らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

間人皇后と「間人」

2024-04-07 | 雑学

皆さんは「間人」この漢字を何と読みますか?
「かんじん?」それとも「まびと」でしょうか?

「穴穂部間人皇女」
飛鳥時代の歴史に詳しい方ならご存知だと思います。
飛鳥時代の皇族で、第31代用明天皇の皇后が穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)で、聖徳太子の御母(みおも)でもあります。
他にも、第36代天皇・孝徳天皇の皇后も間人皇女(はしひとのひめみこ)と「間人」(はしひと)の名を持つ皇女です。
聖徳太子の御母である穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后は蘇我氏と物部氏の争乱を避け、今の丹後町に身を寄せたと伝わります。

「間人(たいざ)の由来」
ところで、「間人」は皇族名では「はしひと、もしくは  はしうど」と読み、地名では「たいざ」と読みます。
私も10年余り前に京都府京丹後市丹後町の間人の地を訪れて知ったのですが、この地名は元々は聖徳太子の母である穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后に由来しています。
聖徳太子の母である間人皇后は、6世紀末、大和政権の蘇我氏と物部氏との争乱を避けて、今の丹後町間人に、子供の厩戸皇子(後の聖徳太子)とともに身を寄せました。

間人皇后が大和の国へ帰られるにあたり、村人たちの手厚いもてなしへのお礼にと、自らの名「間人」(はしうど)をこの地に贈りました。
しかし、皇后から賜った御名は余りにも畏れ多いことから、皇后が退座したことにちなみ、読み方を「たいざ」にしたと言われ、「間人」と書いて「たいざ」と読むようになったということです。

・2010年に撮影した「間人」の夕日です。


「間人ガニ」
この間人には高級ブランドガニの「間人(たいざ)ガニ」があります。
間人ガニは京丹後市の間人漁港で水揚げされるズワイガニで府漁協が2006年、特許庁に「地域団体商標」として出願し、登録されました。
流通量の少なさや品質の高さから「幻のカニ」とも呼ばれています。
漁協関係者の話では1キロ当たり3万円~8万円程度で取引され、兵庫県産ズワイガニの平均単価(1キロ当たり1万円前後)と比べて高額とされています。

更に、この「間人(たいざ)」の地はカニだけでなく夕日も綺麗です。
京都丹後地方に旅行した時には夕日もご堪能下さい。

 


休息万病が「くしゃみ」

2024-03-28 | 雑学

春は花粉の飛散などでくしゃみをすることがよくあります。
くしゃみを1回すると、それなりのエネルギーを消費すると言われています。
と言ってもダイエットになる訳ではありません。
くしゃみは腹部や背筋を突発的に緊張させる運動なので、腰の弱い人はぎっくり腰になったり、骨粗鬆症の人はくしゃみをしただけで骨折する危険もあるのだそうです。
もし花粉症などでくしゃみが出そうになった時は、何かにつかまったり、座り込んで身体をなるべく固定して出した方がいいということです。

「休息万病」
さて、休息万病(くそくまんびょう)という言葉があります。
この言葉は、くしゃみをしたときにそれを鎮めるために唱えた言葉なのだそうです。
嘗て、くしゃみは、自分の意思とは無関係に生じるために不吉なものと考えられていて、その不吉を払うための呪文「クサンメ」がくしゃみの語源となったようです。
この「クサンメ」は「休息万命(くそくまんみょう)」「休息万病」と音写され、これを早口で何度も言うと「クサメ」と聞こえ、更にこれが転化して「くしゃみ」になったと言われています。
なお、音写(おんしゃ)とは、ある言語の語音を、他の言語の文字を用いて書きうつすことです。

「休息万病⇒クサンメ」
仏典によると、ある時、お釈迦様がくしゃみをしました。
すると弟子たちが一斉に「クサンメ」と唱えて師の健康を願ったということです。
「クサンメ」とは、古代インド語で「長寿」という意味で、インドではくしゃみをすると寿命が縮まると言われて、「クサンメ」と唱える風習があったと言います。

