近くの公園では、毎朝6時30分から子供たちが元気にラジオ体操をしています。
昔から変わらぬ夏休みの風景ですが、今日はこのラジオ体操の起源について調べました。
NHKのラジオ体操番組が始まったのは昭和3年(1928年)のことですが、この体操、実は日本で考案されたものではないそうです。
考案者は、アメリカの保険会社メトロポリタン生命保険だそうで、1925年、同社は新規保険加入者を獲得するため三つのラジオ局と契約し、全米15の州に向けて毎朝20分間「Setting up exercise」というラジオ体操番組を放送したそうです。
その中で、『ラジオ体操をすると寿命が延びます。より詳しい健康情報、体操の図解はメトロポリタン生命保険までご連絡を』というCMを入れたところ、契約が躍的に伸びたそうです。
同じころ日本の郵便局では「簡易保険」を販売していましたが、余りにも加入者の死亡率が高かったため破綻寸前でした。
その時、訪米した逓信省の猪熊貞治簡易保険局監督課長がメトロポリタン生命保険会社のラジオ体操の企画を知り、1925年7月に『逓信協会雑誌』で紹介しました。
猪熊氏は1927(昭和2年)年8月、簡易保険局の会議において昭和天皇即位を祝う事業としてラジオ体操を提案し、文部省で検討を重ねた結果、10月29日に「国民保健体操」の名称で発表発表することとなり、1928年(昭和3年)11月1日7:00に天皇の御大典記念事業の一環として東京中央放送局(現在のNHK)で放送を開始したと言うことです。
なお、ラジオ体操を指導したの元軍人で初代アナウンサーの江木理一(えぎりいち)氏だったそうです。
今では国民的な体操となっているラジオ体操ですが、その始まりは、アメリカで生まれた生命保険の販促ツールだったようですね。
「匿名通報ダイヤル」ってご存知ですか?
先日、某テレビで取り上げていたことから、私は初めて知ったのですが、事件を警察に通報する際、通報者の匿名性が守られるという制度です。
今日は、警察の捜査等に協力する観点から、読者の皆様にもご紹介したいと思います。
「匿名通報制度」
匿名通報ダイヤルは、警察庁が2007年(平成9年)10月1日より開始した、匿名通報制度です。
匿名通報ダイヤルとは、市民から匿名により情報の提供を受ける制度で、警察庁の委託を受けた民間団体の㈱リンクファシリティーズ(本社:静岡県御殿場市)が、電話やウェブサイトを通じて提供された情報を警察に通報して捜査等に役立てるものです。
匿名で通報できることにより、身元の特定など、自己への不利益を考えて通報に躊躇していた人からの有益な情報を得ることができるようになることが期待されていると言うことです。
情報提供者には、10万円を限度として、情報料(報奨金)が支払われますが、対象犯罪以外の通報については受け付けはされても参考情報の扱いとなり、情報料は支払われません。
「匿名通報対象事案」
1.暴力団が関与する犯罪等
2.偽装結婚、偽装認知、偽装養子縁組等
3.銃器・薬物事犯
4.少年の福祉を害する犯罪、児童虐待事案、人身取引事犯等
これらの対象事案に関する情報をお持ちの方は、匿名通報ダイヤルへの情報提供をお願いいたします。
なお、一定の基準を満たした情報提供者には、情報料が支払われます。
「情報料の支払い」
本ダイヤルに寄せられた情報のうち情報料の支払の対象となるのは、暴力団が関与する犯罪等、犯罪インフラ事犯、薬物事犯、拳銃事犯、少年福祉犯罪、児童虐待事案又は人身取引事犯等に関するものであり、かつ、警察が一定の基準に基づき当該事案の解決に役立ったと判断したものです。
詳しくは、「匿名通報ダイヤル」ホームページをご覧ください。
匿名通報ダイヤル 0120-924-839
(語呂合わせで:(とくめいーつうほう ーやってサンキュー」)
通報者の匿名性は確保されており、この通報によって通報者の身元が判明することはないそうです。
これまでにキジやモズ、セキレイ等、畑に飛来する野鳥を数回ご紹介してきましたが、今日は畑に飛来した鳥では最も大きくて美しい「シラサギ」をご紹介します。
先日、夕方5時40分頃のことです。
畑に行くと、大きなシラサギ2羽が田んぼの畦道に舞い降りて、餌を探しているところに遭遇しました。
