らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

相撲の歴史(その4)

2008-01-31 | 雑学

明治時代以降

明治4年に東京府の「裸体禁止令」によって「相撲禁止論」が起こりましが、明治天皇と伊藤博文らの尽力により、明治17年に「天覧相撲」が実現し、相撲が社会的に公認され危機を乗り越えました。

明治42年に両国国技館が落成し、相撲が国技とされました。
このときから1場所10日間興行になったそうです。

この頃は春と秋の2場所で、年間20日間の興行だったようですが、大正12年5月からは11日興行になりました。

相撲取りを詠んだ川柳に「1年を20日で暮らすよい男」がありますが、大正12年からは「20日で暮らすよい男が」「22日で暮らすよい男」になった訳ですね。

大正14年、昭和天皇がまだ皇太子のときに、皇太子の下賜金により、「摂政賜杯」、(現在のの「天皇杯」)がつくられ、優勝者に賜杯が授与されるようになります。

昭和2年、東京と大阪の相撲協会が解散して大日本相撲協会が発足し、1月(両国)、3月(関西)、5月(両国)10月(関西)の年4場所制になります。

昭和12年5月場所より13日興行となり、さらに昭和14年5月場所より15日興行へと
移行します。

戦時中から戦後にかけて苦難の道を歩みました。

昭和25年秋場所より大阪場所が開催されます。昭和28年3月に大阪場所を行い、
その後は3月が大阪開催となります。

昭和32年11月は福岡で開催され、翌年7月には名古屋で開催されます。
そして現在の年6場所15日制が確立します。

昭和42年3月に高見山が新十両に昇進し、初めての外国人関取が誕生しました。

その後、小錦、曙、武蔵丸などのハワイ勢が、更に琴欧州を始めとするヨーロッパ、ロシア勢が、そして朝青龍、白鵬などのモンゴル勢が幕内上位を占めるに至り、
今や外国人によって相撲人気が保たれている状態となりました。
日本人力士にはもっと奮起を願いたいですね。

相撲が国技となったのは明治42年ですが、2000年に及ぶ相撲の歴史の中で、培われてきた日本特有の伝統は大事にして欲しいと思います。

そのためには、異文化で育った外国人力士に日本の伝統文化をよく理解さるべく、指導を徹底してもらいたいですね。

4回にわたって書きました「相撲の歴史」はこれで終わります。


相撲の歴史(その3)

2008-01-30 | 雑学

江戸時代の相撲

江戸時代に入ると興行としての相撲が始まります。

この頃の土俵は、鎌倉時代に始まった「人方屋」、即ち、見物人が直径7~9㍍の
人の輪を作ったもので、その中で相撲が行われていました。

その後、四角い土俵(プロレスのリングのようなもの)になりました。
現在でも四角い土俵は各地の神社などに残っているそうです。

1670年頃に、四隅に「四神」をあらわす4色の布を巻いてに柱を立て、屋根を支えた
方屋の下に、直径13尺(3.94m)の円形の土俵が設けられます。

昭和6年になって現在の15尺(4.55m)の土俵になります。

江戸中期になると相撲は大いに盛り上がってきます。

それまでは「大関」(「大関取」)が最高位でしたが、江戸幕府によって「江戸相撲方取締」の役を認められた吉田司家から、横綱の免許が与えられて実質的な横綱が誕生します。

初代の横綱は「明石志賀之助」と記されていますが、この免許制による最初の横綱は、1789年に誕生した第4代「谷風梶之助」、第5代「小野川喜三郎」といわれています。

大阪や京都にも相撲集団があり、大商人の財力で看板力士を多く抱え、江戸相撲を凌ぐ勢いでしたが、谷風、小野川、のほかに「雷電為右衛門」などの登場もあって江戸相撲が大いに盛り上がり、大阪、京都を凌ぐ人気になります。

そして「江戸で力士をつとめてこそ本当の力士」と言う風潮が生まれてきました。

相撲集団は比較的自由に往来ができたため、江戸相撲が大阪や京都に出向き、
合併興行として毎年開催されるようになります。
それと共に力士の力量も上がっていきました。

                                     次回に続く
 
(一言メモ)

 「四股名」元々は「醜名」(しこな)と書き、自らをへりくだって呼ぶときの名前です。
       (「憎まれるほど強い」との意味もあるようです)
       また「四股を踏む」とは穢れや邪気を祓う行為と言われています。

