昔、よく釣りに来ていた岬町の小島はすっかり変わっていました。
山側には道の駅ができており、その駅と繋がって海に200mほど突き出るような形で海釣り公園があり、大勢の釣り人が糸を垂らしていました。
「海釣り公園」
この海釣り公園は平成19年10月10日(水)に関西国際空港埋め立て土砂の積み出し桟橋を有効利用して作られたのだそうです。
「女性や子供も快適かつ安心して釣りが楽しめる釣りスポット」がこの公園のキャッチフレーズであり、更に、海釣り公園には淡路島・明石海峡大橋・関西国際空港が一望出来る展望デッキがあり、海上から『大阪で一番美しい夕陽』を楽しめると言うのも謳い文句のようです。
・海釣り公園です。
道の駅「とっとパーク小島」
豊富な漁礁、雨の日にも傘が要らない釣りスペースがあることから女性や子供も安心して釣りを楽しめるそうです。
また釣りをしなくても、無料開放スペースの展望デッキからのんびりと海を眺めるだけでもOKということです。
そして岸側の円形ドームは「とっと食堂」となっており、地元・小島産マダコ使用の「タコ飯」や「タコカレー」、週末限定メニューとして「海鮮丼」などがあるようです。
この「道の駅」を併設した岬町海釣り公園「とっとパーク小島」は平成19年10月10日にオープンしたそうです。
・道の駅「とっとパーク小島」に入ると、海釣り公園で釣りあげられた鯛やハマチ等の写真がたくさん飾られていました。
歌謡曲「大阪湾」・・・鳥羽一郎
この道の駅には、鳥羽一郎の「大阪湾」の歌が流れる石碑が造られていました。
道の駅を過ぎると、このような海岸沿いの道路を歩きます。
当日は気温が29度と少し暑かったですが、晴天に恵まれ、秋の青い空、青い海、遠くに浮かぶ淡路島を眺めていると気持も豊かになります。
そこでふと若山牧水の短歌を思い出しました。
「白鳥は 悲しからずや 空の青 海の青にも 染まずただよう」
この日、カモメは飛んでいませんでしたが、牧水は、このような海面を一羽のカモメが飛んでいる様を詠んだのでしょうね。
「円光大師遺跡」
円光大師遺跡の石碑が建っていましたが、それ以外、説明も何もなかったので詳細は分かりません。
円光大師とは、浄土宗の宗祖である法然上人の諡号(しごう:死後に贈られる称号)です。
法然上人が四国の流罪が許されての帰路、海上が荒れたためにこの油生(ゆうが)浜に漂着されたそうなので、その関係の遺跡なのかもしれません。
当日は天気がよかったので、遠くに明石海峡大橋の298.3mの主塔が薄っすらと見えました。
一昨日、現役時代の趣味の会である「歴史探訪同好会」のメンバーと、大阪府岬町から和歌山市加太までの13~14㎞を歩いてきました。
このシリーズは、「紀州街道を歩く」という名目で堺から和歌山まで歩いているものですが、前々回の泉佐野市からは、紀州街道を少し離れた海岸沿いのコースを歩いています。
今回も紀州街道の「孝子越(きょうしごえ)」を離れて海岸沿いの道路を多奈川から加太まで歩くことになりました。
気候がよくなったことから、今回は17名と過去最高の参加者となりました。
今日から数回に分けてご紹介したいと思います。
・今回歩いた多奈川駅から加太までの「大阪府道・和歌山県道65号岬加太港線(青色の区間)」です。
「産土神社(うぶすなじんじゃ)」
多奈川駅から30分ほど歩くと産土神社があります。
ここに掲げられている説明によれば、次のように書かれています。