「くしゃみのスピード」
因みに、「ハクション」とくしゃみが出ると、唾が飛んで出ますが、その際、100万粒から200万粒もの唾の飛沫が1~3mの飛距離で飛び散るそうです。
しかも、その初速は時速300㎞以上と言われています。
もし風邪を引いていたなら、一瞬で大量のウィルスをばらまくことになります。
このような事から、風邪をひいたとき、或いは花粉が飛散している時期にはマスクが必須となります。
なお、風邪に端を発したくしゃみは重篤な病の前兆のこともあるそうです。
十分ご注意ください。


勘違いしているよ!「いただきます」

2024-03-26 | 雑学

日本では殆どの人が食事の前に手を合わせて「いただきます」と感謝の言葉を述べて食事をしています。
この慣わしは日本の良き伝統ですが、最近、ある学校では保護者が子供に「いただきます」を言わせないで欲しいと電話してきたそうです。
その理由が「給食費をはらっているから」とのことです。
「いただきます」は、出された料理を食べ始める時の挨拶の言葉です。
給食費を払う、払わない、は全く関係ありません。
近年、この保護者に限らず「いただきます」の意味を勘違いしている人が増えてきているのではないでしょうか?

「コラムからの事例」
先日の新聞のコラムに次のような記事がありました。
熊本県である保護者が学校に「給食の時、子供たちに頂きますを言わせないで欲しい」と電話してきました。
教師がその理由を問うと、「給食費をはらっているから」ということです。
別の学校ではもっと驚く事例です。
保護者が「いただきますは宗教行事みたいだからやめてほしい」と電話してきたそうです。
教師側もそれを認めたということですが、言わないと一斉に食べられないからと、笛を吹くことにしたというのです。
この学校の先生たちは「いただきます」は、給食開始の合図と捉えられていたようです。
更に、岡山の天ぷら屋さんで聞いた話として、母親と娘が「いただきます」を言おうとしたら、父親が「言わなくていい。金を払うのは俺だから」と制したそうです。

「頂きますの語源」
食事の始まりの言葉である「いただきます」の「いただく」は、漢字では「頂く」、または「戴く」と書きます。
「いただく」には、「頭上にのせる、かぶる」という意味があり、さらに、「敬意を表して高くささげる。頭上におしいただく」という意味のほか、「もらう」の謙譲語としても使われます。
これは、身分の高い人から物をもらう際に、敬意を表するためにその物を頭上に高くささげるような動作をしたことから、「もらう」の意味で使われるようになったといいます。
さらに身分の高い人からもらったものが食品だったときや、神仏へのお供えの食べ物を下げて、食べるときにも、頭上にのせるような動作をして、食事をしたことから、「食べる」「飲む」の謙譲語として「いただく」が用いられるようになりました。
それがやがて食事のあいさつとして「いただきます」という言葉として定着してきたということです。

「いただきますの二つの意味」
食事を始めるときの「いただきます」には、二つの意味があると言われています。
・その一つは、食材を作る人や運ぶ人、料理を作る人など、食事に携わってくれた多くの人々の知恵や労力に対する感謝をあらわすこと。
・そして二つめは、食材となってくれた命への感謝です。
 穀物や野菜、魚や肉など、すべての食べものは、元々は「生きもの」です。
 「いただきます」の言葉の前には「いのちを」という言葉が隠されていると言う人もいます。
 そこから、多くの命をいただいて自分の命を養わせてもらうことに感謝し、いただいたたくさんの命とともに生きていることを確認する言葉でもあるのです。

このように、「いただきます」は、敬意を表する動作から生まれた言葉なのです。
現在ではその敬意は、肉や魚、卵はもちろん、野菜や果物も含めて、食材の「命」そのものに向けた言葉と捉え直されており、更に、食材を育てたり獲ったりした人や、食事を作った人に対する敬意と感謝の気持ちを込めた言葉とされています。

冒頭の事例のように、給食費を払っているとか宗教行事のようなものではありません。
学校の先生方も「いただきます」の意味を生徒によく教えて頂き、敬意と感謝の気持ちを込めて食事をしていただきたいと思います。


歳をとると何故「どっこいしょ」?