・早速デジカメのシャッターを切りました。
シラサギまでの距離は30~40mほど、10倍ズームで撮影しましたが、顔の辺りがクリアでなく種類を確認する事ができません。
多分、ダイサギかチュウサギだろうと思います。
シラサギとは、コウノトリ目、サギ科のうち、ほぼ全身が白いサギ類の総称で、日本ではダイサギ、チュウサギ、コサギ、カラシラサギを指すそうで、シラサギという名前のサギがいるわけではありません。
種類の見分け方は、大きさや足指の色、冠羽の有無などで識別するそうです。
兵庫県豊岡地方では、田んぼにコウノトリが舞い降りるように農家が協力して保護活動を行っているそうですが、大阪泉州では通常の農業活動の中でシラサギが舞い降りてくれました。
まだまだ自然が豊かということでしょう。
その美しい姿を見せてくれたことにとても感激しています。
奇特
今日は6月5日に公開された文化庁の「ことば食堂」第4話をご紹介します。
メニューは「奇特」です。
動画「奇特」の内容は次のようなものです。
ある家庭の母と娘の会話です。
娘の友達が新聞配達して大学の学費を稼いでいるという話題になり、「今どき奇特な若者ね」「あんたも見習いなさいよ」と母が言うと、娘は「へー、人と変わっていることって見習ったほうがいいんだあ~」と言い、母と娘の間で奇特の意味に食い違いが生じたという内容です。
「奇特」の意味について、皆さんは次のどちらだと思いますか?
(ア) 「優れて 他と違って感心なこと」でしょうか?
(イ) 「奇妙で珍しいこと」と言う意味でしょうか?
『奇特』 とは、本来 『優れて ほか と違って感心 なこと 』という意味なのです。
「平成 14 年度の『国語に関する 世論 』 で、その意味を聞いたところ、本来の意味ではない 『奇妙で珍しいこと 』と回答した 人の割合は 約 25%だったようです。
年代別では、20 代以下の年代で 42.7%以上の人が『奇妙で珍 しいこと 』と回答したと言うことです。
『奇特』という言葉が『奇妙で珍しいこと』として使われている理由としては,『奇』という字が『奇妙』のほかに,『奇抜』『奇怪』という言葉や『奇をてらう』といった言い方でもよく使われることから,これらの言葉の意味が影響していることなどが考えられると解説していました。
『奇特』の本来の意味は、『優れて ほか と違って 感心なこと 』です。
間違って使用しないように気をつけたいものですね。
土俵入り
大相撲名古屋場所は今日が千秋楽となりました。
場所前には、白鵬を頂点としたモンゴル勢の3横綱による優勝争いかと思っていたところ、13日目の一昨日には白鵬が敗れて2敗目を喫したことから思わぬ混戦模様となってきました。
そして昨日の14日目では、白鵬と琴奨菊が2敗で並び、3敗で豪栄道と高安が続いています。
今日の千秋楽の勝敗の結果次第では琴奨菊の優勝も考えられ、そうなると8年振りに日本人力士の優勝となります。
さて、優勝の行方はともかく、今日は相撲の土俵入りについて調べました。
「土俵入りとは」
先ず、土俵入りとは、力士が化粧回しを締めて土俵に上がって顔見世披露することです。
土俵入りには、横綱の土俵入りと幕内、十両の3種があり、それぞれ取組前に行われる儀式です。
江戸時代中期の頃から相撲番付上位の力士たちが東西に分かれて登場し、四股踏みと手拍子を打ち、天長地久を祈り、地の邪気を払い清めて安全を願いました。
この幕内力士の土俵入りを採用して、一人土俵入りを行うようになったのは1789年(寛政1年)の谷風梶之助(初代横綱)からと言われています。
当時、腰にまとうしめ縄を横綱と言っていましたが、これは尊称であって、番付上の地位の名称ではありませんでした。
従って、横綱の土俵入りと言うようになったのは明治時代初期の頃からだそうです。
「土俵入りの型」
横綱の土俵入りの型は「雲龍型(うんりゅうがた)」と「不知火型(しらぬいがた)」の2種類が存在し、それぞれ雲龍久吉と不知火光右衛門
が行っていた土俵入りの型を起源として伝えられたものとされています。
「雲龍型土俵入り」
第10代横綱:雲龍久吉が創始といわれており、綱の結び目が一輪で、構えは左手を胸に当て右手を横に広げる型です。
