らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

梨の赤星病予防実験

2021-03-31 | 家庭果樹

我が家では桃の花が終わり、いま梨の花が満開となっています。
植栽している梨は、互いの受粉樹にするため「二十世紀」と「豊水」の2品種です。
栽培技術の稚拙さから、市販しているような大きなナシは全くできません。
しかも、毎年、葉っぱに黄色い斑点ができて、葉の裏にカビのような胞子ができる赤星病が発生し、その予防に苦悩しているのです。
今日はその赤星病の予防実験について取り上げます。

・満開となった豊水です。
 桃は花が終わって葉が出てくるのですが、豊水は開花と時期をほぼ同じくして新梢が出てきました。


一方の二十世紀は、例年、豊水から若干遅れて開花するのですが、今年は殆ど同時に開花し、新梢が出てきました。
しかし、受粉してくれるミツバチや蝶の活動がまだないことから、毎日筆で人工授粉しているところです。

・これは二十世紀です。こちらも満開と同時に新梢が出てきました。
 この葉っぱに赤星病が出てこなければいいのですが・・・。


「赤星病の予防実験中」
梨の栽培では毎年、葉っぱに赤星病が発生して、その予防に苦労しています。
そうした中、昨年農協に行った折り、偶然にも農薬卸の方と話す機会があったので、早速その人に聞いてみたところ、次のように教えてくれました。
「農薬には予防薬と治療薬があるので、この時期(5~6月頃)に予防薬を散布しても効果はない」こと。
そこで私が使用している農薬「オーソサイド」について聞くと、それは予防薬だということ。
そして、予防薬は新梢が出る前に散布すること。
と教わりました。

そこで、今年は教わったことを確認するため、冬の間からこまめに(月1~2回)散布して、赤星病が発生するかどうか実験しているところです。

・これは「二十世紀」の花です。


「2品種の花の違い」
二十世紀も豊水もアップした花ではその違いが分かりにくいですが、二十世紀は花弁と花弁の間が開いており、豊水は重なっています。
そして大きさは豊水の花弁の方が直径で約1㎝ほど大きいです。
花弁の大きさは関係ないはずですが、収穫時の果実は豊水の方が大きく、二十世紀は小さくて見られたものではありません。
大きさの大小は栽培の仕方が悪いのですが、花弁のせいにしようとしていますね。
失礼しました。

・これが豊水の花弁です。

 


カイドウと楊貴妃伝説

2021-03-29 | 

美人が雨に濡れ、海棠の花のようにうちしおれている可憐な様子を例えた慣用句に「海棠の雨に濡れたる風情」があります。
他にも「海棠(かいどう )睡(ねむり) 未(いま)だ 足らず」と、楊貴妃の目覚めの様子を例えた慣用句もあります。
このように
、カイドウは美人の形容によく用いられる美しい花です。

その「カイドウ(海棠)」は春を代表する花の一つで、中国では唐の時代の絶世の美女・楊貴妃に因んで「睡花」とか「眠りの花」とも言われています。
いま、我が家のその花が満開なのでご紹介します。



カイドウの日本への渡来は江戸時代の初期ごろと伝えらています。
薄紅色の花びらの可愛らしさから日本では「ハナカイドウ(花海棠)」と名付けられましたが、花先きを長く垂らして咲くことから、別名でスイシカイドウと呼ばれることもあります。



中国故事には、唐の第6代玄宗皇帝が、前夜の酔いが醒めぬまま起きて眠そうにしている楊貴妃を見て、「海棠の睡むり未だ足りず」と、その妖艶な美しさをカイドウに喩えています。
楊貴妃といえば、日本では世界三大美女、中国では古代四大美女として有名な歴史上の人物で、756年6月14日に中国で亡くなったとされていますが、何故かその墓が日本にもあるというのです。



