先日、麻生副総理がまたもや失言をしました。
報道によれば、1月28日に、地元・福岡の講演会で上川陽子外務大臣について語った部分での失言です。
『このカミムラヨウコは大したもんだぜ。俺たちから見ててもこのおばさんやるねえ、少なくともそんなに美しい方とは言わんけれども』と、名前を間違えたり、「おばさん」呼ばわりをしたり、挙句の果てには容姿を揶揄するなどの不適切発言を繰り返しています。
この失言は麻生氏が上川外務大臣を評価する内容を話す中で語ったものですが、一言多いのがこの人の悪い所であり、今回も平然とその不適切発言を発したようです。
これに対して大人の対応だったのが当の上川外相であり、マスコミからの問いかけに対して、「どんな声もありがたく受け止める」と受け流しました。
「酒入れば舌出ず」
ところで、失言と言えば、中国の説話集『説苑(ぜいえん)』に「酒入れば舌出ず(さけいればしたいず)」という諺があります
これは、酒を飲むと口数が多くなり、口数が多くなれば失言も出る。そのため身を誤ることにもなるから、酒は慎むべきであるという意で、戒めの諺です。
「故事」
春秋時代(紀元前7世紀)の中国・斉の国のことです。
ある時、斉の桓公が諸侯を招いて宴会を開きました。
その時、ひとり管仲が宴席に遅れてやってきて、杯の酒を半分だけ飲んで半分を捨ててしまいました。
それを見ていた桓公は管仲の態度を非難しました。
管仲は桓公の非難に答えて次のように言いました。
私は『酒が入った者は舌がでて多弁になる』と聞いています。
身を捨てるよりは酒を捨てた方がましだと思います。
これを聞いた桓公は大いに満足したと言います。
まさか、麻生副総理は酒を飲んではいないでしょうが、この諺のように、失言が続けば身を捨てることになりかねません。
身を捨てるよりは失言を捨てたほうがいいのではないでしょうか。
でも、この方は無理でしょうね。
かぎろい
「陽炎・火光」、この漢字を何と読みますか?
「陽炎」は「かげろう」と読みますよね。
しかし、「かぎろい」とも読むようです。
広辞苑で「かぎろい」を調べると、「陽炎・火光」と書いていました。
そして、その説明には、①日の出前に東の空にさしそめる光。②かげろう。③ほのお。と書かれていました。
「かぎろい」
「かぎろい」という言葉はあまり聞かないかと思いますが、「かぎろい(陽炎・火光)」とは、冬の寒さの厳しい明け方、日の出前の東の空に見られる、茜色で薄紫色のような彩のある色光のことで、水蒸気に太陽光線が乱反射して起こる珍しい現象です。
私は早朝ウォーキングをしているので日の出前の東の空を注意して見ているのですが、なかなかお目にかかれません。
そこで、十数年前に飛行機から撮影した画像をアップしておきます。
この時はとても綺麗な茜空でした。
・これは十数年前に飛行機から撮影した「かぎろい」です。
「かぎろいを詠んだ万葉集」
「かぎろい(陽炎・火光)」を詠んだ柿本人麻呂の歌がありますのでご紹介します。
「東の 野に炎の 立つ見えて 顧みすれば 月西渡(つきかたぶ)きぬ」 柿本人麻呂 (万葉集 第一巻48)
読み:(ひんがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ)
この歌は、西暦692年(持統天皇6年)の太陰暦の11月17日午前6時ごろ、阿騎野(あきの)と呼ばれる地(奈良県宇陀市大宇陀区)に、当時9歳の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ:後の文武天皇)とともに狩に随行した柿本人麻呂が早朝の東の空の「かぎろい」を見て詠んだものです。
歌は、東の方の山の斜面、そこに日の出の光が差し始めていて、さて、振り返って見ると、月がもう入ろうとして傾いていた、と言う単純な風景を詠んだものですが、実は月が沈むかのように父である草壁皇子はお隠れになったが、そのあとを継ぐ軽皇子が太陽となってこの世を照らそうとしているのである、という意味なのだそうです。
「かぎろい」は冬に見られる、日の出の1時間ほど前に空が赤く染まる自然現象です。
寒い朝に冷え込めば冷え込むほど出現率が高く、快晴であることも条件とされています。
でも、冷え込んでいない時や秋や春でも見られるようです。
日の出前にウォーキングなどされる場合は東の空にご注目ください。
夫婦善哉
関西では、肌寒い時期になると粒あんで作った「ぜんざい」がよく食べられます。
大阪で「ぜんざい」といえば、道頓堀にある有名な「夫婦善哉(めおとぜんざい)」の名前のお店がすぐに思い浮かびます。