青垣山に鎮座まします祭神イザナギノミコト、金山彦尊外に八柱の祭神を合祀した宮を産土神社と呼んでいる。
仁寿2年(852年平安時代初期)文徳天皇の勅願により、慈覚大使(円仁)が当社に隣接する天台宗興善寺を開基した時に、境内鎮守として堂宇を建て、比売大神宮(衣通姫命)を勧請したのが始めだそうです。
正和元年卯月(1312年旧暦2月10日)谷川庄西の浜に熊野権現が出現し、霊験著しく比売神社に勧請した。
その後、天正2年(1574年)織田信長の兵火で全山焦土と化したが元禄年間興善寺再建と共に当社も復興したと思われる。
明治になって神仏分離令により興善寺と産土神社とに別れたが、それ以前は、興善寺の勢力が強大で、神宮寺としての時代が長く続いた。
当社は明治5年村社に列せられ、明治41年1月9日の合祀令により、谷川村、字々の小社を産土神社外陣へ奉斎された。
・産土神社の第一鳥居です。
「本殿」
産土神社の創建年代は不詳ですが、宮山・青垣山と呼ばれ、昔から神体山として信仰を集めていたかなり古い歴史のある神社です
興善寺の鎮守社として創建され、社叢(しゃそう:神社の森)には大阪府で希少な植物を見ることができるようです。
特に参道にあるホルトの木は、府下で最大のもののようです。
・産土神社の本殿です。
「興善寺」
852年(仁寿2年)、慈覚大師(円仁)が建立した天台宗の寺院です。
古来より江戸時代まで続いた神仏習合の面影が色濃く残っているということです。
1574年(天正2年)織田信長の兵火にかかり焼かれましたが、江戸時代の元禄年間に興善寺再建されました。
「本堂」
興善寺の宗派は天台宗で、本尊には大日如来坐像が祀られています。
本堂に鎮座するその像は高さ2.9メートルもあり、両脇侍の釈迦像や薬師像とともに、国の重要文化財に指定されています。
また、広大な寺域には七堂伽藍が構えられ、古くから村人の尊崇を得ているそうです。
・興善寺の本堂です。
今回歩いたコースはこのような小さな峠越えの一般道や海岸沿いの道路です。
大阪弁に「なんぎ(難儀)やな」と言う言葉があります。
この「なんぎ(難儀)」という言葉は、ドラマや時代劇などではよく聞く言葉なのでご存知の方も多いと思います。
時代劇では、長旅から帰ってきたお侍などに対して、「おお、さぞ難儀いたしたであろう…。ささ、はよう上がってゆるりとされよ」なんて声をかけるシーンをよく観ます。
「なんぎ」は、いまでは関西以外では余り使われない言葉だと思いますが、大阪では、老いも若きも結構日常的に「なんぎやなー」を連発しています。
「難儀」には、「苦しむこと、苦労」といった意味や、「むずかしいこと。めんどうなこと。困難」などの意味があり、広辞苑にも、①難しいこと。②苦しむこと。悩むこと。③わずらわしいこと。面倒な事柄。困難。④貧窮。貧乏。と説明しています。
しかし、大阪で使用される「なんぎ」の意味はそのような意味ではなく、どちらかといえば、その場を和ますような使い方で、ニュアンス的には、「あちゃー、まいったな」とか「全ったく、なにやってんだよ」「ほんと、困った人だな」といった意味合いで使われることが多いようです。
例えば、テレビゲームをしていて、何度も同じ所でゲームオーバーをすると、大阪人は「もーなんぎやなー」と、一人愚痴ることが多くあったり、或いは又、みんなが準備万端ととのっているのに、いつまでもぐずぐずしている者がいたりすると、いらちな大阪人はたいてい「なんぎなやっちゃなー」といらつきます。
