昨日は3万人のランナーが浪速路を駆け抜けた第1回の「大阪マラソン」が行われました。大阪の知事や市長は新しい大阪の名物にしようとしているようです。
ところで、大阪の名物を語る時には「夫婦善哉」は欠かせません。
大阪の道頓堀には夫婦善哉と言う「ぜんざい」を提供するお店があります。
このお店の始まりは、明治16年(1883年)に法善寺境内の藤の棚の下で、浄瑠璃語りの竹本琴太夫が副業としてはじめた「めおうとぜんざい」からと伝えられています。
夫婦善哉が世間に広く知られるようになったのは織田作之助の小説「夫婦善哉」と同名の映画に登場してからのようです。
このお店で「ぜんざい」を注文すると2杯出されます。
その謂れは小説の中で柳吉が蝶子に「ここの善哉はなんで、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方がぎょうさんはいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」と語ったことからで、創業以来それを守ってきているのだそうです。
・これがその夫婦ぜんざいです。
先日、ラジオを聴いていると善哉の発祥地が島根県の出雲だと言っていました。
折しも今日の10月31日は、語呂合わせによる「ぜんざいの日(1031:せんさんじゅういち)」だそうです。
そこで「ぜんざい」の由来について調べることにしました。
「ぜんざい」の由来には2説あるようです。
一つには、出雲地方の神事「神在祭」で振る舞われた「神在餅」を由来とする説で、「神在餅(じんざいもち)」の「じんざい」が訛り、「ぜんざい」へと変化したと言う説。
島根県松江市の佐太神社のホームページには、
11月25日は神々をお送りする神等去出(からさで)神事では、神前に供えていた餅と小豆を一緒に煮て小豆雑煮を作り再び供えていました。
これを「神在餅(じんざいもち)」と呼び、この「神在餅」が転化して「ぜんざい」になったといわれているもので、佐太神社がぜんざい発祥の地とされています。
この事は松江藩の地誌『雲陽誌(うんようし)』の佐陀大社の項にも書かれているそうです。
もう一つは、仏教用語から一休宗純(一休禅師)が初めて食べたことからと言う説です。
「善哉(よきかな)」とは仏教用語で仏が弟子を褒める時に使う言葉です。
その昔、一休宗純(一休禅師)が弟子を数人従えていた頃、
最初の弟子が「小豆を甘く炊いた汁物」を差し出したところ、一休禅師は喜ばれ、二番目の弟子が「餅を焼いた物」差し出したところ、これまた一休禅師は喜ばれたそうです。
そして、三番目の弟子は料理が苦手だったので、さんざん迷ったあげく、最初の弟子の「小豆を甘く炊いた汁物」に二番目の弟子の「餅を焼いた物」を入れて差し出したところ、一休禅師はたいそう喜び「善哉善哉」とその弟子を褒めちぎったそうです。
ところがその弟子は「さすがは師匠だ…私が勝手に作ったこの茶請けにはぜんざいという名があるのですね」と早とちりをしたために生まれたのが「ぜんざい」という食べ物だというものです。
ぜんざいと言えば夫婦善哉の大阪が発祥地と思っていた私は目から鱗でした。
なお、「目から鱗」の語源については下記ご参照ください
http://blog.goo.ne.jp/raishou0213/d/20111023
パソコンの出会い系サイトでのトラブルや事件が多発していますが、最近、高齢者がこのサイトで被害にあったという事例が発生しているようです。
先日、国民生活センターのメールマガジンに掲載されたトラブルの事例を2件ご紹介します。
(事例1)
高齢の父が、パソコンの出会い系サイトで「7500万円の遺産を渡したい」と言ってきた相手を信じ、メールをやり取りしているうちに、サイトの利用料金が50万円を超えた。
相手と会う約束を10回以上しているが一度も会えずにいる。やめるよう説得しても聞き入れない。人が変わってしまったようだ。(当事者:70歳代 男性)
(事例2)
パソコンに不審なメールが届いても全て無視していたが、ある時、「1200万円あげる」というメールが目に留まった。
信じ込んでやり取りしているうちに、そのためのポイント代として200万円も支払ってしまった。詐欺ではないか。(80歳代 男性)
(アドバイス)
・「お金をあげたい」などといったメールから有料の出会い系サイトなどに誘導され、相手の巧妙な言葉を信じてやり取りするうちに高額な利用料を支払ってしまったという相談が、
高齢者からも寄せられています。
・このようなサイトでは、通常のメールとは異なり、ポイントを購入し、そのポイントを使ってサイト内でメールを行う仕組みになっていることがほとんどです。
相手は、お金を渡すためなど様々な口実でメールを続けるよう促すので、気づいたときには多額の費用をつぎ込んでしまいがちです。
・メール相手が出会い系サイトの「サクラ」であることも考えられますが、証明するのは難しく、お金を取り戻すことは困難です。
うまい話には注意し、ネット上の見知らぬ相手を簡単に信用しないことが大切です。
・心配なときは、お住まいの自治体の消費生活センター等にご相談ください。
事例にあるような、見も知らぬ他人に、しかもメールで「遺産を渡す」とか「お金をあげる」などの上手い話があろう筈がありません。
このようなメールは無視しましょう。そして、「出会い系サイト」など怪しいサイトにはアクセスしないようにしましょう。
全国の医者が青くなっているのでしょうか?