 「四神」とは「青竜」、「朱雀」、「白虎」、「玄武」を言います。
  「青竜」は東方を守護する神獣で、長い舌を出した竜の形で表されます。
       季節は「春」、色は「青」、人生においては「若年期」で、所謂「青春」と
       言われています。

  「朱雀」は南方を守護する神獣で、翼を広げた鳳凰状の鳥形で表されます。
       季節は「夏」、色は「赤(朱)」、人生においては「壮年期」で、所謂「朱夏」
       と言われています。

  「白虎」は西方を守護する神獣で、細長い体をした白い虎の形をしています。
       四神の中では最も若い存在と言われている。
       季節は「秋」、色は「白」、人生においては「熟年期」で、所謂「白秋」と
       言われています。

  「玄武」は北方を守護する神獣で、足の長い亀に蛇が巻きついた形で描かれて
       います。
       季節は「冬」、色は「黒」、人生においては「老年期」で、所謂「玄冬」と
       言われています。


相撲の歴史(その2)

2008-01-29 | 雑学

奈良、平安時代の相撲
奈良時代末(730~731年)になると、聖武天皇によって「三度節」の一つとして、
「相撲節」(すまいのせち)が始められます。

平安時代になると「相撲節」は天覧の七夕行事として、絢爛豪華に行われるように
なります。
「天覧相撲」の始まりです。

「相撲節」では蹴る、突く、殴ると言った技が禁止され、押し出しや投げ技を主とした相撲へと洗練されていきます。

このほか民間でも相撲が始まります。
「土地相撲」や「草相撲」のほかに「神事相撲」と言って五穀豊穣を祈り、神々に感謝する農耕儀礼も始まります。


武家の時代に入ると、源頼朝や織田信長が相撲を奨励し、たびたび「上覧相撲」が催されました。

この「上覧相撲」から行司が生まれたといわれ、土俵の原型もこの頃に作られた
そうです。

                                         次回へ続く

 (一言メモ)

 「女相撲」
 
第21代雄略天皇のときに裸で褌を巻いた「女相撲」が行われているそうです。
  かつて大阪府の太田知事が「表彰のため土俵に上がりたい」と言った時に、
  日本相撲協会は、「伝統により女性は土俵に上がれない」と言って拒否しました
  が、協会はこのことと、拒否したことの整合性をどのようにお考えでしょうね?

 「力士」(ちからひと、すまいひと)の文字が初めて現れるのは古事記の「垂仁記」
 といわれています。

 「三度節」とは「射礼」、「騎射」、「相撲」のこと、で宮中の重要な儀式です。
  「射礼」(じゃらい」とは、古代に正月17日に建礼門前で行われた弓射の行事
  「騎射」とは騎馬で行う射術、古代5月5日に朝廷で行われた流鏑馬の類


相撲の歴史(その1)

2008-01-28 | 雑学

大相撲初場所は横綱 白鵬が6度目の優勝をして千秋楽となりました。

この場所は、横綱 朝青龍が2場所の出場停止明けの場所として、何かと話題になりました。

朝青龍の15日間の相撲は、休場明けとは思えないくらい力強さがあったと思いますが、場所前のマスコミの報道では、横綱としての品格面で、休場前と大差ないように思えました。

その点、白鵬は横綱として品格、実力共に備わってきたように感じます。
優勝して本当によかったと思いますが、皆さんはどのように思われますか?

日本の国技である相撲が、若、貴兄弟の引退後は、番付の上位を外国人力士に
占められるのは何とも淋しいことですね。

日本人力士の方には「モンゴルには絶対に負けないゾ!」という強い意志をもって
頑張って欲しいと思います。


さて、私は相撲は好きですが、その歴史はよく知りませんので少し調べてみました。
本日以降、数回に分けて簡単に書いてみたいと思います。

先ず神話の中の相撲 について 
        (http://beemanet.com/essay/sumo/index.html より)

「古事記」「日本書紀」には次のような記述があるそうです。

「古事記」
古事記には、後世「国譲りの相撲」と呼ばれている相撲があります。

出雲の国をかけて、天照大神(アマテラスオオミカミ)の命を受けた建御雷神
(タテミカヅチノカミ)と大国主命(オオクニヌシノミコト)の子供の建御名方神
(タテミナカタノカミ)が力比べをします。