そこで日本に伝わる楊貴妃伝説を調べてみました。

「楊貴妃伝説の由来」
日本に伝わる伝説は以下のようです。
安史の乱の兵士らから、その原因となった楊貴妃殺害を求められた玄宗帝は、かばいきれずに楊貴妃を縊死(いし=首吊り死)させたとされています。
しかし、時が経ち楊貴妃の改葬が行われた際には遺体の判別がつかず、お香の入った袋だけが残っていたことから、「侍女が替え玉となったのではないか」あるいは「蘇生したのではないか」という噂が流れました。
そして、本人は日本に逃れたものの、ほどなく病を患いこの世を去ったと言われているのです。

「その理由」
こうした説が浮上した理由について、
・楊貴妃が非常に慕われる性格であったこと、
・玄宗帝と軍の間を取り持っていたのが楊貴妃の前夫である寿王李瑁(りぼう=玄宗皇帝の第18子)で、彼が手助けした可能性が十分にあること、
・楊貴妃を縊死させたとされる高力士(こうりきし=玄宗皇帝の腹心)との関係も非常に良かったこと、の3つがあると指摘されています。

更に、「楊貴妃殺害を求めた陳玄礼らがその死を確認した」とされていることについて、中国でも「陳玄礼が皇妃の殺害を迫るという不敬に兜を脱いで許しを請うた」とされていることから、遺体を確認するというそれ以上の不敬には及ばなかったのではないかとみています。
人間に首をつらせること自体容易ではなく、専門家もいなかったことから、内侍が意図したか否かにかかわらず気絶するにとどめ、人々が去った後に蘇生した可能性もあるとされているというのです。

実際、山口県長門市には楊貴妃伝説が以下のように伝えられています。

「日本の楊貴妃伝説」(
長門市HPより)
日本で云えば奈良朝の昔、唐の国では天宝15年(756年)7月のこと、向津具(むかつく)半島の岬の西側、唐渡口(とうどぐち)に、空艫舟(うつろぶね)が流れ着きました。
舟の中には大層気品のある美しい女人が、長い漂流でやつれて横たわっていました。
お側の侍女が申すには、「このお方は唐の天子、玄宗皇帝の愛妃・楊貴妃と申されます。安禄山の反乱により処刑されるところを、皇帝のお嘆きを見るに忍びないということで、近衛隊長が密かにお命を助け、この舟で逃れさせ、ここまで流れ着きました。」と涙ながらに言いました。
息も絶え絶えの楊貴妃を里人たちは手厚く看護しましたが、その甲斐もなく、間もなく息を引き取られました。
そこで里人たちは、西の海が見える久津の丘の上にねんごろに葬りました。
それが今、二尊院の境内にある楊貴妃の墓と伝えられておる五輪の塔だということです。

(参考)
「安史の乱」
安史の乱とは、755年~763年、唐の玄宗の末年から起こった安禄山(唐代の軍人)父子・史思明(ししめい:安禄山の部下)父子の反乱です。
乱後、節度使(地方組織の名称)の自立化が進み、唐は衰退に向かったのです。


「見当」の語源

2021-03-27 | 雑学

「見当違い」とか「見当はずれ」などと使用される「見当」という言葉がありますが、この語源が浮世絵から生まれた言葉だということなので調べてみました。

「見当語源」
浮世絵は室町時代に浮世を描いた風俗画として登場しましたが、江戸時代には「墨摺絵(すみずりえ)」と呼ばれる木版の単色刷りとなります。
江戸中期の明和2年(1765年)頃、浮世絵師の鈴木春信が浮世絵版画の多色刷りに成功するのですが、その多色刷りを可能にしたのが「見当」の発明だったのです。

見当とは、版木の右下隅と中央下の2か所に彫ったカギ状の印のことなのです。
浮世絵では何種類もの版木を作って多色刷りをするのですが、色がずれないように見当に紙の端をきちんと合わせて行います。
何色も刷り重ねた時も色がずれないように、その印として作られたのが「見当」なのです。
ここから、「見当ずれ」とか「見当はずれ」という言葉になったということです。

木版画はそれまでの墨一色から、複数の色版を用いた多色刷りになりますが、重ねたときに位置がずれないよう、L字に彫り込む右手前の「カギ見当」と一文字に彫り込む手前中央左寄りの「引き付け見当」の2ヶ所に紙を引っ掛けて位置を定めるようになりました。 
この見当がずれて彫られてしまうと、色を重ねたときにずれてしまうので、木版画にとって精密さを要求される非常に重要な技法の1つでした。