このお店は、大阪ミナミの法善寺の「水かけ不動」さんの隣りにあります。
・夫婦善哉のお店です。
「夫婦善哉」
大阪・道頓堀のぜんざい店・「夫婦善哉」の始まりは、明治16年(1883年)に法善寺境内の藤の棚の下で、浄瑠璃語りの竹本琴太夫が副業としてはじめた「めおうとぜんざい」からと伝えられています。
そして、夫婦善哉が世間に広く知られるようになったのは織田作之助の小説「夫婦善哉」と同名の映画に登場してからということです。
このお店で「ぜんざい」を注文すると2杯出されます。
その謂れは小説の中で、
柳吉が蝶子に「ここのぜんざいはなんで、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方がぎょうさんはいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」と語ったことからで、創業以来それを守ってきているのだそうです。
また、一人前を2つに分けた方がたくさん入っているように見えるという目の錯覚もあって、これが大ヒットとなったそうです。
正に、お得感を売りにした、商人の町・大阪らしい発想だったようですね。
・これがその夫婦善哉です。
「ぜんざいの由来」
ところで「ぜんざい」の由来には2説あるようです。
一つには、出雲地方の神事「神在祭(かみありさい)」で振る舞われた「神在餅(じんざいもち)」を由来とする説で、「神在餅」の「じんざい」が訛り、「ぜんざい」へと変化したと言う説です。
島根県松江市の佐太神社のホームページには、
11月25日の神々をお送りする「神等去出(からさで)神事」では、神前に供えていた餅と小豆を一緒に煮て小豆雑煮を作り再び供えていました。
これを「神在餅(じんざいもち)」と呼び、この「神在餅」が転化して「ぜんざい」になったといわれているもので、佐太神社がぜんざい発祥の地とされています。
そしてもう一つは
仏教用語である「善哉(仏典では実に良いといった意味)」にちなんだ説で、一休宗純が最初に食べたとされ、あまりの美味しさに「善哉(よきかな)」と叫んだとする説です。
出雲から京都にもたらされたぜんざいを、大徳寺の住職が一休さんにふるまったところ、そのうまさに感激した一休さんが、「善哉此汁(よきかなこのしる)」と言ったそうです。
その仏教用語の使い方のうまさに感心した大徳寺の住職が、この話を広めたと伝えられているものです。
どちらの説かは兎も角、甘党の方にとってはおいしい善哉をお腹いっぱい食べたいですよね。
私も甘党なので家内に時々作ってもらっています。
でも、私は糖分も体重も気にしなくてもよい体質なのでいいのですが、糖分を抑制している方やダイエット中の方は甘い誘惑に負けないでくださいね。
皆様は奥様に「ありがとう」と感謝の言葉をかけていますか?
奥様が喜ぶような家事を手伝っていますか?
出来ていない方は、せめて明日だけでも感謝の気持ちをお伝えくださいね。
「急に何を言い出すのか?」
と思われるかも知れませんが、実は明日の1月31日は「愛妻の日」なのだそうです。
「愛妻の日」
愛妻の日とは、 日本愛妻家協会が1月31日の「1」をアルファベットの「アイ:I」に見立て、「31」を「サイ」と読んで「愛妻の日」と制定したものです。
その理念は「妻というもっとも身近な他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない」と言う甘い理想のもと、日本独自の伝統文化かもしれない愛妻家と言うライフスタイルを世界に広めていこうという文化活動だそうです。
「由来と活動」
愛妻の日の由来は、群馬県に本部を構える日本愛妻家協会が前記の理念のもとに制定しました。
同協会によれば、その活動には以下の項目が掲げられています。
1.愛妻家という日本独自の文化の再生
2.絶命が危惧される愛妻家の保護育成
3.妻に感謝をささげる「愛妻家の日」制定
4.倦怠感削減の知恵を地球規模で共有
5.妻恋村を世界の愛妻家の聖地にする
「てみる5原則」
また、日本愛妻家協会によれば、愛妻家のための「てみる」5原則があります。
1.やってみる・・・妻が喜ぶ家事一つ
2.出してみる・・・気付いた時の感謝の言葉
3.聞いてみる・・・世間話と今日の出来事
4.捨ててみる・・・見栄(みえ)、照れ、建前(たてまえ)、世間体(せけんてい)
5.なってみる・・・ 恋した頃の触れ合う気持ち
上記、5原則については、皆さんは既に実行されていらっしゃることと思います。
もし、まだの方がいらっしゃったなら、せめて愛妻の日の明日1日だけでも、この内の一つでも実践されてみては如何でしょうか?
