延長戦を含め120分間の攻防は0対0のまま決着がつかずPK戦になりました。
PK3人目の駒野選手が失敗し、結局5対3で岡田Japanは惜敗しました。
本当に残念ですが、しかし、よく頑張りました。
選手の皆さん感動をありがとう!
さて、本題に入ります。
平成22年(2010年)も今日で前半が終わります。昔から、6月30日には「夏越の祓い(なごしのはらい)」という行事が行われています。
そこで、今日は「夏越の祓い」の由来について調べました。
「夏越の祓い」は、毎年6月晦日に行われる大祓の神事です。
昔は、十二月の大晦日が新年を迎えるための大切な日であったのと同じように、「六月晦日」も、年の前半の間の無事を神に感謝し、収穫までの後半年の無事を祈るための物忌みの日、祓いの日と考えられたようです。(物忌みとは、ある期間、飲食・行為をつつしみ、身体を浄め、不浄を避けること)
そして、宮廷では十二月の大晦日と六月晦日の年二回、「大祓い」の神事が行われていました。
祓いは、日本の神祭りの基本とも言える作法で、大祓いの本来の意義は、年間を通じて最も大切な正月と七月の祖霊迎えの行事を前にして、物忌みを行うことだったようです。
そして、十二月の大祓いを「年越し」と呼ぶのに対し、六月の祓いを「名越し」と呼びました。
十二月の大祓がその一年の穢れを祓って新しい年を迎えようと言う行事であるのに対し、夏越の祓は、一年の前半が済んだところでその半年の穢れを祓い、正常な身で「盆」の行事を執り行うというものです。
この大祓いの行事は次第に民間の神社でも行われるようになり、神社では参詣人に茅の輪をくぐらせて祓い浄めたようです。
「ナゴシ」という名称は、邪神を和(なご)めるために行うことからつけられたと言われています。
そして、旧暦の六月は夏の終わりの月でもあることから、「名越し」は「夏越し」とも書かれ、この日を「六月祓い」「水無月の祓(みなづきのはらえ)」「荒和(あらにご)の祓い」「夏越節供」「輪越祭り」とも呼んでいるようです。
「夏越の祓の行事」
・夏越の祓の行事としてよく見られるものが、「茅の輪くぐり」です。
茅(ちがや)で大きな輪を神社の境内に作り、この茅の輪をくぐることで病気や禍を免れようと言う神事です。
この輪くぐりでは、次のように唱えながらこの輪に先ず左足から踏み入れ 8の字を描くように 3度くぐるのが正しい茅の輪くぐりだそうです。
(1周目)
「水無月の夏越の祓する人は千歳の命(いのち)延(のぶ)というなり」 詠み人知らず(拾遺和歌集)
意味:六月に夏越の祓いをした人は千年も命が延びるというものです。
(2周目)
「思うこと みな尽きねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓ひつるかな」 和泉式部(後拾遺集)
意味:思い悩むことが全て無くなってしまうように祈りながら、麻の葉をたくさん 切りに切りて祓いをすることだ。
(麻の葉は魔除けがあるそうです。現在は紙で代用しているそうです)
(3周目)
「蘇民将来(そみんしょうらい)」「蘇民将来(そみんしょうらい)」
意味;蘇民将来(そみんしょうらい)は人の名前です。
・神社で紙で作った形代(かたしろ、人形)に姓名・年齢を書いて、これで体を撫でて自分の穢れをこの形代に移し、これを川などに流す行事があります。
ところによっては穢れを移すものが藁の人形であったりと、形は多少異なりますが、同種の行事があちこちに残っているようです。
この形代に穢れを移して川に流すという行事は、禊ぎ(みそぎ)の行事が形式化したものと考えられます。
・「蘇民将来(そうみんしょうらい)」
夏越の祓には茅の輪の他に、「蘇民将来札」というものを家の入り口に張る風習が長野県などに残っているようです。
「茅の輪と蘇民将来 神話」
この二つは、神話の中で次のように結びついています。
武塔の神が旅の途中、ある村で一夜の宿を請うたところ、裕福な巨旦将来はこれを断り、巨旦将来の兄の貧乏な蘇民将来はこれを受け入れてもてなしました。
その後、旅の帰りに再びこの村を訪れた武塔の神が宿を与えなかった巨旦将来の一族を皆殺しにしてしまいましたが、その際に巨旦に嫁いでいた蘇民の娘だけは
目印として「茅の輪」を腰に付けさせて助けたといいます。
そして、蘇民将来には子々孫々疫病から免れることが出来るという福を授けて去って行ったと言われます。
今でも「蘇民将来子孫」と書いた蘇民将来札を掲げておくと、疫病を免れるといわれ、また茅の輪をくぐって禍を逃れるというのもこの神話からといわれています。