小野小町
今月20日のブログで、世界三大美女の一人「クレオパトラ」を取り上げました。
一般的に世界三大美女と言えば、「クレオパトラ、楊貴妃、ヘレネ(ギリシャ神話に登場する女性)」ですが、何故か日本ではヘレネに代わって「小野小町」が入って三大美女と言われています。
そこで今日は日本で言われている三大美女の一人、小野小町について調べました。
小野小町は、平安時代前期の女流歌人で、百人一首9番の作者です。更に、六歌仙、三十六歌仙の一人でもあります。
彼女には有名な作品が多数ありますが、その中でも百人一首に載せられた次の歌は有名であり、特に女性には人気が高い作品と言われています。
「花のいろは うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」 (古今集)
これは、年老いてかつての美貌が色褪せていく自分の境遇を嘆く歌だそうで、その意味は、
『桜の花の色がすっかり色あせてしまったと同じように、私の容姿もすっかり衰えてしまったわ。桜に降る長雨を眺め、むなしく恋の思いにふけっている間に。』です。
絶世の美女として知られている小野小町は、美人の代名詞とも言える人物ですが、平安時代の女性のご多分に漏れず、生没年をはじめその素性はほとんど明らかにされていないなど、その人物像には謎が多いと言われています。
彼女は、百人一首に選ばれた小野篁(おののたかむら)の孫とも言われていますが、多くの学者からは矛盾点が多いため否定されていたり、出生地も諸説あって明確になっていないようですが、その中でも秋田県湯沢市が有力とされているようで、「あきたこまち」などの名前の由来となっています。
そして人物像については、第54代天皇の仁明天皇から、その子である文徳天皇、孫の清和天皇の三代の時代に宮中で仕えていたと言われており、仁明天皇の更衣だったという説もあります。
「伝説」
小野小町の伝説として特に知られているのが、深草少将の百夜通いがあります。
小町に惚れていた少将は、小町から百日間毎日通い続けたら受け入れると言われ、毎日欠かさず小町の元へ足を運び続けましたが、百日目に大雪のため願い叶わず凍死してしまったというものです。
この話に出てくる少将にはモデルとなった人物が存在したと言われており、それは同じく六歌仙にして交流のあった遍昭ではないかと言われているようです。
また、小町は長命であったとも言われています。
しかし、その晩年を描いたエピソードは「乞食となって落ちぶれた」とか、「地方各地を放浪して行き倒れになった」など、美人と謳われた全盛期とは一転して不遇なものが多いようです。
更に、「故郷の東北に帰って静かに隠棲した」とか、「百夜通いで命を落とした少将を弔って90歳近くまで生きた」など、穏やかな晩年を描いた話も少なくなく、非常に謎の多い女性だったようです。