒヨドリ科ではなくヒタキ科でツグミの仲間です。
体長は23cmほどでヒヨドリよりは少し小さく、体色はオスは頭から喉および背部が暗青色、胸腹部がレンガ色のような赤褐色、翼が黒と鮮やかに色分けされていますが、メスは全身がうずら模様の茶褐色で薄い水色が入っています。
・オスのイソヒヨドリと思われます。
「幸せの青い鳥」
青色の姿をした鳥は「幸せの青い鳥」とも呼ばれ、幸運の象徴して人気がありますが、イソヒヨドリのオスも青い部分の多い鳥であるため、「幸せの青い鳥」と呼ばれることがあるようです。
幸せの青い鳥、オスのイソヒヨドリが我が家にやってきました。
幸運が訪れることを期待したいと思います。
冬の寒さにも負けず、紅白のねじれ模様が特徴の美しい花を咲かす「オキザリス・ベルシコロール」が咲きました。
「オキザリス・ベルシコロール」
オキザリスはカタバミ科に属する多年草で、原産地の南アフリカを始め世界中に800種以上分布する植物です。
花が少なくなる11月下旬から2月~3月頃までが花期ということで、我が家でも丁度いま綺麗に咲いています。
冬の殺風景な庭に紅白のねじれ模様が自己主張しており、我が家では冬には欠かせない貴重な花となっています。
オキザリス・ベルシコロールは酢漿草(カタバミ)科、カタバミ属の植物です。
絞り模様がある特徴から、和名を「シボリオキザリス〔絞り酢漿草(カタバミ)〕」と呼ばれています。
・蕾から開きかけた時がとても綺麗です。
「カタバミの漢字表記」
カタバミの漢字表記は「酢漿草」「片喰」「傍食」などが使われます。
・「酢漿草(カタバミ)」は「酸っぱい汁の草」の意味のとおり全草にシュウ酸を含むので、かなり酸っぱい味がするそうです。
・また、「片喰(カタバミ)」や「傍食(カタバミ)」は、閉じた葉が半分食べられたように見えることからつけられたようです。
カタバミという名前は、夜に葉が閉じて、半分になったように見えるからとされており、葉が夜に閉じるのは、水分の蒸発を防ぐためと考えられます。
今年は辰年という事で先日、辰と風雲について取り上げました。
今日も龍に関わりのある言葉を取り上げたいと思います。
「海千山千」
その言葉とは「海千山千」です。
海千山千とは、広辞苑によれば、海に千年、山に千年住んだ蛇は龍になるという言い伝えから、世知辛い世の中の裏も表も知っていて老獪(ろうかい)な人。
と説明しています。
「蛇と竜」
なお、「竜」の体は大蛇、蛇に似ているとされ、蛇と竜はつながりがあり、中国の書物には『蛟(みずち)千年化して竜になる』という言い伝えもあるそうです。
この蛟(みずち)は蛇に似た伝説の生き物で、その蛟も千年生きると「竜」に生まれ変わるという言い伝えです。
「言葉の由来」
「海千山千」の言葉は、『海に千年、山に千年』が略されてできた言葉です。
そしてその意味は、ご存知のように、世知辛い世の中の裏も表も知っていて老獪(ろうかい)な人、経験を積み、物事に通じて抜け目がない人、悪賢い人を意味し、古狸や腹黒に通じる言葉です。
このように「海千山千」は褒め言葉ではありません。
ところが、中には『海に千年、山に千年』という部分だけをとって『あの人は海千山千の苦労人』といった使い方をする人もいるようです。
実は「海千山千」は、単に経験豊富で知見のある人を意味するのではなく、「深い知識を使ってずる賢く行動する」というネガティブなニュアンスを含んでいます。
間違って相手を褒めるタイミングで使ってしまうと、大変失礼になってしまうので気を付けたいですね。
辰と風雲
自民党内の政治資金パーティーを巡る裏金疑惑に関して、関係する派閥が収支報告書の訂正を検討していると報じられていました。
安倍派では約6億円近くに上る裏金化の可能性があることから、取り扱いを巡る問題が表面化しており、政治資金の舞台裏では風雲急を告げているようです。
今年は辰年で、この「風雲」という言葉は辰に関係がある言葉なので、辰年の年に政治の世界でこの言葉を使用するような出来事が判明したという事は、もしかすると龍が怒ってこの問題を明らかにしたのかも知れません。
「風雲」
「辰」と「風雲」はどのような関係なのか、広辞苑によれば「風雲」とは、
①風と雲。自然。
②龍が風と雲とを得て天に昇るように、英雄、豪傑などが世に頭角を表す好い機会。また、世が大きく動こうとする気運。
と説明しています。
「竜」は古代中国に由来する架空の動物で、雲をよんで雨を降らせ、好機に天に昇るとされています。
辞書が示すように、「竜」は、天に昇る時には風と雲に乗って天に昇るように英雄、豪傑などが世に頭角を表す好い機会であり、転じて、世の中が激しく動きそうな気運をも言うようになりました。
そして、今にも大きな変動が起きそうな、差し迫った情勢を形容して「風雲急を告げる」と表現します。
政治における「風雲」とは、新勢力が旧勢力を凌駕する変動期という事でしょうか?