『ミカンが黄色くなると医者が青くなる』という諺があります。
これは、ミカンが黄色く熟す秋は気候がよいので医者にかかる人が少なくなり、医者は収入が減って顔が青くなると云うものです。
大阪泉州地方は全国一のミカンの生産量を誇る和歌山県と隣接しており、ミカンの栽培農家も数多く、ミカン山では黄色に色づいています。
大阪地方は一昨日木枯らし1号が吹いたとの発表がありましたが、10月は1カ月を通して清々しい秋の気候となっています。
諺のように、医者に通う患者さんが多いのか少ないのか知りませんが、我が家のミカンも黄色く色づいてきました。
我が家では温州ミカン、ハッサク、伊予柑の3種類を栽培していますが、今年初めて3種共に10個余りの果実を実らせてくれました。
・これが色づき始めた我が家の温州ミカンです。
3種とも苗木を植えて今年で4年目です。樹幹も大分太くなりました。
・摘果不足で実を生らし過ぎた伊予柑です。
・これはハッサクです。まだ青々としています。
温州ミカンは宮川早生と言う早生品種で、収穫は来月中旬頃になります。
伊予柑とハッサクは12月頃には黄色く熟してくるものと思います。
日本が高度経済成長の真っ只中、東京オリンピックが終わった後の昭和40年代初めに威勢のいい女性の演歌歌手が現れました。
彼女がデビューから2年目に発売した「いっぽんどっこの唄」は人々に元気を与え、ミリオンセラーとなりました。
着流し姿に一本独鈷(どっこ)、張りのある声で歌う僅か21歳の彼女はご存知の水前寺清子です。
今日はその「いっぽんどっこ(一本独鈷)」の由来について調べました。
「独鈷(どっこ)」とは、正式には「独鈷杵(どっこしょ)」と呼ばれる真言密教の法具の一つで、もともとはインドで武器として使われていたものが、様式化されて煩悩を打ち砕く法具とされたものだそうです。
これが文様となったのが「独鈷紋」で、博多織の帯地文様として用いられました。
一本の連続文様を「一本独鈷」、三本のものを「三本独鈷」というように呼んでいます。
いまでは一般的に、真ん中に一本ラインの入った男物の帯を「一本独鈷」と言うようです。
・これが一本独鈷と言われている男帯です。
密教で煩悩を破砕し菩提心を表す金属製の法具が「金剛杵(こんごうしょ)」ですが、元々は、古代インドでは帝釈天などが手にする武器でした。
金剛杵には3つの形があって、両端がひとつの突起になったものを「独鈷杵(どっこしょ)」、「三股のものを三鈷杵(さんこしょ)」、五股のものを「五鈷杵(ごこしょ)」といいます。
独鈷杵は金剛杵の基本形で、五鈷杵は最も重要視される法具だそうです。
・独鈷杵(どっこしょ)です
弘法大師が唐から持ち帰り生涯大切にし、祈祷のとき必ず手にしていたのが五鈷杵です。
どの金剛杵も、魔をうち砕く力を秘め、困難や煩悩を振り払う法具として用いられ、身近にあるだけで、厄除け・災難除けになると言われているそうです。
・五鈷杵(ごこしょ)です
ブログのタイトルが『らいちゃんの家庭菜園日記』にも拘わらず、最近の書き込み記事は菜園以外の話題が多くなり、気になっているところです。
今日はタイトルに従い、玉ねぎの植え付けについて書きます。
先日、玉ねぎの種まきをご紹介しましたが、この内、9月22日に蒔いた極早生品種が1カ月余り経って漸く20㎝以上に生長し、植え時となりました。
私の玉ねぎ栽培は、「極早生」と「晩生」「赤玉ねぎ」の3品種を栽培しており、いずれも種から苗を育てています。
今年は極早生の種まきが遅れましたが、10月になっても気温の高い日が続いた関係でその後の生長は順調でした。
晩生の玉ねぎの植え付けは11月になってからですが、早生品種については収穫が1カ月余り早いことから、10月下旬には定植します。
・これが極早生品種の玉葱の苗です。
苗は茎の太いものから順番に丁寧に抜き取ります。