「見当」は現代でも印刷業界で「見当ずれ」のように使われている言葉だということです。



桃でお花見

2021-03-25 | 家庭果樹

各地でサクラの開花が発表されています。
いずれの地区も例年より1週間から10日ほど早く開花しているようです。
大阪でも19日に開花が発表されて以降、天候に恵まれていることから、今月末頃には満開になりそうとの報道がありました。
しかし、今年もコロナ禍でお花見を躊躇せざるを得ない方も多いかと思います。
そこで今日は我が家の桃の花を取り上げますので、お花見をしていただきたいと思います。

・ほぼ満開となった桃の花です。


お花見は桜が定番ですが、桃も美しさでは決して劣りません。
我が家の桃も桜と同じく例年より1週間以上早く、18日に開花が始まり、約1週間でほぼ満開となっており、今がちょうど見頃です。

桃の花は咲いた直後には花弁の中心部が薄いピンク色(白に近い色)ですが、数日すると濃い赤色に変色します。

・一昨日咲いた桃の花です。花弁は中心部を含め白っぽいピンク色です。

下の花は開花2~3日後の花です。
花の中心部が赤色に、全体が濃いピンク色になってきました。

・開花後2~3日経つと花弁の中心部がこのように赤く変色してきます。


更に3~4後には花びらを落とし、蕊だけになって、その中心部に果実が現れてきます。

・これが花弁を落とした桃の花です。花が終わると次第に葉っぱが出てきます。


我が家の桃は樹齢35年を超える老木の白桃です。
年々、枝が枯れてきて寂しい枝ぶりとなりましたが、今年も残った枝に花を咲かせてくれました。

・ピンク色の桃の花はとても美しいです。


桃には古くから邪気を祓う力があると考えられています。
古事記には、イザナギノミコトが桃を投げつけることによって鬼女(黄泉醜女:よもつしこめ)を退散させ、その功績により、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたと記されているそうです。
桃から生まれた桃太郎が鬼を退治すると言う『桃太郎』の民話は、この古事記の記述が元になっていると云われています。

・桜には桜の、桃には桃の美しさが見られます。


 


霞、霧、靄の違い

2021-03-23 | 季節

大阪・熊取地方は、一昨日の降雨と強風によって春霞が一掃され、昨日は遠くまでスッキリ見える清々しい一日でした。
春には霞が度々かかりますが、その発生メカニズムは次のように言われています。
春になって昼と夜の変わり目などの気温差が大きくなると植物からの水蒸気の放出が活性化します。
それによって、大気中の水蒸気の量が増え、微細な水滴が空気中に漂い、風の弱い日に遠くの景色が霞んで見えるのですが、これが霞や霧の発生原因です。

「大友家持の歌」
霞は文学上によく登場します。
  「春の野に 霞たなびき  うら悲し この夕かげに 鶯鳴くも」(万葉集 19巻 4290)

【意訳】
「春の野原に霞がでてきて、悲しく感じる。夕暮れの光の中で鶯が鳴いているよ。」

解説では、この歌は、奈良時代の歌人大伴家持が天平勝宝5年(753年)旧暦2月23日(新暦4月半ば頃)に詠んだ言とわれています。
この歌の、「うら」は心のことで、ここでは「うら悲し」をなんとなく悲しいと訳し、更に、夕方の淡い光を「夕かげ」と表現しています。
”春の光景を目の前にすると、ふつうは「春だなぁ」と前向きになるところを、大伴家持は「なんとなく悲しくなった」と表現しているのです。
この時の家持の心のうちに何か悲しい出来事でもあったのでしょうか?