「日本武尊の愛妻家伝説」
群馬県嬬恋村の村名の由来は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の愛妻伝説にあります。
昔々、日本武尊が東征中、海神(ワタツミ)の怒りを鎮めるために愛妻・弟橘姫(オトタチバナヒメ)が荒れ狂う海に身を投じました。
その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)に立ち、亡き妻を偲んで「吾嬬者耶(あずまはや)=ああ、わが妻よ、恋しい」と嘆きました。
これが世界初の愛妻家宣言、と言われています。
今年は辰年という事で先日、辰と風雲について取り上げました。
今日も龍に関わりのある言葉を取り上げたいと思います。
「海千山千」
その言葉とは「海千山千」です。
海千山千とは、広辞苑によれば、海に千年、山に千年住んだ蛇は龍になるという言い伝えから、世知辛い世の中の裏も表も知っていて老獪(ろうかい)な人。
と説明しています。
「蛇と竜」
なお、「竜」の体は大蛇、蛇に似ているとされ、蛇と竜はつながりがあり、中国の書物には『蛟(みずち)千年化して竜になる』という言い伝えもあるそうです。
この蛟(みずち)は蛇に似た伝説の生き物で、その蛟も千年生きると「竜」に生まれ変わるという言い伝えです。
「言葉の由来」
「海千山千」の言葉は、『海に千年、山に千年』が略されてできた言葉です。
そしてその意味は、ご存知のように、世知辛い世の中の裏も表も知っていて老獪(ろうかい)な人、経験を積み、物事に通じて抜け目がない人、悪賢い人を意味し、古狸や腹黒に通じる言葉です。
このように「海千山千」は褒め言葉ではありません。
ところが、中には『海に千年、山に千年』という部分だけをとって『あの人は海千山千の苦労人』といった使い方をする人もいるようです。
実は「海千山千」は、単に経験豊富で知見のある人を意味するのではなく、「深い知識を使ってずる賢く行動する」というネガティブなニュアンスを含んでいます。
間違って相手を褒めるタイミングで使ってしまうと、大変失礼になってしまうので気を付けたいですね。
辰と風雲
自民党内の政治資金パーティーを巡る裏金疑惑に関して、関係する派閥が収支報告書の訂正を検討していると報じられていました。
安倍派では約6億円近くに上る裏金化の可能性があることから、取り扱いを巡る問題が表面化しており、政治資金の舞台裏では風雲急を告げているようです。
今年は辰年で、この「風雲」という言葉は辰に関係がある言葉なので、辰年の年に政治の世界でこの言葉を使用するような出来事が判明したという事は、もしかすると龍が怒ってこの問題を明らかにしたのかも知れません。
「風雲」
「辰」と「風雲」はどのような関係なのか、広辞苑によれば「風雲」とは、
①風と雲。自然。
②龍が風と雲とを得て天に昇るように、英雄、豪傑などが世に頭角を表す好い機会。また、世が大きく動こうとする気運。
と説明しています。
「竜」は古代中国に由来する架空の動物で、雲をよんで雨を降らせ、好機に天に昇るとされています。
辞書が示すように、「竜」は、天に昇る時には風と雲に乗って天に昇るように英雄、豪傑などが世に頭角を表す好い機会であり、転じて、世の中が激しく動きそうな気運をも言うようになりました。
そして、今にも大きな変動が起きそうな、差し迫った情勢を形容して「風雲急を告げる」と表現します。
政治における「風雲」とは、新勢力が旧勢力を凌駕する変動期という事でしょうか?