雲龍久吉は1858年1月場所で大関へ昇進、1861年9月場所で吉田司家から横綱免許を授与されました。
・通算幕内成績:127勝32敗15分5預55休 勝率.799(26場所)
・優勝相当成績:7回
・雲龍久吉の両手を広げた現在の不知火型の土俵入りです。
「不知火型土俵入り」
第11代横綱:不知火光右衛門が創始と言われており、綱の結び目が両輪で、構えは両手を同時に横に広げる型です。
不知火光右衛門は1862年3月場所で大関に昇進すると、この場所に発生した前頭・小柳平助殺害事件によって出場を辞退するが、翌年3月場所で吉田司家から横綱免許を授与されました。
・通算幕内成績:119勝35敗15分9預77休 勝率.773
・通算幕内在位:27場所
・優勝相当成績:3回
・不知火光右衛門の片手を広げた現在の雲龍型の土俵入りです。
雲龍久吉は横綱土俵入りのうち、「不知火型」を考案した人物とされています。
通説によると「雲龍型と不知火型の名前が途中で入れ替わった」とされているようですが、これは、雲龍と不知火の土俵入りがあまりにも美しかったために後世になって名前のみが残され、正式に型の名前を付ける際によく調査していなかったことから入れ替わってしまった、という見方があるそうです。
印籠
水戸黄門の格さんが、「控え!控え!控え!この紋所が目に入らぬか!こちらにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ!」と、印籠を正面に差し出して言うと、
続いて助さんが、
「御老公の御前である。頭が高い!ひかえおろう!」と言うお決まりの文句。
マンネリの代名詞とまで言われた、ご存知「水戸黄門」の一場面です。
・ドラマで使用された水戸黄門様の印籠です。
今日は水戸黄門のドラマには欠かせない印籠について調べてみました。
「印籠の用途」
印籠の構造は3~5段の小型容器に紐を通して連結させているもので、重箱を小さくしたようなものです。
印籠が登場するのは1437年(永享9年)で、当時の印籠は花瓶などと同じように床の間に置かれる置物だったそうです。
それが16世紀に入ると印籠の中に薬が入れられ、薬箱として用いられるようになりました。
そして、戦国時代になると武士たちは携帯用の薬入れとして腰にぶら下げるようになります。
江戸時代に入ると漆や蒔絵螺鈿(らでん)などで装飾された美しい印籠が登場し、美しさを競うようになったそうです。
・水戸黄門様の印籠は3段になっているそうです。
「ドラマで印籠をかざす人」
水戸黄門のドラマでは、悪者をひれ伏せさせるために印籠を使用していますが、当初は黄門様とその一行の身分を明かすために使われていたそうです。
それが第23回になって初めて悪者の前に印籠をかざすようになりましたが、この時は黄門様が自ら印籠を出したそうです。
その後、助さんが黄門様の腰から取り出して「先の中納言、水戸光圀さまにあらせられるぞ!」となり、その7回後のドラマでは格さんが出し、更に弥七の奥方おしんが女性初の印籠を出したこともありました。
黄門様一行が奉行に捕まって牢に入った時には、牢の天上から弥七が印籠を投げ入れると言うシーンもありました。
面白い出し方では、うっかり八兵衛が「お控えなすって!」と言いながら出したシーンもあったようです。
ドラマにおける黄門様の印籠は助さん格さんだけでなく、いろいろな出演者が「この印籠が・・・・」と、かざしていたようですね。
こんなに威力のある印籠ならば、一度使ってみたいものですね。
サッカーワールドカップブラジル大会はドイツが6大会ぶり、4度目の優勝を果たして幕を閉じました。
今大会では、ドイツのミュラー選手とスイスのシャキリ選手がハットトリックを達成しています。
日本は残念ながら、3試合で2得点しか獲得できませんでしたが、この二人は1試合で、しかも一人で3得点を挙げています。
素晴らしい活躍だったですね。
そこで今日はハットトリックの語源について調べました。
ハットトリックとは、1試合に同じ選手が3得点することをいい、6得点をダブルハットトリック、9得点をトリプルハットトリックといいます。
ハットは帽子のことですが、何故、「帽子のトリック」と言うのでしょうか?