このような場合に、「のろま!」「どじ!」「早くしろ!」なんていうと角が立ちますが、「もう、ほんまになんぎなお人やな」と言っておけば、お互いにケンカになることはありません。
大阪の人たちは、物事をあからさまに言わず、婉曲的にいうのが得意であり、こうした「間接非難語」は重宝されているようです。
更に、何かトラブルが発生して進退窮まったときにも、大阪人は「うわー、なんぎなことになってしもたー」といった言い方をしますが、真にまいってしまった訳ではなく、頭の中ではせわしなく次の打開策を考えている、言わば次のアクションに至る前の"ため"みたいなものなのです。
商人の町大阪で話されている大阪言葉は奥が深いですよね。
大阪・熊取地方は16日に雨が降った後は秋の晴天が続いていました。
このため、畑はカラカラに乾燥していたことから、秋野菜への水遣りが欠かせませんでしたが、連休明けの雨で畑の畝がほどよく湿ってくれました。
毎年この時期は、来春収穫する路地植えイチゴの定植時期です。
乾燥した畝では根の活着が悪いことから、この降雨を待ってイチゴの定植を行いました。
「イチゴの苗作り」
我が家のイチゴの苗作りは、春に収穫が終わった株を別の畝に植え替えて作っています。
下の画像がその苗の畝ですが、夏の内にランナーが伸びて子株が密生している状態です。
・これがイチゴの苗です。この中から太くて根がよく伸びている苗を定植に用います。
上記の中から取り出しが定植用の株です。
このような株を6畝に植える予定です。
9月中旬に準備していた畝に、株間40㎝、条間40㎝の穴を開けます。
その穴に苗を植え付けますが、クラウンと呼ばれる根の上の太いところには土が被らないように浅植えします。
今年は6畝に162株植え付けました。定植後1週間~10日ほどで苗は活着します。
この後、来年2月頃に追肥を施し、マルチを張って5月の収穫に備えます。
5月の連休に孫たちがイチゴ狩りできるよう、ビニールトンネルを張って温度調整をします。
癌の話
今年1月に厚生労働省から発表された平成26年の日本人の死因順位別死亡数のトップは悪性新生物(癌)で約37万人でした。
続いて第2位は心疾患の 19万6,000人、第3位が肺炎の 11万8,000人、第4位に脳血管疾患の 11万3,000人と続いています。
癌、心疾患、肺炎は日本人の死因順位のトップ3であり、この3つで約54%を占めています。
特に癌だけで29.1%を占めており、昭和56年以降、日本人の死亡原因のトップとなっています。
癌では、日本人全体で死亡数の一番多い癌は肺がんですが、患者(罹患)数は胃がんで、肺がん患者の2倍以上だそうです。
因みにがんによる死亡数と患者数のベスト3は次の通りです。
・死亡数・・・男性は、肺がん、胃がん、肝臓がんの順、 女性は、大腸がん、胃がん、肺がんの順です。
・患者数・・・男性は、胃がん、大腸がん、肺がんの順、 女性は、乳がん、大腸がん、胃がんの順です。
私は今、地元の農協で開かれている電位治療器の体感フェアに通っていますが、昨日のインストラクターの話が丁度癌の話でした。
インストラクターが話すには、がんには様々な種類があって、人間のあらゆる部位に発生しますが、5が所だけがんにならない部位があるそうです。
それは、心臓、小腸、爪、歯、毛だそうです。
そう言えば、これらの5が所のがんは聞いたことがありませんよね。
では何故心臓はがんにならないのでしょうか?