自民党内でも今「風雲急を告げている」ように感じられます。
風雲急を告げている今こそ、自民党内から風雲児が出てほしいものですが、今の自民党の体制の中では党内からの風雲児の出現は難しいでしょうね。
私は40歳代からジョギングをしていた関係で、今までに足の不調は一度もなく、足には自信があったのですが、今月3日にその自信はもろくも崩れ落ちました。
その理由は、正月3日に左足の大腿骨上部、太ももの付け根の外側の大きなふくらみ部分の大転子辺りに痛みが生じたのです。
私は毎朝5㎞ほどのウォーキングをしていたのでその疲れからかと思い、湿布薬を貼って無理をしない程度にゆっくりとウォーキングを続けました。
しかし、痛みは治まらず、次第に痛みが激しくなったことから、町内の整形外科クリニックを受診しました。
レントゲンの画像診断の結果は坐骨神経痛、病名は腰部脊柱管狭窄症と言われ、現在、処方された痛み止めの錠剤を服用しているところです。
自信を持っていた足で医療機関の世話になるなんて、情けない限りです。
「腰部脊柱管狭窄症」
早速、腰部脊柱管狭窄症について調べてみました。
ネットによると、腰部脊柱管狭窄症とは、椎間板が変性して後ろに飛び出してきたり(椎間板ヘルニア)、靭帯が厚くなって前のほうに圧迫を起こしてきたり(靭帯肥厚)、骨が厚くなったり腰椎の並び方がずれてきたり(腰椎すべり症)すると、脊髄や神経がこれらによって圧迫され、様々な症状(腰痛・足のしびれ・麻痺など)が出現しますが、この状態を腰椎症または腰部脊柱管狭窄症と呼んでいます。
脊柱管は背骨、椎間板、関節、靭帯などで囲まれた神経が通るトンネルですが、長い年月の間、体を支えているとこれらの組織が変形し、脊柱管が細くなることがあるそうで、私の場合、脊髄がすこし湾曲しており、腰椎の並び方が少しずれてきて脊柱管が狭くなっているようでした。
「症状」
症状は腰痛、歩行障害、足のしびれ、筋力低下、排尿・排便障害などで、特に典型的なのは間欠跛行(かんけつはこう)だそうです。
間欠跛行とは、長距離を続けて歩くことができなくなり、歩く、休むを繰り返す状態のことを言います。
しばらく歩いていると、脊椎に負荷がかかり、神経が圧迫され、足腰に痛みやしびれを感じて歩きにくくなったり、歩けなくなったりしますが、しゃがんで休憩したり、前かがみになったりすることにより、神経の圧迫が解放されるような姿勢で休憩すると、また歩けるようになります。
私の場合、冒頭に書いたような症状は出ておらず、まだそこまで悪化していません。
「治療」
日本脊椎脊髄病学会によると、脊柱管は前かがみで広くなり神経の圧迫が改善します。
そのため歩行時は杖やシルバーカーを押して腰をかがめると下肢痛が楽になるようです。
ただ、腰をかがめた姿勢は腰痛の悪化につながることがあり、長期間その状態を続けることはお勧めできないということです。
手術以外の治療は薬、運動、注射(ブロック)が主体で、これらの治療で症状が改善することもありますが、下肢痛による歩行障害の進行や排尿・排便障害の出現で日常生活に支障が大きい場合には手術で神経の圧迫を取り除くようです。
より詳細な診断には、MRIや脊髄造影などの検査が必要となります。
私は処方していただいた3種類の錠剤の服用で、昨日も今日も痛みはほとんど感じなくなりました。
30~40分程度であれば以前と同じように歩けるまでに回復してきました。
でも、少し重たいものを持つと左足に負担が生じ、痛みが出てきます。
それにしても人の身体って弱いものですね。
自分では健康に自信があると思っていたのですが、ある日突然医者に罹らなければならなくなるなんて、惨めなものです。