自民党内でも今「風雲急を告げている」ように感じられます。
風雲急を告げている今こそ、自民党内から風雲児が出てほしいものですが、今の自民党の体制の中では党内からの風雲児の出現は難しいでしょうね。
先日、昭和34年の松竹映画「お早う」を観ました。
この映画はNHK-BSがデジタル修復版として放送したものをBDに録画していたものです。
映画の中ではテレビが普及する頃のシーンが出てきたのですが、このシーンの中でも、昭和32年頃の実際の当時の世相においても、テレビの普及によって「一億総白痴化」という事がよく言われていました。
この言葉はよく覚えているので懐かしくなり、今日のテーマに取り上げることにしました。
「一億総白痴化」
一億総白痴化とは、社会評論家の大宅壮一(1900ー1970年)が生み出した言葉で、流行語となりました。
評論家の大宅壮一は、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」と言い、この言葉はこのような意味合いから作られた造語です。
この言葉は、低俗番組を放送するテレビが日本国民を愚衆化する点を危惧した言葉として1957年頃の流行語になりました。
「時代背景」
この言葉は、もともとは『週刊東京』1957年(昭和32年)2月2日号における以下の論評が広まったものです。
テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。
この『一億白痴化』の中程に「総」がつけられて広まり流行語となったのが『一億総白痴化』ですが、「総」は、松本清張が「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」という表現で「総」をつけたという事です。
「大宅映子が一億総白痴化を解説」
娘の大宅映子氏が7~8年前の講演で次のように述べています。
父が作った新語の「一億総白痴化」とは、テレビというのは目から入ってきて刺激がものすごく強く、茶の間にいながらにして、いろいろな情報がバンバン入ってきて、考える暇を与えません。
しかも、視聴率競争があるので、どんどん刺激が強くなります。
父は「人間というのは刺激をより求めるものであって、見ているのは、ばかばかしいと思いながら、つい見てしまうのが人間だ」と書いているのです。「それに慣らされてしまうと、考えることをしなくなって、みんながどんどん白痴になるよ」ということです。
白痴化の「化」というのは傾向を表す言葉で、警句だったわけですが、今は、この「化」がもう取れてしまったのではないかなと、私は何年も前から思っています。
と述べています。
「テレビ黎明期の警鐘の言葉」
「一億総白痴化」の流行語から67年、テレビは私たち国民にとってなくてはならない存在となっています。
大宅壮一が主張した「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という主張は正しかったのでしょうか?
確かに、テレビ番組の中には非常に低俗なものもありますが、そこは視聴者自身が番組の善悪を判断して視聴していると思います。
現在では「一億総白痴化」というこの言葉を知らない人が多いのではないでしょうか。
この言葉はテレビの黎明期における警鐘として、大宅壮一が言ったのではないかと思います。
皆さんも一度や二度はご経験があると思います。
「こむらがえり」です。
痛いですよね。
私もたまに「こむら返り」になることがありますが、激痛が走ってとても辛いです。
私がこむら返りになる時は、ベッドで仰向けになって背伸びをしたときが殆どです。
その時は、アキレス腱を伸ばすようにして暫く我慢しているのですが、その間とても辛いです。
でも、こむら返りはなぜ起きるのでしょうか?