定植のために抜き取った苗です。
例年、植え付けは3条植えにしていますが、今年は横に5本ずつ、150本程を植え付けました。
極早生品種は晩生より1カ月ほど早く、3月下旬には収穫できる見込みです。
この後の管理は、12月頃に1回目の追肥として化成肥料を、そして株元に藁を敷いて寒さ対策をします。
2月初めに2回目の追肥として化成肥料を施肥します。
〽 旅のつばくろ 淋しかないか
おれもさみしい サーカス暮らし
とんぼがえりで 今年もくれて
知らぬ他国の 花を見た
この歌は昭和8年(1933年)に来日した、世界一の動物調教を誇るドイツのハーゲンベック・サーカスの宣伝用に作られた歌で、古賀正男が作曲し、松平晃が歌って大ヒットした
「サーカスの歌」です。
子供の頃サーカスを観に行った時、サーカス小屋からこの歌が流れ、ラジオでもよく歌われていたように記憶しています。
さて、今日10月26日は「サーカスの日」です。
サーカスとは円形の劇場、つまり「サークル」で行われていたことが起源とされています。
そして、「サーカスの日」とは、140年前の1871年(明治4年)10月26日、東京・九段の招魂社(靖国神社)でフランスの「スリエサーカス」による日本初のサーカス興行が行われた事に因んでできた記念日です。
当時、日本の人々は初めて見る「空中ブランコ」に目を丸くしていたといいます。
日本にサーカスが根付くのは昭和初期で、キッカケはドイツから来たサーカス団だったそうです。
世界一の調教技術を持つ彼らは自在に猛獣を操っては観客を驚かせました。そして、その人気は凄まじく、昭和初期の日本に一大サーカスブームを沸きあがらせたそうです。
これを受けて、日本生まれのサーカス団が次々に誕生し、その数は30を超えたと言われ、サーカス小屋は軒並み満員となったそうです。
大衆の娯楽としてすっかり日本に根付いたように見えたそうですが、昭和16年の太平洋戦争により、若者は戦争に招集され、動物は処分されて、「娯楽」が極端に締め付けられる時代になりました。
近年、超人的な身体能力から生み出される脅威のパフォーマンスが売り物の海外のサーカス団が日本にやってきては、日本人の度肝を抜いていますが、日本のサーカス団の噂を聞くことは殆どなくなりました。
そのような中で、現在の日本の最大級のサーカス団の1つ「キグレサーカス」では、今もピエロの曲芸や空中ブランコなど昔ながらの出し物をメインに据えているそうです。
しかし、かつては長蛇の列を作った観客も、今では少ない時は100人を下回ることもあるそうで、日本のサーカスの退潮が目立つようです。
秋の夜長、静かに読書をしていると澄んだ虫の音色が心地よく聞こえます。
この虫の音色を嫌いな人は少ないのではないでしょうか?
しかし、虫は虫でも「腹の虫「や」虫の知らせ」、「虫が好かない」など、目に見えない嫌な虫もいます。
今日はそんな「虫」の語源について調べました。
「虫」の語源
例えば、何の根拠もないが、何か悪いことが起きそうな不安を感じる慣用句に「虫の知らせ」があります。
ここに出てくる虫は中国の道教に由来する「庚申(こうしん)信仰(三尸(さんし)説」からで、人間の体内には三虫(さんちゅう)が居るとされています。
それによれば、「三尸の虫(さんしのむし)」とは、鬼霊と相通じていて、常に外邪を引き入れ、害をなす。
其の名を彭倨(ほうこ)・彭質(ほうしつ)・彭矯(ほうきょう)といい、人間が正しいことをするのを忌み、悪いことをするのを喜ぶ」とあります。
この三種類の「虫」は、人が庚申(こうしん)の日に眠りにつくと体から抜け出して天上に上がり、直近にその人物が行った悪行を天帝に報告する。
天帝はその罪状に応じてその人物の寿命を制限短縮するという信仰です。
ではこの「三尸の虫(さんしのむし)」は体内のどこにいるのか?