皆様もどうぞお気を付けください。
先日、昭和34年の松竹映画「お早う」を観ました。
この映画はNHK-BSがデジタル修復版として放送したものをBDに録画していたものです。
映画の中ではテレビが普及する頃のシーンが出てきたのですが、このシーンの中でも、昭和32年頃の実際の当時の世相においても、テレビの普及によって「一億総白痴化」という事がよく言われていました。
この言葉はよく覚えているので懐かしくなり、今日のテーマに取り上げることにしました。
「一億総白痴化」
一億総白痴化とは、社会評論家の大宅壮一(1900ー1970年)が生み出した言葉で、流行語となりました。
評論家の大宅壮一は、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」と言い、この言葉はこのような意味合いから作られた造語です。
この言葉は、低俗番組を放送するテレビが日本国民を愚衆化する点を危惧した言葉として1957年頃の流行語になりました。
「時代背景」
この言葉は、もともとは『週刊東京』1957年(昭和32年)2月2日号における以下の論評が広まったものです。
テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。
この『一億白痴化』の中程に「総」がつけられて広まり流行語となったのが『一億総白痴化』ですが、「総」は、松本清張が「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」という表現で「総」をつけたという事です。
「大宅映子が一億総白痴化を解説」
娘の大宅映子氏が7~8年前の講演で次のように述べています。
父が作った新語の「一億総白痴化」とは、テレビというのは目から入ってきて刺激がものすごく強く、茶の間にいながらにして、いろいろな情報がバンバン入ってきて、考える暇を与えません。
しかも、視聴率競争があるので、どんどん刺激が強くなります。
父は「人間というのは刺激をより求めるものであって、見ているのは、ばかばかしいと思いながら、つい見てしまうのが人間だ」と書いているのです。「それに慣らされてしまうと、考えることをしなくなって、みんながどんどん白痴になるよ」ということです。
白痴化の「化」というのは傾向を表す言葉で、警句だったわけですが、今は、この「化」がもう取れてしまったのではないかなと、私は何年も前から思っています。
と述べています。
「テレビ黎明期の警鐘の言葉」
「一億総白痴化」の流行語から67年、テレビは私たち国民にとってなくてはならない存在となっています。
大宅壮一が主張した「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という主張は正しかったのでしょうか?
確かに、テレビ番組の中には非常に低俗なものもありますが、そこは視聴者自身が番組の善悪を判断して視聴していると思います。
現在では「一億総白痴化」というこの言葉を知らない人が多いのではないでしょうか。
この言葉はテレビの黎明期における警鐘として、大宅壮一が言ったのではないかと思います。
皆さんも一度や二度はご経験があると思います。
「こむらがえり」です。
痛いですよね。
私もたまに「こむら返り」になることがありますが、激痛が走ってとても辛いです。
私がこむら返りになる時は、ベッドで仰向けになって背伸びをしたときが殆どです。
その時は、アキレス腱を伸ばすようにして暫く我慢しているのですが、その間とても辛いです。
でも、こむら返りはなぜ起きるのでしょうか?