「こむら返り」
こむら返りをネットを調べると、主にふくらはぎの筋肉が異常に収縮して、痙攣(けいれん)を起こすことで起こります。
ちなみに、「こむらがえり」の「こむら(腓)」とはふくらはぎを指す言葉で、その名の通り、ふくらはぎに多く起こりますが、実は、足の裏や指、太もも、胸など、体のどこにでも発生するようです。
運動中や就寝中に発症することが多く、妊娠中や加齢によっても起きやすくなるということです。
こむらがえりを起こすと、強い痛みを伴いますが、ほとんどの場合は数分間でおさまります。
「原因」
ある病院のHPによれば、「こむら返り」を起こす原因は次のように書かれていました。
ふくらはぎなどの筋肉は過剰に伸びたり、収縮したりすると、無理な動きによって傷めてしまいます。
それを防ぐために、2つのセンサーが備わっており、伸びすぎを防ぐのが筋紡錘(きんぼうすい)、縮みすぎを防ぐのが腱紡錘(けんぼうすい)です。
そのうちの腱紡錘の働きが低下すると、筋肉が異常に収縮して痙攣を起こしてしまいますが、それが、「こむらがえり」ということでした。
「対処法」
くすりのスギ薬局によれば、こむら返りが発生したときの応急処置として、痙攣を起こしている筋肉を伸ばす方法が効果的と記されていました。
・足を前に投げ出すように座り、つま先を手でつかみ、手前側にゆっくりと引き寄せて伸ばします。
・つま先に手が届かない場合、タオルをつま先にかけて引っ張る方法を試してみてください。
・対処する際に大切なのが、ゆっくりと慎重に行うことです。
・急に伸ばすと筋肉を傷めてしまうため、伸ばした状態で姿勢を保持し、ゆっくりと戻すよう意識して下さい。
「予防法」
①十分な水分補給を心掛ける
②筋肉のはたらきに関係するミネラルを摂取する
③ふくらはぎを温めて冷えを防ぐ
④適度な運動とストレッチを行う。
詳しくは「スギ薬局」の「こむら返りはなぜ起きる」にリンクしておきますのでご参照ください。
「呼び名」
ところで皆さんは「こむらがえり」を「こむらがえり?」それとも「こぶらかえり?」のどちらで呼んでいますか?
私は最近では「こむらがえり」と呼んでいますが、昔は「こぶらがえり」と言っていました。
というのは、「こむら返り」の激痛は、猛毒の蛇「こぶら」から命名されたのかと思っていたからなのですが、調べてみると蛇とは全く関係はありませんでした。
実は大阪では昔はふくらはぎのことを「こぶら」と言っていたようであり、今でも多くの人が「こぶら返り」というそうです。
「注意」
なお、たまに筋肉がつるという場合はあまり心配しなくても大丈夫ですが、週に1回以上つるという方は、病気が隠れている可能性があるそうです。
すねの筋肉がつりやすい方は、腰部椎間板ヘルニア、腰部脊柱管狭窄症など、腰や背中の神経が悪くなっているケースが多いそうです。
また首や大胸筋など上半身を含めて全身の筋肉がつりやすい方は、糖尿病や動脈硬化、心筋梗塞など、整形外科領域以外の病気が隠れている場合もあります。
頻繁に筋肉がつる方は、早めにかかりつけの医師に相談し、かかりつけの医師がいない場合は、まずは整形外科を受診して欲しいとのことです。
いずれにしても「ちょっとつりやすいだけ」などと思わずに、専門医にご相談くださいとのことです。
子供たちの冬の遊びの一つに凧あげがあります。
凧上げは日本発祥かと思っていましたが、その起源は古代中国なのだそうです。
「古代中国の凧」
古代中国では凧を軍事目的に使っていました。
紀元前5世紀頃の春秋戦国時代に、鳥の形をした木製のタコに人が乗って偵察したり、漢の武将・韓信が凧の糸の長さで敵陣との距離を測ったりしたと言われています。
「人が乗る凧?」
”木製の凧に人が乗って偵察する” と書かれていたので調べてみると、凧は2500年ほど前(紀元前5世紀)に墨子(春秋時代末期から戦国時代初期に活躍した中国の思想家)が木の鳶(とび)を揚げたと言われています。
そして、その200年後の紀元前3世紀頃にも木製の凧が中国の空に揚がったそうです。
その凧とは、公輪子(魯の機械技師)が竹木を揚げた鵲(カササギ)の彫像を作り、できあがったこの人工鳥を飛ばしたところ、それはようやく3日後に地上に降りてきたと言われています。
公輸子は、手に入れたいと思っていた都市の様子を探るため、木鳶(木製の鳶)に自ら乗って空へ昇ったという別な伝承もあるそうです。
同じころ、前漢の英雄・韓信は敵陣までの距離をトンネルを掘って測る為の測量用具として凧を使用したという事です。
「日本への伝来」
その後、凧揚げはアジア全体に広まり、さまざまな文化や伝統の中で使われるようになりましたが、日本には平安時代に伝わりました。