「霞、霧、靄(もや)の違い」
ところで、冒頭にも書いたように、春は遠くの景色がまるで薄雲がかかったようにぼんやりと見える状態、所謂、春霞になることがしばしばあります。
ぼんやり見えるのは、霞以外にも靄、霧などがありますが、その違いについてご存じでしょうか?
そこで調べてみました。

・霞(かすみ)
 霞は周囲の景色がぼやけた状態を指す言葉で、その原因は、空気中の水滴やその他の粒子によって視界が悪くなった状態です。
 天気予報では霞という表現は使用されませんが、文学上ではよく使われます。
 また、霞は昼間の呼び名で、夜は朧(おぼろ)と呼び名が変わります。

・霧(きり)
 大気中の水蒸気が微小な水滴となって浮遊し、視界が悪くなる現象をいいます。
 湿度が100%近くなると水蒸気は細かい水滴の状態になります。これが霧です。
 気象上の定義では、微小な浮遊水滴により視程(水平方向に見通せる距離)が1㎞未満の状態を指します。
 なお、地上での視界が100m以下、海上では500m以下になる濃い霧は「濃霧」と呼ばれます。

・靄(もや)
 霧と同じもので、空気中の水蒸気が微小な水滴となって浮遊し、視界が悪くなる現象をいいます。
 霧との違いは視界が比較的良いかどうかです。 靄は霧よりも視界がよく、濃度が薄い状態のことを指します。
 気象上の定義は、微量な水滴が発生しているときに視程が1㎞以上10㎞未満の状態をいいます。

以上を簡単にまとめると、
・視野がきかないときは「霧」
・ある程度見えるときは「靄」
・気象用語ではないが、状態を伝えるための表現は「霞」となります



里芋の植え付け

2021-03-21 | 家庭菜園

大阪南部の熊取地方は、昨日、一昨日と日中の最高気温が20度を越えてすっかり春らしくなり、桜の花だよりも届き始めました。
家庭菜園では、気温の上昇と共に春野菜の植え付け準備のため、畝の草取りやその後の畝立てなど、何かと忙しくなってきます。
そうした中、先日、サトイモの植え付けをしたのでご紹介します。

「種芋」
我が家では、昨年栽培した赤芽里芋を10株ほど、白芽の里芋も10株ほど畝に残して越冬させたものを種芋として使用しています。
冬越しの方法は、残した株の茎を切り、その上に稲わらを敷いて寒さ除けとし、更に、雨除けと寒さ対策も兼ねてブルーシートで覆って冬越しさせました。

・越冬させた畝のブルーシートをめくったところです。


ブルーシートと稲わらを取り除き、越冬させた種芋の茎ですが、どの茎にも異常は見られません。


越冬させた株を掘り起こし、取り出した子芋です。
植え付けには十分な種芋が確保できました。


「植え付け方法」
・植え付けの1週間ほど前に石灰と堆肥を入れてよく混和して畝を作っておきます。
・60㎝幅の畝に20㎝ほどの深さの溝を2筋掘ります。
・その溝に発酵鶏糞を施して深さ15センチくらいになるように土を戻します。
・上記の溝に40センチ間隔で種イモの芽を上向きにして千鳥掛けに置きます。



更に株間に化成肥料を一握りずつ置きます。


種芋の芽の上に5センチくらい覆うように土を戻し、畝を作り直しすれば植え付けは完了です。
この後、一度雨に充てて畝を湿らせてから、畝全体に黒マルチ(黒色のポリフィルム)で覆います。

・これが植え付けの終わった畝です。


「栽培管理」
サトイモ栽培では次の2点が重要です。
・畝に水分を十分確保し、乾燥させないこと。
・6月上旬、7月上旬、8月上旬に追肥を行い、土寄せをすること。
 親イモは種イモの上方につくので、土寄せが足りないと小芋の芽が地上に伸びて太りが悪くなり、孫イモの数が増えて小さな芋になるということです。


お経は誰のため

2021-03-19 | 雑学

明日20日は春分の日で「彼岸の中日」です。
お彼岸はこの日を挟んだ前後3日間の7日間を言います。
この時期は昼と夜の長さがほぼ同じことから、仏教の教えでは、西の方角にあるとされているあの世とこの世の距離が最も近くなると考えられています。
そこで墓参りや法要を行うことが昔からの日本の習慣となっているのです。

「彼岸の墓参り」
お彼岸は、お墓に参ってご先祖様を偲び、故人と向き合う日とされているのですが、それに加えて自宅にお坊さんを呼んで「彼岸会」という法要を行うご家庭もあり、ここではお経を唱えて頂きます。
でも、このお経、一体誰のために唱えてるのでしょうか?