・一つは上尸で、頭にいて眼を悪くしたり、シワを作ったり、白髪を作ったりします。清姑(せいこ)彭倨(ほうこ)などとも呼ばれます。
・二つは中尸で、腹にいて五臓を害し、食欲を強くします。白姑(はくこ)彭質(ほうしつ)などとも呼ばれます。
・三つは下尸で、足にいて精を悩ませます。血姑(けつこ)彭矯(ほうきょう)などとも呼ばれます。
これが「三尸虫(さんしちゅう)」で、左から下尸の彭矯(ほうきょう)、中尸の彭質(ほうしつ)、上尸の彭倨(ほうこ)です。
道教が日本に伝来して以降、日本でも「虫の知らせ」の他、「虫が良い」、「腹の虫」など、この「三虫」を基にした言葉が生まれています。
「虫の知らせ」の場合は、体内に棲んでいる虫が「何かしらの情報を知らせてくれる」と考えたわけですが、
他にも、
・「虫の居所が悪い」・・(機嫌が悪いこと。体内にいる「虫」の居場所が落ち着かないと、その人の機嫌も悪くなる)
・「獅子身中の虫」・・・・(身内でありながら害をなす分子で、本来運命共同体であるはずの体内の「虫」が反旗を翻して体全体に悪影響を及ぼすこと)
・「弱虫」
・「泣き虫」
など、これらはすべてこの虫が関与しているとして出来た言葉となっています。
今日24日は二十四節気の一つ「霜降(そうこう)」です。
霜降が過ぎると木枯らしが吹く季節となりますので、今日は「霜降」と「木枯らし」の関係についてご紹介します。
「霜降」
「霜降」とは、露が冷気によって霜となって降り始める頃のことで、楓や蔦が紅葉し始める頃です。
この「霜降」で、暦の上では「秋」が終わり、15日後に訪れる次の二十四節気は、冬の到来を告げる「立冬」となります。
しかし、大阪地方は霜が降りるどころか、一昨日の22日には日中の最高気温が27.5度の夏日となり、汗をかくほどの暑い日でした。
矢張り、地球温暖化の影響でしょうか?年々、秋の季節が短くなっているように感じます。
例年、この頃から立冬までに寒い北風が吹き、この北風を一般的に「木枯らし」と呼んでいます。
「木枯らしの定義」
そこで木枯らしの定義について調べました。
木枯らしとは、「霜降」の日から、立冬(今年は11月8日です)までの間に吹く寒い北風のことで、通常、10月半ばから11月末にかけて西高東低の気圧配置になった時、8m/s(㍍毎秒)以上の北よりの風の発生が見られ、気象庁ではその風を「木枯らし」と認定しています。
そして、最初の木枯らしを「木枯らし1号」として発表しています。
この発表は気象庁による関東地方と、大阪管区気象台による近畿地方に限られており、その他の地方では発表がありません。
因みに昨年の木枯らし1号は、関東地方、近畿地方ともに10月26日でした。
・「霜降り」を詠んだ歌を1首ご紹介します。
「葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕(ゆうべ)は 倭(やまと)し思(おも)ほゆ」 志貴皇子(しきのみこ) (万葉集64)
(意訳) 葦の生えた水辺を行く鴨の羽に霜が降って、こんな寒い夕暮れには大和のことを思います。)
この歌は706年(慶雲3年)に難波宮にいた志貴皇子が、京のことを思って詠んだ歌です。
(参考)
志貴皇子(しきのみこ)(668年~716年)は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての皇族で、父は天智天皇(中大兄皇子)ですが、第3皇子とも第7皇子とも言われた皇族だったため、皇位継承とは全く無縁で、政治より和歌などの文化の道に生きた人だったようです。
多くの人がよく使う慣用句に「目くじらを立てる」や「目から鱗が落ちた」があります。
人間の目に何故「くじら」や「鱗」が付いて慣用句ができたのか?