理由は二つあるそうです。
一つは、心臓の細胞が特殊なため。
心臓の細胞は脳と同じように増殖することがありません。心筋梗塞で心臓の一部が壊死するケースがありますが、その場合も他の器官とは異なって新しい細胞に入れ替わることはありません。
癌は細胞の異常増殖なので心臓の細胞は癌にならないのだそうです。
もう一つの理由は心臓が高温のため。
心臓の重量は体重の約0.5%しかありませんが、体全体が発生する熱の10%以上を心臓一つが作りだしていて、常に40度近くの高温になっています。
癌の治療法の一つに温熱療法がありますが、これは癌が熱にとても弱い性質を利用した治療方法で、体温を40度近くに保つことによって癌細胞を殺してしまうのだそうです。
つまり、もし心臓に癌ができたとしても40度という高温に耐えきれず、癌細胞は死滅してしまうそうです。
心臓と同様に脾臓も他の臓器と比べて高温なため癌にかかりにくいと言われています。
小腸も40度以上の熱があるのでがんにならないそうであり、爪、歯、毛は血液が流れていないのでがんにはなりません。
反対に癌になりやすい人は低体温症の人のようです。
体温が35度以下の人は低体温症といわれ、酵素の働きが低下するため、新陳代謝が悪くなり、免疫力も低下して病気になりやすくなり、がんにもなりやすい体質となるようです。
低体温の改善には、
・冷たい食べ物や甘い食べ物を余り食べないこと。
・旬の野菜や果物を摂取して改善を図る。
・運動をする。
・お風呂にゆっくり浸る。
・お酒やたばこを控える。
・たんぱく質を摂取する。
ことなどがいいようです。
健康志向の高まりと共に、当地ではノルディックウォーキングをされている高齢者をよく見かけます。
ノルディックウォーキングは、クロスカントリースキーの選手たちが、夏の間の体力維持・強化トレーニングとして行なっていた「スキーウォーク」を、ポールを使った簡単な歩行運動として紹介されたのが始まりで、発祥国のフィンランドでは1997年の春に発表されると、たちまち誰でもできる運動として広まり、現在ではドイツ、オーストリアなどヨーロッパを中心に人気が高まっているそうです。
今日はノルディックウォーキングについて調べることにしました。
「特徴」
ノルディックウォーキングの特徴は、身体にある90%の筋肉が使われることや、場所を選ばず一年中出来ることです。
無理のないスポーツとして最適のようなので、次のような方は是非お試しになっては如何でしょうか?
・何かスポーツをと考えている方・・・・・無理なく始められるので、高脂血症や高血圧で過度の運動ができない方。
効果的な全身運動は医学会でも注目されているそうです。
・シニアスポーツを考えている方・・・・・運動の負荷をコントロールし、年齢の異なる方や運動不足の方などがいるグループでも同じ歩調でウォーキングできます。
健康的なライフスルタイルを保つスポーツです。
・体重が気になる方・・・・・・・・・・・・・・・メタボリックシンドロームにも最適です。場所や時間、季節を問わずウエイト・コントロールが始められます。
・フィットネススポーツとして・・・・・・・・・関節やヒザに負荷をかけず、エアロビ効果によるスタミナアップと同時に筋肉のバランス調整もできるようです。
・効率のよい運動効果をもとめる方・・・効果的な有酸素運動としてトレーニングメニューに加えられます。
通常のウォーキングよりも30〜40%も高いカロリー燃焼率が実証されています。
・ランナーの方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・背中、首、上半身を鍛えるだけでなく、姿勢の矯正や腕の振りにも効果的だそうです。
ランナーズニー(腸脛靭帯炎:ちょうけいじんたいえん)の予防やレース以降の調整にも適しています。
「利点」
ノルディックウォーキングの利点は、負担が軽くて運動効果が高いことです。
・90%の筋肉を使う全身運動・・・・・・・・・カラダ全体の90%の筋肉を動かし、1時間あたり約400kcal(通常のウォーキング/280kcal)を燃焼する全身運動です。
