「秋の七草」
春の七草は知っていても、秋の七草はなかなか覚えられませんね。
皆様はご存じでしょうか?
秋の七草とは、
「ハギ(萩)キキョウ(桔梗) クズ(葛)フジバカマ(藤袴)オミナエシ(女郎花) オバナ(尾花)ナデシコ(撫子)秋の七草」と、5,7,5,7,7の和歌の口調で覚えると覚えやすいようです。
この秋の七草は、すべてが日本原産の花と思われがちですが、唯一、中国原産なのが「フジバカマ(藤袴)」です。
このフジバカマが我が家の畑で咲き始めましたのでご紹介します。
・これが畑の白色と紫色のフジバカマです。
「フジバカマ」
「フジバカマ(藤袴)」はキク科、フジバカマ属の多年生植物で、原産地は中国といわれています。
日本には、奈良時代に香料として渡来し、その後、野生化して日本各地の河原などに群生していました。
しかし、現在ではその数を減らし、環境省の準絶滅危惧種に指定されています。
「名前の由来」
藤袴の名前の由来は、新井白石が書いた「東雅(とうが)」に「その花淡紫色、藤といふ色に似て、その弁の筩(つつ)が袴に似たるところあれば藤袴といひし」とあるように、花の色が藤の花に似ていて、花弁の形が袴に似ていることから「フジバカマ」の名称になったとのことです。
・花弁の形が袴に見えるでしょうか?
ふ
「アサギマダラの好物」
このフジバカマにはアサギマダラ蝶が必要とする”ピロリジジンアルカロイド”という成分があります。
この”ピロリジジンアルカロイド”という成分は、アサギマダラ蝶のオスのフェロモンの原料になっており、成虫はフジバカマに集まって蜜に含まれているこの成分を摂取して敵から攻撃されないようにしているのだそうです。
このようなことから、アサギマダラ蝶はフジバカマに集まってくるのですが、私の畑にはまだ一度も来たことがありません。
アサギマダラヨよ、私の畑のフジバカマにも来ておくれ。
・このように飛んできてくれたら嬉しいのですが・・・。(ネットより)
今月の16日(土)と17日(日)に岸和田だんじり祭りが催されました。
このだんじり祭りは全国ニュースで報じられるようになったことからご存知の方も多いと思います。
一方、泉州地区の各市町村では、来月の7日(土)と8日(日)に、一斉にだんじり祭りが催されます。
我が町熊取でもこの2日間にダンジリ祭りが開催されて、泉州地方は秋祭り一色に染まります。
だんじり祭りでは本番の1週間前の10月1日に「試験曳き」が行われますが、どういう訳か、朝代地区のダンジリが2週間前の9月24日に試験曳きを行っていたのです。
・9月24日に「試験曳き」していた朝代地区のだんじりです。
「試験曳きとは」
「試験曳き」とは、本番に向けた予行演習のようなもので、だんじりに不具合がないかを実際に曳行して確認するものです。
ダンジリ祭りでは、だんじりが勢いよく、街角を直角に曲がる「やりまわし」という曳行があります。
この「やりまわし」は、ブレーキの働きをする左右の前テコと舵を取る後ろテコのタイミングが難しく、腕の見せどころのひとつでもありますが、危険とも隣り合わせています。
このような事から「試験曳き」には、だんじりを曳く人たちが、それぞれの細かい動きを含めて、練習しておくという意味合いもあります。
・本番では朝代地区のだんじりがこの場所まで来ることはないのですが、「試験曳き」ということで、ここで折り返して帰っていきました。
畑で作業をしていた時、太鼓や笛の音と共に「そうりゃ! そうりゃ!」というかけ声が聞こえたので撮影しました。
本番の曳行では朝代地区のだんじりはこの道路に入ってきませんが、「試験曳き」では、畑のすぐ傍まで来て、折り返していきました。
他の地区より1週間早い朝代地区の「試験曳き」は、きっと、曳き手の人達がだんじりを曳きたくて待ちきれず、辛抱できなかったのでしょう。
それは兎も角、今年は2週間も早くだんじりを見ることができました。
観測が始まってから最も暑い月となった8月が終わりました。
その最終日であった昨日、大阪南部の熊取町に「虹」が出現しました。
虹は幸運の兆しといわれています。
「虹を見ると願い事がかなう」という言い伝えもあります。
また、「虹のふもとには宝物が眠っている」という言い伝えがあるように、虹は古くから幸運の象徴として人々に親しまれてきています。
宝物や幸運の兆しがあるかないかは別にして、虹はしょっちゅう見られる訳ではないことから、虹を見られるだけでも、既にラッキーだといえるのかも知れません。
「早朝に虹が出現」
昨日の早朝のことです。
いつものように早朝ウォーキングをしていました。
ウォーキングは4時50分頃から始めたので、辺りはまだ暗かったのですが、5時半前には明るくなりました。