今日は「目くじら」と「目から鱗」の語源について調べました。
「目くじら」の語源
他人の欠点を探しだしてとがめることを言う慣用句に「目くじらを立てる」があります。
調べてみると「目くじら」とは、「目の端、目じり」のことで、海を泳いでいる「鯨」のことではありませんでした。
「目くじら」の「くじら」の語源は諸説あって、一つは北陸地方と鹿児島の方言で「隅」を意味する「すまくじら(くじり)」ということばの略ではないかという説、即ち、“目の隅”=「目じり」ということからのようです。
他には、先のとがった錐(きり)のような道具や、えぐることを「くじり」と言い、目の吊り上った様子を表したという説です。
「目くじらを立てる」とは、“目じりを立てるように吊り上げてにらみつける”という意味で、「目くじら」は「目くじり」とも言うことから「くじり」が「くじら」になったようです。
「目から鱗」の語源
次に「目から鱗が落ちる」の語源を調べました。
「目から鱗が落ちる」の意味は、何かがきっかけとなり、急に視野が開けて物事の実態が理解できるようになることで、「目から鱗」とともによく使われる慣用句です。
この慣用句は新約聖書『使徒行伝』第9章の「直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得」から生まれたもののようです。
それによれば、熱心なユダヤ教徒のサウロ(パウロ)はその立場からはじめはキリスト教徒を迫害する側に立っていましたが、復活したイエス・キリストから、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかけられ、その後、目が見えなくなりました。
イエス・キリストは弟子のアナニアというキリスト教徒を派遣し、神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになりました。
これが「目から鱗が落ちた」の語源になっています。
サウロはこの出来事によって回心し、パウロと名を改め、キリスト教徒となってキリスト教の伝道に重要な役目をはたしたと伝えられています。
英文の聖書にも「like fish scales(うろこのような)」と書かれているようです。
昨日に続き、森本 敏教授の講演会についてご紹介します。
今日はサブテーマ(2)の「中国は何をしようとしているのか?」です。
その前に、昨年起きた北朝鮮と韓国の軍事衝突について話されました。
昨年5月、黄海上の北方限界線の南側、韓国が効力を保持している海域で韓国の哨戒艦「天安」が北朝鮮の魚雷により撃沈された。
この北方限界線は1953年8月に国連が設定したもので、北朝鮮はそれを黙認していましたが、1999年9月北方限界線の南方に軍事境界線の設定を宣言した。
しかし、これは実行力を伴っておらず、韓国側が北方限界線の効力を保持しているため、侵入してきた北朝鮮の艦船との銃撃戦が絶えなかった。
11月には延坪島(ヨンビョンド)砲撃事件が発生した。
この事件は、金正日の後継者とされる三男・金正恩の実績を作る為の北朝鮮による実力行使である。この後、金正恩は朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長に抜擢されている。
この事件の後、日・米・韓は米韓合同軍事演習、日米合同軍事演習を実施し、北朝鮮を牽制したことによりその後事件は発生はしていない。
さて、中国は海洋戦略として第1列島線、第2列島線を敷いている。(下の画像の①と②の線)
・第1列島線①は、沖縄から台湾の南、そしてベトナムに至るラインで、東シナ海、南シナ海を取りこむように線引きし、その内側を内海化して他国の侵入を阻止しようとしている。
・第2列島線②は小笠原諸島から南に線引きし、自国の影響力を強化しようとしている。
中国の狙いは、第1列島線までを自国の内海化とし、他国の侵入を阻止することにあり、そして、第2列島線を太平洋上に引いて影響力を強化し、それより東をアメリカと二分する狙いだそうです。
中国は軍事力に物を言わせて領海侵犯の繰り返してはジワリジワリと進出するのが常套手段であり、既に南シナ海の南沙諸島では他国の島を実効支配しており、他国民をだ捕しているところである。
第1列島線は日本にとっての生命線であり、日本はこれを阻止しなければならない。
新聞にはあまり報道されていないが、既に尖閣諸島の排他的経済水域に堂々と入り込んできている。
沖縄の米軍基地の存在が非常に重要である。
今年初めて北極海の氷が全部溶けて船舶の航行が可能になった。ヨーロッパやアメリカ東海岸にはベーリング海から北極海を通ると相当の時間短縮ができる。
このコースを通ればロシアやアメリカ東海岸は中国の脅威にさらされることになる。
特に、ロシアは中国の軍事力増大を危惧しており、将来、中国が日本海から津軽海峡を通り、ベーリング海峡から北極海に入ることを嫌っている。
中国はその戦略のために空母の増強を急いでおり、ロシアは北方領土に軍事基地を増強しているのだ。
野村証券岸和田支店 開店20周年記念特別セミナーにおける森本先生の講演は非常に有意義でした。
一昨年に民主党が政権を任されてからの2年間、日本の外交、安全保障、日米関係、内政、経済はガタガタになりました。
先生の講演を聴いてからは、ますますこの党の政権担当能力に不安を感じるようになりました。