建御雷神建御名方神の手をつかみ、投げ飛ばして勝ったとの記述があります。


「日本書紀」
日本書紀には相撲の起源神話として有名な「野見宿弥」と「当麻蹶速」の力比べ
があります。

第11代垂仁天皇の御前で出雲の国の「野見宿弥」(のみのすくね)と大和の国の
「当麻蹶速」(たいまのけはや)が日本一をかけて相撲を取り、「野見宿弥」が
「当麻蹶速」の腰骨や脇骨を蹴り折って、絶命させて勝ったとの記述があります。

この「野見宿弥」は大一番に勝利したことにより、今でも「相撲の始祖」
「相撲の神様」として遇され、東京の墨田区にある「野見宿弥神社」では出雲大社の神官によって神事が執り行われているようです。

天皇およびその時々の権力者の前で行われる相撲を「上覧相撲」と言いますが、
この「野見宿弥」と「当麻蹶速」の相撲は、文献に残る最古の「上覧相撲」と言われています。(天皇に供される場合には天覧相撲といわれます)

相撲は神事と言われますが、相撲の始祖と言われているこの二つの相撲には、
いずれも天皇が存在しており、そこに神事と言われる所以があると思います。

                                      次回に続く


マラソンと私

2008-01-27 | 趣味

今日(1月27日)は大阪国際女子マラソンが行われました。

初マラソンで出場し、期待された福士加代子選手は、残念ながら35㎞前で脱落してしまいました。

最後は歩くような状態で競技場に入り、ゴール前ではふらふらして何回も倒れ、涙が出るような感動的なシーンもありました。

我々素人は完走が目標なので、そのような状態でも喜びがありますが、彼女の場合は果たしてどうだったのでしょうね。

優勝は英国人のマーラヤマウチ選手で、2位は森本友選手が日本人トップでゴールしました。

それにしてもマラソンの女子選手は強くなったものですね。

2回連続オリンピックで金メダルを取るなんて思いもよらなかったです。
こうなると北京も是非金メダルを取って欲しいと思います。

昭和20年代後半によく言われた言葉に、「戦後強くなったもは女と靴下」があります。

これは戦後の民主主義と家族制度の崩壊しで女性の立場が強くなったことと、ナイロン製のストッキングが入ってきたことを言った言葉です。

この言葉は、今では女子マラソンを言っているように思います。


さて私がマラソンと出会ったのは昭和56年です。 

当時右膝関節に痛みを感じるようになり、大阪市大病院や専門医で検査していただました。

原因不明であったため、先生に勧められたジョギングを始めたことがキッカケです。

最初は400~500m走ると息切れがしていましたが、無理をせず毎日少しずづ走り続けました。  

そのうち体力もつき、足腰も強化され、走るのが楽しくなり、日課となりました。

走る距離も10㎞、20㎞と伸びてゆき、ついにはマラソンに挑戦したくなりました。

そして遂に昭和60年の「篠山マラソン」に初挑戦し、見事完走しました。

完走の喜びを知りますと、次は記録の更新を目指すようになります。

それで練習量を増やし、月間200~250㎞を走り続けましたが、しかし素人の練習
方法ではなかなかスタミナがつきません。

大会ではいつも後半にスタミナ切れになります。

よく「マラソンは35㎞が中間点だ」と言いますが、正にその通りで、残り7㎞の距離が非常に長く感じます。

今日の福士選手は正にそのことを痛感したのではないでしょうか?

出場しても思うようにタイムが伸びないので、常々「4時間を越えたらマラソンをやめよう」と思っていましたが、7回目がそのときになりました。

平成3年の「篠山マラソン」の記録が4時間3分となり、決意どおり終止符を打ちました。   

結局、私は7回連続出場し、3回目に記録した3時間43分24秒が自己ベストとなりました。

テレビで映し出される一流選手は華やかですが、その陰には苦しい努力があり、
孤独があり、涙があることを知って欲しいと思います。

そしてタイムにかかわらず完走した選手には拍手を送り、心から「お疲れ様」といってあげてください。

現在私は健康保持を目的に数キロメートルをジョギングするくらいですが、これからもできるだけジョギングと付き合っていきたいと思っています。

体力がつけば再度マラソンに挑戦し、あの完走の喜びを味わいたいとの気持ちは今でも心の片隅にはあります。


落語「寿限無」について

2008-01-26 | 趣味

NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」がいよいよ佳境に入ってきましたね。
女性で落語家を目指す「徒然亭若狭」の奮闘振りが笑いや涙を誘います。