2024-03-22 | 雑学

歳と共に椅子に座る時や立ち上がる時に「どっこいしょ」と云う言葉を発するようになりました。
最近ではもう口癖のようになっています。
先日、向かいの奥さんが「どっこいしょ」と言っていたのを聞いたのですが、奥さんも階段を上がる時、いつも発するとのことでした。
でも何故、歳を取ると「どっこいしょ」と発するのでしょうか?

「どっこいしょの由来」
先ず、その由来について、日本では、古くから山岳信仰があり、その対象となっている霊山が全国各地に存在しています。
これらの霊山に登るときに唱える『六根清浄(ろっこんしょうじょう)』という掛け声があります。
「どっこいしょ」の言葉はこの「六根清浄」に由来すると言われています。

『六根』とは、仏教の世界で、眼・耳・鼻・舌・身・意(心)のことで、世間と触れ合うところです。
霊山に登る時に、これらの6つの器官が我欲などの執着にまみれていると正しい道を往くことが叶わないとされ、そこで、そこから生じる迷いを断ち切り、身も心も清めるという意味で『六根清浄』を唱えながら登山しているのだそうです。

この眼・耳・鼻・舌・身・意の六根の働きは、
・眼は不浄を見ない、
・耳は不浄を聞かない、
・鼻は不浄を嗅がない、
・舌は不浄を味わない、
・身は不浄に触れない、
・意(心)は不浄を思わない、
ということで、身も心も無垢清浄になろうという祈りの言葉が「六根清浄」です。
この「六根清浄」が「六根浄(ろっこんじょう)」となり、「どっこいしょ」になったと言われています。

「歳をとると何故どっこいしょ」
行動と掛け声の関係性に詳しい専門家は、「掛け声は体のタイミングやスムーズな動きに役立つと考えられることから、年齢が高めになると筋力が低下するので、声という勢いを借りて筋に張りを付けることが大事になってくると考えられる」とし、その声が、仏教用語が元になっていると言われている「どっこいしょ」とか「よいしょ」等の掛け声という事です。
つまり、若い時は簡単に出来て居た事が、歳を取って筋力が衰えると若い時の様に出来なってくるので、力を出す為に無意識の内に「どっこいしょ」と発してしまうということです。

私もそうですが、日頃「どっこいしょ」と発している皆さん、この言葉は「身も心も清浄になろうとする祈りの表れ」でもあり、衰えた体力を掛け声でカバーするために体が無意識に発する言葉のようです。
恥ずかしがらず、堂々と使いましょう。


「伯仲」の由来と「拮抗」との違い

2024-03-14 | 雑学

互いに優劣が無く殆ど同じ程度と云う慣用句に「伯仲の間(はくちゅうのかん)」があります。
伯仲とは、中国での兄弟の呼び順で、「伯仲の間」という表現は、魏文帝の「典論」から来ています。

「伯仲の間」
中国では兄弟を上から順に「伯(はく)・仲(ちゅう)・叔(しゅく)・季(き)」と呼びます。
一番上の「伯」と一番下の「李」の年の違いは大きいですが、一番上の「伯」と二番目の「仲」の違いはそれほどではないと云うことから、「伯仲」とは、たがいに優劣がなく、ほとんど同じ程度だということを言っています。
つまり、二人の兄弟、伯(長男)と仲(次男)の間のように、この言葉は二者間の能力や地位が非常に接近していて、ほとんど差がないことを意味しています。

広辞苑では、その意味について、殆ど差がなく、いずれが優れているか優劣がつけにくいこと。
と説明しており、そして注釈として、中国で兄弟を上から順に伯、仲、淑、季と言い、長兄と次兄を意味する伯と仲ではあまり年齢に差がない所から、記しています。

「伯仲と拮抗の違い」
なお、互いに勢力・力がほぼ等しく、相対抗しているさまを表する言葉に「拮抗」があります。
この言葉も伯仲と同様、2人の間で実力の差がないことを意味していますが、広辞苑によるとその違いは以下のようになっています。
・拮抗は勢力・力がほぼ等しく、相対抗して互いに屈しないことであり、張り合っているというニュアンスが含まれます。
・伯仲は極めてよく似ていて優劣のないことであり、優劣をつけるのが難しいという意味であり、張り合っているというニュアンスはありません。