ハットトリックはイギリス発祥のクリケットに由来しているといわれています。
クリケットは野球の元になったスポーツで、投手(ボーラー)はウィケットという柱と横木に向かってボールを当て、それに対して打者(バッツマン)はそれを守るためにボールを打ち返します。
ウィケットの横木を落とせば打者はアウトになります。
3人の打者を連続でアウトにするのは、野球以上に難しいといわれています。
この偉業を成し遂げた選手には高級な帽子が贈られ、大変な名誉なこととされました。
これがサッカーでも使われるようになり、1試合で3得点した場合をハットトリックというようになったそうです。
昨日、サッカー日本代表監督に、元メキシコ代表監督のハビエル・アギレ氏が決まったニュースが報じられていました。
新監督にはW杯出場と、「ハットトリック」までは望まないので、もう少し得点が取れるようなチーム作りを願いたいものです。
束の間
「ほんのわずかな時間」とか「ちょっとの間」を言い表す言葉に「束の間」があります
「ちょっとの間」が何故、「束の間」なのか?
今日はその語源を調べました。
束の間の「束」は奈良時代の長さの単位で、一束は指4本分の長さ、つまり、一握り分程の短い幅のことを言うのだそうです。
・日本国語大辞典には、
「束」・・・矢の長さをはかる単位。親指を除いた四本の指の幅。一にぎり分の長さ。約二寸五分(約7.6㎝)。
・新明解国語辞典では、
「束の間」・・・「束」は、もと、握りこぶしを作った時の、四本指の幅で計った長さをさしたわずかの間。
・広辞苑では、
「束」・・・握った時の4本の指の幅ほどの長さ。
と、各辞書ともに、親指を除いた4本の指の幅と説明しています。
これでお分かりのように、束とは長さの単位で、一束は指4本分の幅、つまり、一握り分ほどの短い幅のことですが、この幅の長さから時間の長さに例えられて「束の間」と用いられるようになったそうです。
弓道などでは今でも矢の長さを測るとき、八束(やつか)、十束(とつか)などと用いられているということです。
さて、現在、中東のガザ地区ではイスラエル軍による地上戦が繰り広げられ、多くの犠牲者が出ています。
たとえ束の間であっても休戦、停戦が実現できないものでしょうか?