世間を騒がせている各種の偽装問題や公務員の不祥事、飲酒運転の悲惨な事故や子供が親を殺すなど、現在の殺伐とした時代においては、落語は一適の清涼剤になり、心に安らぎを与えてくれるように思われます。

そのような観点から落語を聞けば、心にゆとりが生まれるのではないでしょうか。

昔からある落語に「寿限無」があります。

数年前テレビで取り上げられて、子供たちの間で人気になったと記憶しています。
私も昔よく聞きましたが、大変面白い話です。

内容は、生まれた子供に「めでたくて長生きできる」ような名前をつけるため、お寺の和尚さんに相談に行きます。
そして、つけてもらった名前が「寿限無」です。
この「寿限無」を中心に話が繰り広げられていくという内容です。

この名前の意味だけを簡単に書きます。
興味のある方は名前だけでも覚えてみてはどうでしょうか。

つけた名前の全文は次の通りです
 「寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末雲来末風来末、
 食う寝る所に住む所、ヤブラコウジのブラコウジ、パイポパイポパイポの
 シューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー
 のポンポコナーの長久命の長助」です


詠み方は
 「じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ
 うんらいまつふうらいまつ、くうねるところにすむところ、やぶらこうじのぶらこうじ、
 ぱいぽぱいぽぱいぽのしゅーりんがん、しゅーりんがんのぐーりんだい、
 ぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなーのちょうきゅうめいのちょうすけ」

話の内容は兎も角、「寿限無」がどうしてめでたいかは、次のような意味からです。

「寿限無」とは寿(ことぶき)限りなしの意味です。
「五劫のすりきれ」とは天人が地上に降りてきて、その絹の袖で岩をなでて、その 
 岩が擦り切れるのが「一劫」です。その5倍ですからすごく長いとの意味です。
「海砂利水魚」は海の砂と水に棲む魚は数が数えられないくらい多いの意味です。
「水行末雲来末風来末」は水の行く末、雲の来るところ、風の来るところ、は果てし
 なく遠いとの意味です。
「食う寝る所に住む所」は衣食住は人間の生活になくてはならないものです。
「ヤブラコウジのブラコウジ」のヤブコウジは正月にはなくてはならないめでたい
 木です。
「パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナー」パイポは国の名前、その国の王様の
 名前がシューリンガン、お后がグーリンダイです。、その二人の間に生まれた
 お姫様が「ポンポコピーポンポコナー」で、この二人は長生きしたと伝えられて
 います。
「長久命」は長く久しい命。
「長助」は長く助かる。
このように、めでたいものばかり集めてつけた名前のお話です。

長文でくだらないブログになりましたね。
私の好きな話の一つとして書きました。

笑顔の絶えない、住みよい世になればいいですね。


七曜について

2008-01-25 | 雑学

七曜とは肉眼で見える惑星の火星、水星、木星、金星、土星、と太陽、月を合わせた7つの天体を言い、「曜」とは光り輝くという意味です。七曜星とも言います。

では週の順番はどのようにして決まったのでしょうか?

古代バビロニア(現在のイラク南部)では、この5つの惑星と太陽および月を見かけの動きの遅い順に、
  土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月に並べました。

そして、これらの星は1時間ごとに地球を守護すると考えられました。

最初は土星(土曜)から始まり1時間ごとに木星、火星、太陽、金星、水星、月の順に地球を守護していきます。

そうすると1日の最後に当たる24回目は火星になります。

25回目は太陽(日曜)になり、これが翌日の始まりの1時間になります。
従って土星(土曜)の次は太陽(日曜)となるわけです。

更にその後の25回目は月(月曜)になります。

以後同様の方法で並べていきますと火星(火曜)、水星(水曜)、木星(木曜)、
金星(金曜)の順番になります。

そして1日の初めの守護星がその日の守護星とされ、その守護星の名をつけて
土星は土曜に、太陽は日曜に、月は月曜に、火星は火曜に、水星は水曜に、
木星は木曜に、金星は金曜
になり、現在使われている順番になりました。