エスカレータの日

2024-03-08 | 雑学

今日3月8日は「エスカレーターの日」だそうです。
そこでエスカレーターについて調べました。

「エスカレータの日の由来」
「エスカレーターの日」は1914年(大正3年)3月8日に東京・上野の大正博覧会の会場に日本初のエスカレーターが設置され、同日に運転試験が行われたことに由来します。
このエスカレーターは第1会場と第2会場をつなぐもので、秒速1尺(約30センチ)の速さで動いていたそうです。
しかし不運なことに、この月の29日、エスカレーターの振動によって74才の女性が振り落とされて顔に2週間のケガを負い、更に2歳の少女がステップに足を挟まれてケガをしました。
これらが日本初のエスカレーター事故とされています。

「エスカレータの誕生」
エスカレーターの特許を最初に出願したのは、1859年のアメリカ、マサチューセッツ州のネイサン・エイムズという人です。
「Revolving Stairs(回転階段)」と名付けられた発明でしたが、三角形の辺に沿って回転する階段に飛び乗り、飛び降りるといった危険なもので、さらにその動力源は人力や水力を想定していたこともあったことから、製作されませんでした。

また、1892年、ジェシー・W・リノが 「Endless Conveyor or Elevator(無限コンベヤまたはエレベーター)」と題した特許を取得しました。
その後、リノは世界初の実動するエスカレーター(「傾斜エレベーター」と呼んでいた)を制作し、リノ社を設立しました。

さらに、リノが特許取得した数か月後、1892年にジョージ・A・ホイーラーがエスカレーターに関するアイデアの特許を取得しました。
その後、この特許を買い取ったのが発明家のチャールズ・シーバーガーで、彼は研究を続け、1895年にオーチス・エレベータ社と手を組み、1899年に現在のエスカレーターの原型である「踏段式自動階段」を開発したということです。



「日本初のエスカレーター」
日本で初めてのエスカレーターは、東京・日本橋の三越呉服店(現三越百貨店)で、1914年(大正3年)のことでした。
デビュー当時には相当の話題を呼んだようですが、残念なことにわずか9年後の1923年(大正12年)、関東大震災によって焼失してしまいました。

因みに日本初の電動式エレベーターが設置された「凌雲閣」も、関東大震災で受けた被害がもととなって取り壊されていることから、日本におけるエレベーターとエスカレーターの歴史的建造物は、ともに同じ年に失われたという事です。


一日中が何故「四六時中」

2024-03-04 | 雑学

近くのEスーパーの2階に「四六時中」というレストランがあります。
私は午前中にスーパーに行った時、長引いて昼を過ぎる場合に時々利用しています。
美味しいのでコロナ前は数十分並ばなければ入店できませんでしたが、コロナ後は客が減り、いつでも直ぐに入店できます。
「四六時中」という店名の由来は知りませんが、今日は「四六時中」という言葉の由来について調べることにしました。

「四六時中とは」
このレストランの名前にもなっている四六時中(しろくじちゅう)という言葉はご存じの通り一日中とか常に等の意味があります。
広辞苑でも、①二十四時間中。一日中。二六時中(にろくじちゅう)。
      ②始終。つねに。日夜。
と説明しています。

「四六時中の由来」
辞書が示しているように、この言葉は一日中あるいはいつでもずっと、という意味ですが、でも、なぜ四六時中が一日中という意味なのでしょうか?
調べてみると、もともと、一日中という意味で使われていた言葉は「四六時中」ではなく、江戸時代からの「二六時中(にろくじちゅう)」でした。
それが、1873年に太陽暦、及び24時間制が導入されたことをきっかけに、現在の「四六時中」が使われるようになったと言われています。

江戸時代の「二六時中」については、当時は日の出から日の入りまでを「昼」、日の入りから日の出までを「夜」として、それぞれ昼夜を6つに分けて、一日は「十二時(とき)」としていました。
そのため、旧暦では2×6=12で、『二六時中』という表現を使っていたようです。
それが、明治6年以降に「太陽暦(新暦)」が採用されて一日を24時間で表すようになってから、4×6=24の『四六時中』と言うように変わったということです。