・膝の関節、脊髄への負担を軽減・・・・ポール使用での膝の関節・脊髄への負担を約5kg/歩 軽減され、正しい歩行姿勢の場合は約8kg/歩までの負担を軽減します。
・年配の方々にもおすすめ・・・・・・・・・・ポールがバランス維持をサポートし、転びにくい歩行になると共に、姿勢や呼吸も整えられ、血液循環システムを活発にします。
・正しい歩行姿勢に・・・・・・・・・・・・・・・・ポールを持って歩くことにより、歩行姿勢が正され、呼吸を整えます。
・長時間の歩行もラクラク・・・・・・・・・・・足首、膝、腰、アキレス腱など下半身にかかる負担を軽減し、長い距離の歩行が可能になります。
「参考」
ポールの長さの基準は、「身長×0.65~0.68」です。
ポールを地面に垂直に立て、持つと、ひじが直角に曲がるくらいの長さです。
持ち運びに適した登山ストックのように伸縮可能なタイプのポールも売られているので、自分に適した長さを見つけてください。
NHKBSの番組に「にっぽん縦断こころ旅」があります。
この番組は、俳優の火野正平が相棒のチャリオ君(自転車)に乗って日本全国を走りまわる旅番組です。
その日の旅の目的地を決めるのは、視聴者から寄せられた手紙で、「人生を変えた忘れられない風景」とか、「大切な人との出会いの場所」或いは「こころに刻まれた音や香りの情景」や「ずっと残したいふるさとの景色」など、手紙に書かれたエピソードをもとに、ひとりひとりの心に大切にしまってある「こころの風景」を訪ねる番組です。
平成23年(2011年)4月に春編(年4月4日 - 6月17日)がスタートし、秋編(2011年9月26日 - 12月16日)、翌年の春編を繰り返しながら、これまで4年半で9,126kmを走破し、460日間旅してきたそうです。
今週から始まった5年目の秋編は徳島をスタートし、中国地方を走って九州を南下、沖縄を目指す11週間の旅です。
私は毎朝7時45分から15分間観ていますが、昨日の徳島県の視聴者からのエピソードの一部に、「人間(じんかん)到る所青山あり」と教えられた、と書かれていたのが印象に残ったので、今日はその諺について調べることにしました。
「人間(じんかん)到る所青山あり」とは、人の住む世界には、自分の骨を埋めるような所は、必ずあるはずだから、故郷を出て大いに活躍するべきだ、という意味です。
これは江戸時代末期の僧・釋月性が『將東遊題壁』に詠ったもので、その詩は以下の通りです。
『将(まさ)に東遊(とうゆう)せんとして壁(へき)に題(だい)す』 ・・・ 浄土真宗の僧:釈月性(しゃくげっしょう:1817-1858)
男児志を立てて郷関(きょうかん)を出(い)ず
学、若(も)し成る無くんば死すとも還らず
骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん、
人間(じんかん)到る処青山(せいざん)有り
この詩の意味は、
「男子が志を持って故郷を出るならば、もし学問が完成しなければ故郷には戻らないと決める。自分が死んだ時、骨を埋める場所は、故郷だけではなく、 世の中の到る所に骨を埋める場所がある」
この諺を借りれば、地方から出てきたサラリーマンの皆さん、大きな望みを持っていきいきと活動し、大きな仕事をしなさい、という教えに置き換えられます。
それにしても、テレビで紹介されていた徳島の視聴者の方は子供の頃から難しい諺を教えられていたのですね。
子供の頃、返事をする時、「ハイハイ」と2回返事をするとよく怒られたものです。
人を馬鹿にしたような「ハイハイ」ではなく、1回でいいから誠意のある返事をしなさいと。
ところが大人になると、「二(ふた)つ返事」が喜ばれます。
2回繰り返す二度返事と二つ返事、どのように違うのでしょうか?
二つ返事とは、人からの頼まれごとや指示をためらうことなく快く引き受ける返事のことです。
一方の二度返事は、「はいはい」といった反復(連続)する返事のことで、仕方なく承諾するといった意を込めており、二つ返事とは対峙関係になります。
では、何故、同じ「二」という数字がありながら、ためらうことなく承諾する返事を二つ返事というのでしょうか?