「こむら返り」
こむら返りをネットを調べると、主にふくらはぎの筋肉が異常に収縮して、痙攣(けいれん)を起こすことで起こります。
ちなみに、「こむらがえり」の「こむら(腓)」とはふくらはぎを指す言葉で、その名の通り、ふくらはぎに多く起こりますが、実は、足の裏や指、太もも、胸など、体のどこにでも発生するようです。
運動中や就寝中に発症することが多く、妊娠中や加齢によっても起きやすくなるということです。
こむらがえりを起こすと、強い痛みを伴いますが、ほとんどの場合は数分間でおさまります。
「原因」
ある病院のHPによれば、「こむら返り」を起こす原因は次のように書かれていました。
ふくらはぎなどの筋肉は過剰に伸びたり、収縮したりすると、無理な動きによって傷めてしまいます。
それを防ぐために、2つのセンサーが備わっており、伸びすぎを防ぐのが筋紡錘(きんぼうすい)、縮みすぎを防ぐのが腱紡錘(けんぼうすい)です。
そのうちの腱紡錘の働きが低下すると、筋肉が異常に収縮して痙攣を起こしてしまいますが、それが、「こむらがえり」ということでした。
「対処法」
くすりのスギ薬局によれば、こむら返りが発生したときの応急処置として、痙攣を起こしている筋肉を伸ばす方法が効果的と記されていました。
・足を前に投げ出すように座り、つま先を手でつかみ、手前側にゆっくりと引き寄せて伸ばします。
・つま先に手が届かない場合、タオルをつま先にかけて引っ張る方法を試してみてください。
・対処する際に大切なのが、ゆっくりと慎重に行うことです。
・急に伸ばすと筋肉を傷めてしまうため、伸ばした状態で姿勢を保持し、ゆっくりと戻すよう意識して下さい。
「予防法」
①十分な水分補給を心掛ける
②筋肉のはたらきに関係するミネラルを摂取する
③ふくらはぎを温めて冷えを防ぐ
④適度な運動とストレッチを行う。
詳しくは「スギ薬局」の「こむら返りはなぜ起きる」にリンクしておきますのでご参照ください。
「呼び名」
ところで皆さんは「こむらがえり」を「こむらがえり?」それとも「こぶらかえり?」のどちらで呼んでいますか?
私は最近では「こむらがえり」と呼んでいますが、昔は「こぶらがえり」と言っていました。
というのは、「こむら返り」の激痛は、猛毒の蛇「こぶら」から命名されたのかと思っていたからなのですが、調べてみると蛇とは全く関係はありませんでした。
実は大阪では昔はふくらはぎのことを「こぶら」と言っていたようであり、今でも多くの人が「こぶら返り」というそうです。
「注意」
なお、たまに筋肉がつるという場合はあまり心配しなくても大丈夫ですが、週に1回以上つるという方は、病気が隠れている可能性があるそうです。
すねの筋肉がつりやすい方は、腰部椎間板ヘルニア、腰部脊柱管狭窄症など、腰や背中の神経が悪くなっているケースが多いそうです。
また首や大胸筋など上半身を含めて全身の筋肉がつりやすい方は、糖尿病や動脈硬化、心筋梗塞など、整形外科領域以外の病気が隠れている場合もあります。
頻繁に筋肉がつる方は、早めにかかりつけの医師に相談し、かかりつけの医師がいない場合は、まずは整形外科を受診して欲しいとのことです。
いずれにしても「ちょっとつりやすいだけ」などと思わずに、専門医にご相談くださいとのことです。
子供たちの冬の遊びの一つに凧あげがあります。
凧上げは日本発祥かと思っていましたが、その起源は古代中国なのだそうです。
「古代中国の凧」
古代中国では凧を軍事目的に使っていました。
紀元前5世紀頃の春秋戦国時代に、鳥の形をした木製のタコに人が乗って偵察したり、漢の武将・韓信が凧の糸の長さで敵陣との距離を測ったりしたと言われています。
「人が乗る凧?」
”木製の凧に人が乗って偵察する” と書かれていたので調べてみると、凧は2500年ほど前(紀元前5世紀)に墨子(春秋時代末期から戦国時代初期に活躍した中国の思想家)が木の鳶(とび)を揚げたと言われています。
そして、その200年後の紀元前3世紀頃にも木製の凧が中国の空に揚がったそうです。
その凧とは、公輪子(魯の機械技師)が竹木を揚げた鵲(カササギ)の彫像を作り、できあがったこの人工鳥を飛ばしたところ、それはようやく3日後に地上に降りてきたと言われています。