「参考:12刻」
また、なぜ12という数が1日をあらわしていたかというと、江戸時代までは1日を12刻としていたためで、12刻は十二支を使って表現されていました。
1刻は約2時間にあたります。
映画やドラマで「子の刻(ねのこく)」や「丑の刻(うしのこく)」という言葉を聞いたことがあると思いますが、これらはそれぞれ午後11時から午前1時頃、午前1時から午前3時頃を指しています。

更に、2時間ごとの1刻は30分ずつ分けられ、それぞれ「一つ時」「二つ時」「三つ時」「四つ時」となります。
怪談などでよく耳にする「丑三つ時」は、午前1時から3時をあらわす丑の刻を4つに分けた3つ目、つまり午前2時から2時30分のことです。


「月とスッポン」の他説

2024-02-29 | 雑学

「月とスッポン」という慣用句がありますが、この「スッポン」は亀の仲間の「スッポン」と思っていたら、別の説もありました。
そこで改めてこの言葉について調べました。

「月とスッポンの由来」
①「スッポン説」
月とスッポンとは、ご存知のように、比較にならないほどその違いが大きいことを例えた言葉です。
この言葉の由来は、月とスッポンの形からとする説があります。
月とスッポンは形こそ丸く似ているものの、大きさは満月の方が圧倒的で、まるっきり違うものであること。
そして、夜空に浮かぶ「月」は誰の目から見ても美しいが、泥の中にいる「スッポン」は顔も醜く見た目がいいとは言えない。
このことから、優れて美しいものとそうでないもや、比較にならないほどの違いの例えとして「月とスッポン」という言葉が使われるようになったとする説がよく知られています。

②「素盆説」
ところがウィキペディアや国語辞典のweblioには、スッポンは亀の仲間のスッポンではなく「素盆(ずぼん)」が訛ったものと説明しています。
意味は同じですが、語源については、月とスッポンは同じように丸いが、全くかけ離れているとし、この時の月は水に映ったものであり、また、すっぽんは「素盆(ずぼん)」が訛ったものと説明しています。
つまり、この言葉は、「月と素盆」と言われていたのが、次第に変化して「月とスッポン」になったと言うことです。

・スッポンが丸いとされているのは、甲羅が丸いからなのでしょうか?


「スッポンが丸い?」
でもスッポンが何故丸いのでしょうか?
中国ではスッポンの事を「団魚(だんぎょ)」と言い、日本でもスッポンの異称として団魚と云う言葉が使われています。
これはスッポンの甲羅の模様が丸いことからのようです。
「団」とは、広辞苑によれば、①丸い事、丸い形 ②ひとかたまりになって集まること などと説明されているように、丸いという意味があります。
この事から「スッポン」は丸いと言われています。

しかし、ネットを見ると、スッポンは甲羅の模様が丸いものもいますが、殆どのスッポンには丸い模様が確認できませんでした。
スッポンを「丸い」と表現しているのは、模様ではなく、丸い甲羅を持っていることからのような気がします。(上の画像をご参照ください)
今日は慣用句「月とスッポン」の他説を調べてみました。


春の雪と歯抜け狼

2024-02-27 | 雑学

10日ほど前は3月下旬から4月上旬の気温でしたが、先週末からは一転して真冬の気温に下がりました。
この寒さで、一昨日も昨日も、近畿の北部や中部の山沿いでは雨又は雪の予報が出ていました。
3月を目前にしたこの時期に、雪が降るような寒さに見舞われると、体調を崩す恐れがあります。
十分お気を付けください。

ところで、「春の雪と歯抜け狼は怖くない」という諺があります。
今日はこの諺について調べました。

「春の雪と歯抜け狼は怖くない」
「春の雪と歯抜け狼は怖くない」という諺は、春に降る雪は歯が抜けた狼のように、見た目は少し心配になるけれど、実際には怖がる必要がない、という意味になります。
暖かくなった3月頃に寒気が流れてきて季節外れの雪が降ると、ちょっとびっくりするかも知れませんが、「三寒四温」で暖かい日に変わるので雪はすぐに解けてしまいます。