二つ返事の『ふたつ』とは数字の「2(two)」という意味ではなく、「次(二つ目=second)」という意味で使われているのだそうです。
つまり、お願い(頼まれ事)の次にきたのが質問やためらいではなく、承諾の返事ということです。
二つ目が承諾の返事であることから「二つ返事」と言われ、即承諾する返事、即ち、ためらうことなく承諾する返事という意味になったようです。
なお、「はいはい」といった反復する二度返事は、言い方によって意味合いが可なり変わってきます。
勢いよく速くいえば快諾の意思になりますが、ゆっくりとくたびれたように言えば、頼まれごとや指示にいやいや応えるおざなりの返事を表すことになり、突き放したように冷静に言えば、「わかったからもううるさく指示するな」という意思表示となります。
返事はその発音によって色々な意味が包含されるので、返事をする時にはいつも明るく大きな声で「はい!」と言いたいですね。
電話や面会の受付などで、先方がこちらの名前を聞き取れなかった時に「恐れ入ります、(もう一度)お名前頂戴してもよろしいでしょうか?」と聞き返す人が時々います。
この表現について皆さまは違和感を持ったことはありませんか?
実は、この「お名前を頂戴する」という表現は誤用なのです。
今日はその理由について調べました。
「頂戴」という字は「てっぺん(頂)からもらう(戴く)」と書きます。
上の方からもらうわけですから、相手は目上の人であるということがイメージできると思いますが、目上の方から物をもらうとき、自分はお辞儀などをして相手に対する敬意を示しながら受け取ります。
自分が引いて受け取ること、つまり「頂戴」という字は「もらう・受け取る」という言葉の謙譲語なのだそうです。
「頂戴(ちょうだい)」という字が「もらう、受け取る」の謙譲語ならば、「お名前を頂戴する」ということは相手の名前そのものをもらうことになってしまいます。
更に「お名前を頂戴できますか」の表現から敬語表現を取り除くと「名前をもらえますか?」と言っていることになります。
飴玉なら、一つ二つと分けてあげることもできますが、名前はあげることは出来ないので「名前を頂戴する」という表現は誤りということになります。
「御名刺を頂戴できますか」という表現ならば問題ありません。
「お名前を頂戴する」という表現は、この「お名刺を頂戴する」という表現から始まって誤用されるようになったのではないかと考えられています。
ではどのように言えばいいのでしょうか?
たとえば電話口などで相手の名前を確認したいときは、相手の名前をもらうのではなく、「お名前をお聞かせいただいてもよろしいですか?」「お名前をうかがってもよろしいですか?」「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」、という表現を用いるように心掛けたい、ということです。
相手の名前はもらうものではなく、聞くものなので、注意したいですね。
今年は戦後70年の節目の年です。
70年前の昭和20年8月15日に終戦を迎え、10月7日には軍港から一転して引揚港に変貌した舞鶴港に引揚第1船の雲仙丸が入港しました。
舞鶴港はこの年から13年の間、海外の同胞66万余人の引揚者と1万6千余柱を迎え入れることになります。
今日ご紹介する「岸壁の母」は昭和25年から6年間、ナホトカからの引揚船が舞鶴港へ入港する都度、引揚げ桟橋にやってきては息子の姿を探し求めた端野いせさんの姿を歌ったものです。
・端野いせさんが佇(たたず)んだであろう「平(たいら)引揚桟橋」です。左側が「招霊碑」、右側に「語り部の鐘」があります。(2010年5月撮影)
もしやもしやと、桟橋にたたずんではひたすら息子の帰りを待った端野いせさん。
これを知った藤田まさとが端野さんに心を打たれて詩にし、平川浪竜が作曲した「岸壁の母」は昭和29年10月にレコーディングされ、菊池章子が歌って100万枚を超えるヒット曲となりました。
♪ 母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに ひかされて。
この歌はその後、昭和47年2月に二葉百合子が浪曲風に歌って復活し、250万枚を超える大ヒット曲となったそうです。
それでは、皆さんよくご存知の、二葉百合子が歌う「岸壁の母」をお聴きください。
「岸壁の母」 ・・・二葉百合子