公輸子は、手に入れたいと思っていた都市の様子を探るため、木鳶(木製の鳶)に自ら乗って空へ昇ったという別な伝承もあるそうです。
同じころ、前漢の英雄・韓信は敵陣までの距離をトンネルを掘って測る為の測量用具として凧を使用したという事です。
「日本への伝来」
その後、凧揚げはアジア全体に広まり、さまざまな文化や伝統の中で使われるようになりましたが、日本には平安時代に伝わりました。
当初は貴族の遊びだったようですが、次第に庶民の間にも広まり、特に江戸時代には大きなブームとなりました。
江戸時代には「いかのぼり」と呼ばれ、江戸の庶民の娯楽として流行しました。
流行と共に路上でのケンカが起きたり、大名行列に落ちたりするなどの問題が相次いだことから、幕府は1655年に「いかのぼり」の禁止令を出しました。
イカがダメならタコとばかりに「たこのぼり」が出現したのですが、この「たこのぼり」も翌年には禁止する旨の命令が出ました。
「凧あげの意味」
日本の凧揚げには多くの意味が込められています。
その一つは、立春の時季に空を見上げることは健康に良いという意味の言葉があり、そのため新年を迎えると健康を祈るために凧揚げをするようになったといわれています。
また、年の最初に男の子の誕生を祝う儀礼として、無事に成長することを祈りつつ凧揚げをしていたという説もあるようです。
現在でも子供の健康を祈るためにも凧あげが行われたり、一部地域では男子の出生を祝うために巨大な凧を揚げる習慣もあるようです。
凧上げは単なる遊びではなく、祈りや願いを天へ届けるという意味があるのですね。
「鏡開き」
昨日は鏡開きでした。
鏡開きとは、1月11日(地域によって異なる)に年末から飾っていた正月の鏡餅を下ろし、神様が宿った鏡餅を食べることで、その年を無病息災で過ごせる力を分けていただくとされている行事です。
食べ方に決まりはありませんが、昔ながらの鏡開きでは、お雑煮やお汁粉など、餅を煮て食べることが多いようです。
鏡開きは正月に終わりを告げる正月行事のひとつです。
昔の人は鏡開きを行うことで平常モードに切り替えていきました。
この鏡開きの日は地域によって違うようです。
関東など多くの地域は1月11日のようですが、関西の鏡開きは1月15日もしくは1月20日に行われるのが一般的です。
その背景は、関西では正月飾りを飾っておく松の内の期間が1月15日になっているところが多く、松の内は神様がいらっしゃる時期でもあることから、このタイミングで鏡餅を片付けるのは神様に対して失礼な行為となることからです。
「大阪の雑煮」
ところでお正月にはお雑煮を食べられたことと思います。
私は半世紀以上大阪に住んでいるものの浪速っ子ではないので、雑煮の食べ方は故郷の岡山で一般的に食べられている食べ方で頂いていますが、大阪には伝統的なお雑煮の食べ方があるようです。
調べてみると、大阪のお雑煮は、元旦と二日目以降で変わるようです。
先ず、元旦のお雑煮は京風の白みそ仕立てです。
そして二日目以降は薄口しょうゆのすまし仕立てとなります。
元旦と二日目以降で異なる理由は、「飽きない(商い)ように」と、「商い」に掛けているからだと言われています。
大阪らしい洒落た言葉遊びの風習ですね。
大阪らしいと言えば、お雑煮に入れる具材も然りです。
お雑煮には、丸餅の他、子芋(里芋)、雑煮大根、金時人参などがありますが、いずれも丸く切って入れます。
これは「物事を丸く収める」とか「家族円満」に掛けているようです。
そして、飽きないための二日目以降のお雑煮は具材は実にシンプルに水菜だけという事です。
水菜は京都原産の野菜で京野菜です。
このような事から関西地域では京野菜の水菜が入れられているのかも知れません。
私の故郷、岡山県西部の笠岡ではホウレン草を入れていたので、今でもホウレン草でいただいています。
なお、雑煮大根って聞いたことがないかも知れませんが、これは太くなる前の細い大根のことです。
関西ではこのような細い大根が正月の時期は売り出されるので、スーパーにはたくさん並びます。
我の畑でも、毎年、一般の大根より少し遅れて種を蒔き、正月に合わせるように数本植えています。
正月行事の「鏡開き」にしても、「お雑煮」にしても、地域によって異なるものですね。