当初は貴族の遊びだったようですが、次第に庶民の間にも広まり、特に江戸時代には大きなブームとなりました。
江戸時代には「いかのぼり」と呼ばれ、江戸の庶民の娯楽として流行しました。
流行と共に路上でのケンカが起きたり、大名行列に落ちたりするなどの問題が相次いだことから、幕府は1655年に「いかのぼり」の禁止令を出しました。
イカがダメならタコとばかりに「たこのぼり」が出現したのですが、この「たこのぼり」も翌年には禁止する旨の命令が出ました。
「凧あげの意味」
日本の凧揚げには多くの意味が込められています。
その一つは、立春の時季に空を見上げることは健康に良いという意味の言葉があり、そのため新年を迎えると健康を祈るために凧揚げをするようになったといわれています。
また、年の最初に男の子の誕生を祝う儀礼として、無事に成長することを祈りつつ凧揚げをしていたという説もあるようです。
現在でも子供の健康を祈るためにも凧あげが行われたり、一部地域では男子の出生を祝うために巨大な凧を揚げる習慣もあるようです。
凧上げは単なる遊びではなく、祈りや願いを天へ届けるという意味があるのですね。
令和5年(2023年)も今日を含めて4日となりました。
公務員の方は今日が御用納めとなります。
民間でも今日が「仕事納め」となる会社が次第に増えてきているようです。
勤め人の皆さん、一年間のお仕事ご苦労様でした。
毎日が日曜日の小生には御用納めや仕事納めなどは無関係ですが、しかし、何故、仕事納めを「御用納め」というのでしょうか?
「御用納めの由来」
仕事を「御用」という由来は江戸時代まで遡ります。
当時、幕府や宮中の公務は「御用」といわれていたのです。
この慣習が明治維新後にも新政府の法令に引き継がれました。
その流れから現在でも、一年の仕事をすべて終える日は「御用納め」と呼ばれています。
「御用納め」は「官庁御用納め」ともいわれ、正式には国と地方公共団体の役所である官公庁に対して使われる言葉です。
「仕事納め」
一方、公務に携わらない民間企業の場合は「御用納め」ではなく「仕事納め」が一般的となっています。
「12月28日の由来」
では、なぜ今日12月28日が「御用納め」なのでしょうか?
その理由は、150年前の1873年(明治6年)1月7日に制定された、官吏の休暇日を定めた太政官布告第2号「休暇日を定ム」の法律によります。
その法律によれば休暇日は
・1月1日から1月3日
・6月28日から6月30日(この休暇は明治6年6月23日太政官布告第221号によって取り消されたため、実現することなく消滅しました。)
・12月29日から12月31日
とされており、この法律が拠り所となって年末年始が休暇となりました。
更に、1988年(昭和63年)に「行政機関の休日に関する法律」も制定されています。
この法律では、日本の官公庁は12月29日から1月3日までが休日となっています。
この期間は、「行政機関の執務は、原則として行わないものとする」と明記されており、そのため、前日が「御用納め」となっています。
「参考」
「行政機関の休日に関する法律」(昭和63年12月13日に制定された法律第91号)の第1条は以下の通りです。
(行政機関の休日)
第一条 次の各号に掲げる日は、行政機関の休日とし、行政機関の執務は、原則として行わないものとする。
一 日曜日及び土曜日
二 国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)に規定する休日
三 十二月二十九日から翌年の一月三日までの日(前号に掲げる日を除く。)
2 前項の「行政機関」とは、法律の規定に基づき内閣に置かれる各機関、内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれる各機関及び内閣の所轄の下に置かれる機関並びに会計検査院をいう。
そして、地方公共団体は、「地方自治法」により休日を条例で独自に定めるものとされており、必ずしも12月29日から1月3日が休日ではないようですが、多くは国の法律に準じているようです。
また、この日に準じて、民間企業でも12月28日を「仕事納め」とするところが多くなっているようですが、年末が繁忙期となる企業は29日にずらすなど、各会社によって異なっています。
お勤めをされている皆さん、今年は良い年だったでしょうか?
俳人の松崎鉄之介は
「年惜しむ 程のよきこと なかりけり」
と詠んでいます。
もし、今年良いことがなかった方は、来年こそ良い年にしていただきたいと思います。