そうすると、当時は土星(土曜)から7日が始まっていた事になりますね。

その通りです。
しかし、後にキリスト教が広まると、イエスが復活した日曜日が安息日として週の
始まりとなり、現在の日曜から始まる順番になりました。


日本には平安時代に伝わりましたが、当時は人の運勢を占う一種の占星術として貴族の間で流行していたそうです。

明治以降に太陽暦が採用されるようになって、現在のように使われるようになりました。


(一言メモ)

 英語の曜日の語源は北欧神話に由来します。

 日曜日(Sunday)   太陽 (Sun)
 月曜日(Monday)   月 (Moon)
 火曜日(Tuesday)   戦の神マース       北欧神話の軍神 チュール (Tiw)
 水曜日(Wednesday) 伝令の神マーキュリー 北欧神話の神 オーディン (Woden)
 木曜日(Thursday)  主神ジュピター      北欧神話の雷神 トール (Thor)
 金曜日(Friday)     美の神ヴィーナス    北欧神話の フレイア (Freya)
 土曜日(Saturday)  土星 (Suturn)


 


六曜(ろくよう)について

2008-01-24 | 雑学

六曜(六輝)とは、所謂、大安、仏滅などを言います。

日本では暦の中でもよく知られた暦注の一つで、六輝(ろっき)や宿曜(すくよう)とも言われます。
これは七曜(しちよう)との混同を避けるために明治以降作られた名称です。                               
                               (ウイキペディアより)
七曜については後日書きます。

六曜の概略は次のようになります。

先勝(せんかち) 先んずれば勝つという意味。
           午前が吉、午後2時~6時までは凶とされる

友引(ともびき)  凶事が友に及ぶという意味
            慶事は吉、朝は吉、昼は凶、夕刻は大吉とされている

先負(せんまけ) 先んずれば即ち負けるという意味
           午後が吉、慎重に事を進めるのが良いとされています

仏滅(ぶつめつ) 仏も滅する最悪の日という意味
           一日中すべてにおいて良くないが、仏事はよろしいとされています

大安(たいあん) 大いに安しの意味
           何事においても一日中すべてに良い日とされています

赤口(しゃっく)  陰陽道の「赤舌日(しゃくぜつにち)」という凶日に由来すると
           言われています
           午の刻(11時~13時)のみ吉、それ以外は凶とされています

暦への配列については次のようになります。

旧暦の毎月1日の六曜は次のように固定され、先勝から日にち順に並べていきます。
  1月、 7月    先勝     2月、 8月    友引
  3月、 9月    先負     4月、10月   仏滅
  5月、11月   大安      6月、12月   赤口

定義としては、旧暦の月の数字と旧暦の日の数字の和が6の倍数であれば必ず
大安となります。

例えば、旧暦4月8日は必ず大安になります。(4+8=12)
     旧暦8月15日は必ず仏滅になります。
        (8+15=23、即ち24の1つ前になり大安の前は仏滅です)


 (一言メモ)

 六曜は中国の六壬時課(りくじんじか)と呼ばれる時刻、日の吉凶占いが室町時代
 に日本に伝って変化したものと言われています。

 江戸後期から一般に使われ、現在では慶事などを決める時によく使われて
 います。
 科学的な意味があるわけではありませんが、気にする方が多いように思います。


冬に咲いたバラ

2008-01-23 | 

花の女王と言われている「バラ」。

イギリスの国花となっている「バラ」。

見る人を虜にするこのバラも冬の寒さには勝てず、この時期では葉を落とし、或いは紅葉させて、春の来るのを待っている状態です。

ところが我が家の鉢植えのバラは2輪花をつけました。
珍しいので紹介します。



早速、切花にして花瓶に飾りました。



古代エジプトの女王クレオパトラはバラを床や寝室に敷きつめ、バラの香水風呂に入って、ローマのアントニウスを虜にしたと伝えられています。

またギリシャ、ローマの王族、貴族の人達は食卓にバラを飾り、バラのケーキを
作り、バラの風呂に入り、バラの中の生活を満喫しており、最高級の暮らし振りと言われて羨望の的でした。

