今、甲子園では第103回全国高等学校野球選手権大会が開催されています。
10日に開幕したこの大会は、天候不良によって順延が繰り返されています。
先ず、開幕日は9日の予定が一日順延されて10日になり、更に降雨のため12日から3日連続で順延されて、既に4度目の順延となって、1975年以来、46年ぶりの出来事となりました。
これだけ順延が続くと日程が詰まってくることから、昨日は雨の中、第1試合が行われましたが、又もや雨が強くなって8回途中でコールドゲームとなり、第2試合以降は今日に延期となりました。
今日も朝から強い雨が降っており、試合の開始が危ぶまれます。
こんなに雨に見舞われた大会は初めてだと思います。
加えて、今年はコロナ禍での無観客開催となり、学校の関係者やブラスバンドの応援だけという異例の大会となっています。
それでも選手の皆さんは開催されたことに感謝の気持ちを表して、ひた向きに、全力でプレーしており、その姿勢に感動を覚えます。
ところで、夏の高校野球選手権大会は毎年の恒例行事としてすっかり定着していますが、この大会が始まったのは今から106年前の1915年の今日なのですが、ご存知でしたか?
そこで、今日は高校野球の始まりと甲子園について調べました。
「高校野球の始まり」
高校野球選手権大会の第1回は、1915年(大正4年)の8月18日から23日まで大阪の豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会として開催されました。
この大会には、全国73校から地区予選を勝ち抜いた10校の代表校が参加し、優勝したのは京津代表の京都二中でした。
因みに、その時の代表校は次の通りです。
地方大会 代表校
東北地区 秋田県 秋田中学(現・県立秋田高等学校)
東京 東京都 早稲田実業(現・早稲田実業学校)
東海 三重県 山田中学(現・県立宇治山田高等学校)
京津 京都府 京都二中(現・府立鳥羽高等学校)
兵庫 兵庫県 神戸二中(現・県立兵庫高等学校)
関西 和歌山県 和歌山二中(現・県立桐蔭高等学校)
山陽 広島県 広島中学(現・県立広島国泰寺高等学校)
山陰 鳥取県 鳥取中学(現・県立鳥取西高等学校)
四国 香川県 高松中学(現・県立高松高等学校)
九州 福岡県 久留米商業(現・市立久留米商業高等学校)
全国中等学校優勝野球大会は、第10回から会場が甲子園球場になり、学制改革により1948年(昭和23年)から全国高校野球選手権大会となって現在に至っています。
・今年の入場式です。(ネットより)

「甲子園の名前の由来」
高校球児が憧れる甲子園が完成したのは、大正13年8月1日です。
この年は、奇しくも、十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う年で、縁起のよい年にちなんで、この付近一帯を「甲子園」と、また野球場を「甲子園球場(当時は大運動場)」と名付けられました。
「十干十二支」
古来中国には「十干(じっかん)」という10進法と、「十二支(じゅうにし)」という12進法の概念がありました。
十干とは、「甲・乙・丙~癸」までの1から10のことで、植物の成長状態を漢字で表わしています。
そして、十二支は年賀状でお馴染みの「子・丑・寅~亥」までの12の干支のことで、下記の通りです。
・十干(じっかん)とは、以下の10年周期です。
甲(こう)(木の兄:きのえ)、
乙(おつ)(木の弟:きのと)、
丙(へい)(火の兄:ひのえ)、
丁(てい)(火の弟:ひのと)、
戊(ぼ) (土の兄:つちのえ)、
己(き) (土の弟:つちのと)、
庚(こう)(金の兄:かのえ)、
辛(しん)(金の弟:かのと)、
壬(じん)(水の兄:みずのえ)、
癸(き) (水の弟:みずのと)
・十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12の干支です。
この十干と十二支の漢字を組み合わせると60通りになり、10と12の最小公倍数の60年をワンサイクルにする概念が生まれました。
還暦が60年というのもここから来ています。
この方法で年号を表すと「戊辰」とか「壬申」などになり、「戊辰戦争」「壬申の乱」などの表現にも使用されています。
甲子園球場は、「甲」と「子」の年に当たる1924年に完成しました。
「甲」と「子」は10進法でも12進法でもはじめの年になることから、昔からたいへん良い年と信じられており、縁起がいいということで「甲子園」と命名されました。