テロ組織と言われているイスラム原理主義組織ハマスとイスラエルは根深い対立があるようですね。
私は懐古主義者ではありませんが、ふとした時に昔のことを思い出すことがあります。
先日、雑用が重なっててんてこ舞いをした時、ふと、「このような名前の芸人さんがいたな?」ということで、漫才師の獅子てんや・瀬戸わんやを思い出しました。
彼らの得意としたギャグには「たまごの親じゃ、ピーヨコちゃんじゃ。ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃがぁがぁ。」とか「いーとこはーとこいとはとこ」などがあり、今で言うところの流行語をよく作っていたような気がします。
・獅子てんや・瀬戸わんやのお二人です(ネットより)
さて、今日は漫才師の話題ではなく、私のドタバタから、彼らの芸名である「てんやわんや」の由来を調べることにしました。
てんやわんやとは、われがちに騒ぎ立てるさまや、互いに先を争って混乱するさまを云います。
この言葉の由来は二つの言葉、「てんでん」と「わや」の合成語であるという説が有力とされているようです。
「てんでん」は「手に手に」もしくは「手々」が転じて「各自」「銘々」という意味になった言葉で、「各自が思い思いの行動をする」意味の「てんでんばらばら」に使われます。
「わや」は「無理」とか「無茶」を意味する関西地方の方言で「わや」が「わんや」となり、それに語調を合わせるように「てんでん」が「てんや」になったと考えられているようです。
他には、「わんや」にはワイワイと騒ぐ意味の「ワヤワヤ」や、関西で「私」を意味する「わい」を語源とする説もあるようです。
関西地方の方言が喧騒、混乱を意味する標準語となっていたのですね。
そういえば、昭和25年(1950年)に発売されて大ヒットした「買物ブギ」の歌詞の中に「てんやわんや」の言葉が出てきますが、この歌を歌った歌手は大阪出身の笠置シズ子 でしたね。
笠置シズ子はこの歌がピッタリの歌手であり、大阪言葉の歌詞を上手な大阪弁で歌っていましたね。
当時、子供ながらラジオから流れる騒がしいこの歌をよく聴いたものでした。
買物ブギ 作詩・作曲 服部良一
〽 今日は朝から 私のお家は てんやわんやの 大さわぎ
盆と正月 一緒に来たよな てんてこ舞いの 忙しさ
何が何だか さっぱり分からず どれがどれやら さっぱり分からず
何も聞かずに とんでは来たけど 何を買うやら どこで買うやら
それがごっちゃに なりまして
わてほんまに よう言わんわ わてほんまに よう言わんわ
先日、テレビで初めて聞く言葉を耳にしました。
それは「スメルハラスメント」ですが、皆さんはこの「スメルハラスメント(smell harass・ment)」という言葉はご存知でしょうか?
早速、調べてみました。
最近、社会問題になりつつあると言うこの「スメルハラスメント」は、体臭や口臭などの臭いによって周囲に迷惑をかける行為を意味する言葉なのだそうです。
汗やワキガなどを原因とする悪臭だけでなく、香水や制汗剤、柔軟剤などの強い臭いが不快感を与えることによって、スメルハラスメントとみなされる場合もあるようです。
スメルハラスメントは、体臭と合わせて加齢臭などの臭いも強くなってくる中年男性が加害者とされるケースが多く、そして、皮脂分泌も汗もかかない若い女性たちが被害者となることが多いようです。
しかし近年では、女性がつける強烈な香水などもスメルハラスメントの対象になるのだそうです。
私も現役時代、満員電車やエレベーターの中で突然、襲ってくる鼻をつくような臭いを嗅ぐことがありました。
体臭やきつい香水などの臭いに嫌悪感を抱く人も多いのではないでしょうか?
ある化粧品メーカーが行った「職場の身だしなみと臭いの意識調査」では、「どうにかしてほしいこと」の1位が体臭だったそうです。
また、節電で職場の冷房温度が高めに設定され、自分の汗の臭いが気になるという人も増えていると言われています。
また、香水のつけすぎも、男性・女性に関係なく、香水の人工的な香りが嫌な人にとってはスメルハラスメントになります。
自分では大好きな香りでハラスメントだなんて思っていない場合でも、他人にとっては臭くて仕方ないというケースも少なくありません。
体臭や加齢臭の場合はどうにもならない場合がありますが、香水によるスメルハラスメントは、自分自身で簡単に予防することができるので、くれぐれも香水のつけすぎには気を付けるようにして頂きたいものです。