美人を例えて「きれいな花には棘がある」などと、バラを例えに使っています。

バラは手にとって見るより、遠くで眺めているのが良いのでしょうか?
しかし、たとえ棘があっても近づいて手にとってみたくなるのがこの花でしょうね。

その魅力は何でしょう。

花の豪華さ、その香り、そして情熱を感じるような赤い色。
これらが人々を魅了するのでしょうね。

このようなことが「花の女王」と言われている所以ではないでしょうか。



 (一言メモ)

 バラの花言葉は花の色によって異なっています
  赤色     情熱、、愛           黄色   嫉妬
  白色     尊敬、純潔           ピンク  病気の回復
  オレンジ  魅惑、信頼

 バラの原種は中国のロサキネンシス(チャイナローズ)と言われています。

 19世紀以降に沢山の品種が作られ、世界中で200種以上が栽培されています。

 日本でも「源氏物語」に記述されており、昔から栽培されているようです。
 


二十四節気について

2008-01-22 | 雑学

二十四節気は太陽の黄経(こうけい)によって定められます。

黄径とは黄道上での太陽の位置を示し、春分点を0度として黄道を360度に分けた
   ものです。

黄道(こうどう)は天球上における太陽の見かけの通り道です。
   黄道は天の赤道に対し23.4度傾いています。
   黄道と天の赤道との交点を分点と言います。

春分点は黄道が南から北へ交わる交点を言い、黄経0度として示します。

秋分点はもう1つの交点を言い、黄経180度に当たります。

二十四節気はこの黄道を15度ごとの24分点に分割して定められています。
 
                                      (ウィキペディアより)

二十四節気を季節ごとに分類しますと次のようになります。

暦上の春  
(黄経  0度) 春分(しゅんぶん) 太陽が春分点を通過する日。昼夜の長さが
                                              ほぼ 同じ
(黄経 15度) 清明(せいめい)   清浄明潔の略。百花が咲き競う季節
(黄経 30度) 穀雨(こくう)      田畑の準備が整い、柔らかな雨が降る頃

暦上の夏
(黄経 45度) 立夏(りっか)     夏の気配が感じられるようになる頃
(黄経 60度) 小満(しょうまん)   草木などの生物が次第に生長して生い茂る
(黄経 75度) 芒種ぼうしゅ)    稲の穂先のように芒(のぎ)のある穀物の種蒔きを
                                             する頃
(黄経 90度) 夏至(げし)      太陽が黄経90度の位置となり,地球の北極点が
                                             最も太陽のほうに傾くとき                                 (黄経105度) 小暑(しょうしょ)   本格的な暑さが始まる頃
(黄経120度) 大暑(たいしょ)    最も暑い頃と言う意味

暦上の秋
(黄経135度) 立秋(りっしゅう)   秋が立つ頃ですが、実際は一番暑い頃
(黄経150度) 処暑(しょしょ)    暑さが止むという意味
(黄経165度) 白露(はくろ)     野の草に露が宿って白く見え、秋の趣がひとしお
                                              感じられる頃
(黄経180度) 秋分(しゅうぶん)  太陽が秋分点(黄経180度)を通過する日
(黄経195度) 寒露(かんろ)    冷たい露の結ぶ頃。秋の本番。
(黄経210度) 霜降(そうこう)   霜が降りて朝には草木が白く化粧をする頃

暦上の冬
(黄経225度) 立冬(りっとう)   冬が立ち始める頃
(黄経240度) 小雪(しょうせつ) 陽射しは弱まり冷え込みが厳しく なる頃
(黄経255度) 大雪(たいせつ)   雪が大いに降り積もる頃
(黄経270度) 冬至(とうじ)     太陽の黄経が270度となり、地球の北極点が最も
                                              太陽と逆方向に傾くとき
(黄経285度) 小寒(しょうかん) 寒さが次第に厳しくなっていく頃
(黄経300度) 大寒(だいかん)  一年で一番寒さの厳しい頃

暦上の春
(黄経315度) 立春(りっしゅん)  「立春と言うのにこの寒さ、春の気が立つ」と言
                                              われ,寒さを極める時期
(黄経330度) 雨水(うすい)     空から降るものが雪から雨に替わる頃
(黄経345度) 啓蟄(けいちつ)    冬眠をしていた虫が穴から出で来る頃


二十四節気について簡単に書きましたが、詳しくはその時期の都度書いていきます。