一方、「歯抜け狼」という言葉は、歯がないオオカミは人に危害を加えることができないので、怖がる必要はないことを例えて言っています。
このように、この諺は春の雪は「見た目はちょっと心配かもしれないけど、実際には大したことない」と言い伝えています。

ところが現実には季節外れの雪が市民生活に困難をきたしたことがありました。
諺は諺として認識しておき、その上で季節外れの雪には十分注意することも必要です。


林住期

2024-02-25 | 雑学

皆様は「りんじゅうき」という言葉をお聞きになったことがありますか?
「臨終期」ではありません。漢字では「林住期」と書きます。
「林住期」とは、古代インドの考え方の一つで、人生の道しるべを示す「四住期」における3番目の期間になり、人生の最高の期間とされています。

日本では、15~16年ほど前に作家の五木寛之が『林住期』という本を出版したことで広く知れ渡りました。
この本は、50歳以降を人生のピークとする生き方を説くもので、世代を超えて反響を呼び、ベストセラーになりました。

「四住期」
では人生の道しるべを示す、四住期(しじゅうき)とは、どのような期間なのでしょうか?
四住期は、人生を4つに区切る古代インドの人生論でで、以下の4区分になります。
 ①「学生期(がくしょうき)」・・・まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。
 ②「家住期(かじゅうき)」・・・・仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。
 ③「林住期(りんじゅうき)」・・・世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。
 ④「遊行期(ゆぎょうき)」・・・・人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤の時期。



「四住期の年齢区分」
①「学生期」
8歳頃~25歳頃が学生期に当たります。
先生や親など年上の人から学び、身体と精神を鍛え、生きるための術を学ぶ時期です。
さまざまな学びを通して独り立ちを目指します。
この年代は人生においてはまだ未熟であり、周りの大人のサポートを受け、視野を広げながら人生を切り開くノウハウを身に付けていく重要な期間です。
今も昔も、未熟な間はきちんとした鍛錬をおこない、目上の人の助言を聞きながら一人前の力を身に付けることが大切な時期となります。

②「家住期」
25歳~50歳頃、場合によっては定年頃までを家住期と呼びます。
この年代を迎えると社会人としての力を備え、パートナーとの結婚を考える人が多くなり、家族を養う責任が生まれ、貯蓄にも意識が芽生えます。
このため家住期は、一家の大黒柱として働き、仕事で成果をあげるために頑張る時期と考えられます。
学生期を経て身に付けた知識や技術が家住期で花が開き、子育てや仕事などを通して充実した人生が送れる期間となります。

③「林住期」
50歳~75歳頃になると、林住期に入ります。
家住期で家族や社会のために働いた人も、林住期ではその役目を終え、新たなステージを迎えます。
古代インドでは、社会的な義務のみならず家族とも離別して、林の中で修行や瞑想をすると言われていました。
現代では家族と離れるほど、厳格に林住期の生き方を全うするのは難しいですが、自分の内面と向き合い成熟を目指す段階と捉えられます。

林住期は「第2、第3の人生」や「収穫期」「黄金期」とも称されます。
子どもが自立し、定年を迎えた後にどのように生きるかじっくりと考えることが大切です。
社会のしがらみから離れた上で自分が本当にやりたいことを見つけ、充実した人生を送るためのチャンスの時期です。

④「遊行期」
75歳からは、四住期における最後のステージである遊行期に入ります。
これは、人生の終焉に向けて準備をする時期です。
この世に対する執念をなくし、巡礼を通して死ぬ場所や悟りを求めます。
インドのバラモン教では、居住地すら捨てて乞食として遊行をおこなうとされています。
ここまで徹底した生き方は困難ですが、近年は「終活」として遊行期に近い生き方を目指す人が増えています。
人生における悔いをなくし、気持ち良くお別れができるように、元気なうちから身辺整理や葬儀について考える重要な期間となります。

私は年齢的には既に「林住期」を過ぎて第4区分の「遊行期」、否「臨終期」かな? に入っています。
④に説明されているように、人生における悔いをなくし、気持ち良くお別れができるように、元気なうちから身辺整理や葬儀について考え始めてみようかと思っています。