「お経は誰のためか?」
以前、NHKの番組「チコちゃんに叱られる」の中で、このテーマを取り上げていました。
それによると、お教は決して亡くなった人のためのものではなく、周りで聴いている、生きている人達のためのものだと紹介していました。
そこで今日は、録画しているチコちゃんの番組を再生して、「お経」について取り上げたいと思います。

「お経とは」
番組の中で解説していた花園大学の佐々木教授によると、お経について以下のように説明していました。
お経の中身は「美しい仏の世界」「未来の予言」などが含まれている場合がありますが、その内容は主にお釈迦様からの生き方についてのアドバイスだということです。

お経は紀元前5世紀ごろにインドで最初に誕生したと言われていて、そのお経の元となる教えを説いたのはブッタとも呼ばれているお釈迦様です。
お釈迦様は裕福な家庭の子供でしたが、生まれてから1週間で母親と死別したこともあり、その後どんな人にも必ず老いや病気や死が訪れるという世の中の現実を見て苦悩するようになりました。
そして29歳の時に家を出て修行に入り、断食などの様々な苦行や深い瞑想修行などを通して、35歳の時に菩提樹の木の下で悟りの境地に入りました。

「お釈迦様の悟り」
お釈迦様の悟りとは?
悟りは表現によっていろいろあるものの、代表的なものが「三法印(さんぽういん)」だそうです。
三法印とは、
・諸行無常(しょぎょうむじょう)
・諸法無我(しょほうむが)
・涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
の三つの教えです。

「三法印」
「諸行無常」は、この世の全てのモノは変化し壊れていくという意味。
「諸法無我」は、自分中心にものを考えてはならないという意味
「涅槃寂静」は、欲望や憎しみなどの自分勝手な思い込みをなくすことで、苦しみが消えて楽になるという意味です。

三法印と言うのは、決して私たちがこの世で安楽で快適、豪華な生活ができるようになりますよ、と言っている訳ではないんです。
よりよい生活をひたすら追い求めるという気持ちを捨てるだけで楽に生きられますよ、と言うのが三法印の軸になる考えです。

「お経」
お釈迦様は80歳で亡くなりましたが、生前残していた教えを後で弟子たちが文字にしてまとめたものがお経です。
仏教は生まれてから約2500年経つという歴史がありますが、後の弟子たちが時代や社会のニーズに合わせて書き換えたり、違う解釈を加えたりしながら様々なお経のバリエーションが誕生しました。
その内どのお経を拠り所にするかによって、いろんなグループに細分化したのです。
それが現在の日本でいうところの浄土宗や日蓮宗、真言宗などの宗派なのです。
その内、非常に人気の高いお経として佐々木先生が挙げたのが般若心経です。
般若心経は大般若教という600巻に及ぶ経典を1巻262文字に要約したお経です。

以上のように、お経はお釈迦様が三法印の考えを基に、弟子たちに残した教えをまとめたものがお経ということです。
なので、法事などで唱えているお経は、参列している人たちへの生き方のアドバイスなのだそうです。

長くなりましたので、以下は関心のある方だけお進みください。

「般若心経の訳」
般若心経の訳については駒澤大学の大澤邦由専任講師が解説されています。
「訳」
仏になるための最高の智慧について説明するお経。
観音様は智慧を身につけるために凄い修行をしました。
そして私たちを形づくるすべての要素が、実は実体のない仮のものだと見抜いたのです。
それによってすべての苦しみを消すことができました。

物質は実体のないものです。
実体のないものが物質です。
更に様々な心の働きも全て実体のないものです。
この世の全てのものは実体がないのですから、生まれたり、消えたり、汚れたり、綺麗になったり、増えたり、減ったりすることもありません。

つまり、実体がないという状態は、物質や感覚などの認識がないこと。
目、耳、鼻などや、色、音、香、味など、私たちが認識している世界はすべて空であり実体がない。
更に愚かさもなく、その愚かさがなくなることもない。
老いも死もなく、老いと死がなくなることもない。
苦しみにも、その原因にも、原因を消すための方法にも実体がない。

悟りの智慧にも悟りにも実体がない。
それゆえ、最高の智慧を完成させてブッタを目指す者は、心に何の妨げもない。
なんの妨げもないので恐れがなく、誤った考えから遠く離れており涅槃に入れるのである。
過去、現在、未来において、悟りを開いたものは智慧を完成させたことによって、本当の悟りを得るのである。

この教えを誰でも覚えられる短いフレーズにしたものがある。
それは絶対間違いのないこの世で最高の言葉である。
それを唱えると全ての苦しみが消える。
おお、悟りの世界へ行った者たちよ君たちの悟りの境地に幸あれ。
以上

最後は激励で締めくくられている、これが般若心経の意味です。
以上のように、般若心経の軸になるのは実体がない「空(くう)」という考え方です。
思い悩むことがあっても、何事にも執着せず、囚われずに生きていこうというアドバイスなのです。

と言うことで、「お経は誰のために唱えるのか?」という番組では「お経は生きている人たちに向けたお釈迦様のアドバイス」という結論でした。


悲憤慷慨

2021-03-17 | 雑学

「悲憤慷慨」、この四字熟語ご存じでしょうか?
読みは「ひふんこうがい」で、意味は、世の中の不義不正や自分の不当な運命などを悲しみ憤ることです。

この四字熟語を知ったのは、14日のNHKの大河ドラマ「青天を衝け」の第5話の中に出てきたからです。
ドラマの中で、吉沢亮演じる渋沢栄一は岡部藩への御用金の上納が納得できず、やるせない気持ちを、10歳年上の師である尾高惇忠(あつただ=論語を教えている師)へぶつけました。
尾高惇忠も渋沢栄一と同様に「悲憤慷慨」していることを打ち明け、そして、アヘン戦争の顛末が書かれた「清英近世談」を読むことを薦める、というシーンでした。
私はこの時、初めて「悲憤慷慨」という言葉を聞いたので、すぐにメモにして調べてみたのです。

「悲憤慷慨」
悲憤慷慨とは、冒頭に書いたように、自身の運命や世の中の悪に憤りを覚えて嘆き悲しむことです。
「悲憤」は「悲しみに憤る」という意味で、「慷慨」は「社会の不義や不正を憤って嘆くこと」と言う意味です。
この二つの憤りの意味を持つ語から成っている「悲憤慷慨」は、冒頭のような強い憤りの熟語となっているのです。

人は生きていくなかで、何か理不尽な経験と共に怒り覚え、同時に大きな悲しみを抱くことがあります。
この時の強い感情を「悲憤慷慨」で表すことができます。

「使用例」
使用例としては、
・長年働いた会社からリストラされた。まさに悲憤慷慨の気分だ。
とか、
・父親が痴漢の濡れ衣を着せられた。私は悲憤慷慨した。
などのように使用されます。

理不尽でやり切れないことが多い世の中です。
ときには、大きな悲しみと同時に怒りを覚えることもあると思います。
毎日が悲憤慷慨の感情を抱かない、穏やかな日であることを望みたいものです。


配偶者の呼び方

2021-03-15 | 雑学

むかし、ディック・ミネが歌った曲に「二人は若い」がありました。

♪ あなたと呼べば あなたと答える
 山のこだまの 嬉しさよ
 あなた なんだい
 空は青空 二人は若い

この歌では、1番の歌詞では「あなた」と呼び、2番では「ちょいと」、3番では「あのネ」と呼んでいます。
若い時は、夫婦間ではどんな呼び方をしても初々しくていいですが、年と共に「あなた」は恥ずかしくなり、「おまえ」とか「おい」などと乱暴な呼び方になって、相手の尊厳を踏みにじるような言葉を平気で使うようになります。
乱暴な言葉も夫婦間で許容されている間はいいのですが、度を超すと家庭不和の原因になりかねません。
気を付けたいものです。

ところで、第三者に対して配偶者を呼ぶとき、皆さんはどのような呼び方をされているでしょうか?
今日は配偶者の呼び方について調べてみました。

「主人が奥様を呼ぶとき」
女性の配偶者を呼ぶときの呼称は「妻」「嫁」「家内」などがあります。
・妻・・・・・妻とは、配偶者の一方である女性を言い、第三者から言う場合もあります。
       婚姻制度上、婚姻関係にある女性は「妻」であり、夫が配偶者のことを言う最も一般的な呼称となっています。
・嫁・・・・・夫の親が嫁いできた女性を言う呼称で、息子の妻のことです。
       「嫁」の対義語は「婿」になります。
・奥さん・・・他人の妻に対して敬って言う「奥様」の砕けた言い方で、奥様より軽い尊敬語です。
       他人の妻に対する敬称なので「うちの奥さん」などと、自分の妻のことを言うのは間違いです。
・家内・・・・家内は目上の相手やそれほど親しくない相手に対して、ややへりくだって自分の妻を言う呼称です。
       家内には「家の中にいる人」と言う意味があり、男性は家の外で働き、女性は専業主婦が当たり前だった時代の言葉です。
       従って、現代ではあまり適さない呼称のようです。
・カミさん・・自分の妻や他人の妻を呼ぶ言葉。
       やや砕けた言い方になる為、話し相手が親しい間柄の場合は使用できますが、目上の相手には使えません。
・女房・・・・同等や親しい間柄の相手に自分の妻のことを言う場合や、親しい配偶者を話題にする場合に用いる呼称です。
       元々は宮中で使用人の女性の部屋を表しました。
       そこから使用人の女性を呼ぶようになり、自分の妻のことを表すようになった言葉です。

「奥様が主人を呼ぶとき」
一方、男性の配偶者を指す言葉としては「主人」「旦那」「夫」など次のような呼び方があります。
・夫・・・・ 妻の配偶者。妻を持つ男。妻の対義語は夫になります。
      語源は男人(おうと)だと言われています。
      公的機関や職場に提出する書類に続柄を記載する際には「夫」と記載するのが一般的です。
・旦那・・・夫の軽い敬称(成人男性含む)。妾や囲い者の主人、お金を出してくれるパトロン的な意味合いもあります。    
      奉公人が主を呼ぶ時に使ったり、商人が男性客を呼ぶ時に使う言葉です。
・主人・・・妻が夫を指して言う呼称。一家の主、自分が仕える人という意味があります。
      配偶者に対して使う場合には夫を立てる表現となるので、「夫」より丁寧な言い方と言われています。
・亭主・・・その家の主人。特に宿屋・茶店などの主。
      亭主の「亭」には建物という意味があることから、「宿屋の主、茶屋の主」といった意味があります。

「結論」
以上のようにいろいろな呼び方がありますが、第三者に対しての配偶者の呼び方は、「夫」「妻」が一般的であり無難のようです。


イチゴにアブラムシ

2021-03-13 | 家庭菜園

2月10日に最終肥料とマルチを張ったイチゴの畝にトンネルハウスを作って1か月弱経ちました。
トンネルによる保温効果で花が咲き始めたので、約1か月ぶりにトンネルを開け、株の状態を確認したところ、大変なことになっていました。



何と!
殆どの株にアブラムシが付いているではありませんか。
株元の黒マルチには油がべっとりと落ちています。
イチゴ栽培を始めて十数年になりますが、このようなことは初めてです。
トンネルにしていたことから害虫の侵入はないものと思っていたのですが迂闊でした。
僅かな隙間から入ってきたのだと思います。



幸いなことに、花が咲き始めであったことや、今咲いている花はその殆どを除去するものであることから殺虫剤散布をしてもよい時期でした。
早速、殺虫剤の散布をしたのですが、この1回だけでは完全に死滅させるのは困難かもしれません。



散布2日後に死滅状況を確認したところ、案の定、まだ生き残っているアブラムシが散見されました。
このため再度、殺虫剤散布を行い、その2日後の昨日、改めてアブラムシの死滅確認を行ったところ、今度は完全に死滅していました。

イチゴに限らず、作付けしている野菜はすべてよく管理をしないと大変な目に合うことを再認識した次第です。