その時間帯は黒い雲が空一面を覆っていたので、雨を心配して空を見上げると大きな虹が出ていたのです。
時間は5時25分頃でした。
カメラがなかったのでそのまま10分ほど歩き、家に戻ってスマホを持ち出し撮影することにしました。
家につく前には虹が薄く消えかかっていたのですが、5時40分頃に濃い色の虹が出てくれました。
・これがその虹です。
「虹」
虹とは、簡単にいえば空気中の水滴が太陽光を反射して見える現象で、光が空気中の水滴に屈折して入り、水滴の中で一回反射して、さらに屈折して水滴から出ていった時に現れます。
この時、光は波長によって屈折率が異なるので、「赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍(あい)、紫」の7色に分かれます。
また、虹は必ず太陽の反対側の決まった位置に出現します。
私達が太陽を背にして立った時、太陽光の進む方向(対日点)から常に42度の角度を保って現れます。
そのため、太陽が高い位置にある時は虹は出づらく、太陽が低い位置にある方が虹が出現しやすくなります。
「虹の原理」
虹は雨上がりの空に、太陽を背にしたときに正面に見られることがあります。
これは空気中にある水滴の中で光が屈折して反射したものを見ているのですが、このとき波長(≒色)によって屈折する角度が違います。
赤は屈折角度が緩く、紫は鋭くなります。
最終的に、入ってくる太陽の光に対して、赤の光は角度が42.4°、紫の光は40.7°曲がって出てきます。
実際に虹(ここでは主虹)が見えているとき、見る人の立場からすると、少し高めにある水滴から反射して42.4°から入ってくる光が赤く、40.7°から入ってくる光が紫になります。
なので、上のほうが赤く、下のほうが紫になります。
「虹は何故 虫篇?」
虹はなぜ虫篇の漢字なのでしょうか?
それは昔の中国では、虹を竜(大蛇)の一種と考えていたことからのようです。
「虫」の字は元々は蛇をかたどったものであり、「工」は貫くという意味なので、「虫+工」で天空を貫く竜(大蛇)となり、虹はそんなイメージからこの漢字となったようです。
今日から9月です。
遅れている秋野菜の準備を急がなければいけません。
虹を見ると願いが叶うと言われています。
もし、願いが叶うなら、秋の到来を早めてもらい、日中の最高気温を30度以下にして欲しいものです。
大阪はフグの消費量が日本一だそうです。
フグの中でも高級魚とされるのは「トラフグ」ですが、そのトラフグが、全国で最も食べられているのが大阪府で、実に、全国の消費量の約6割を占めているともいわれるほど、大阪ではフグの人気が高いのです。
フグといえば、山口県の下関が有名ですが、その産地は西日本が中心となっています。
西日本ではフグが多く出回るため、大阪では古くから、フグが安く食べられる魚として庶民に親しまれてきました。
更に、大阪では昔からどんな魚も食していこうと、いろんな知恵や工夫を使って食べるというスタイルが大阪の食の文化に繋がっており、このことも併せて、現在も大阪がトラフグ消費量日本一となっている理由ではないかといわれています。
「大阪とフグ」
人間がふぐを食べてきた歴史は古く、縄文時代の遺跡からふぐの骨が発見されていることから、当時からふぐが食べられていたと考えられています。
ただ、中毒死は後を絶たなかったようです。
このような事から、後世、全国統一を果たした豊臣秀吉は、武士がふぐの毒に当たって亡くなってしまうのを防ごうと、「河豚食禁止令」を出しました。
ところが大阪の庶民の間では密かにフグ食が続けられていました。
フグ食が正式に解禁されたのは、明治になってからです。
そのきっかけは、初代内閣総理大臣・伊藤博文が下関を訪問したことがきっかけだと言われています。
この頃は大阪湾でもフグが取れていましたが、昭和に入ると、開発によりフグが取れなくなりました。
しかし、大阪の人はフグ欲を満たすために西日本各地から集めました。
西の玄関だった大阪で、フグが多く食べられる文化が育ったのも、やはり産地との距離の近さもその要因の一つのようです。
更に、大阪のフグ欲を支えてきた職人は、全国でも突出して多い11万人以上います。
こうして大阪ではフグを楽しめる文化が根強くなり、全国一のフグ消費量となっているという事です。
日頃から親しくしている菜園仲間にT氏がいます。
彼は ”NPO法人グリーンパーク熊取” の役員でもあります。
”グリーンパーク熊取”は自然環境保全や子どもの健全育成を支援するなどを目的として活動している団体なのですが、そこが4年前からブルーベリーの栽培を始め、彼はその責任者にもなっているのです。
その彼から、6月19日にグリーンパーク熊取が運営しているブルーベリー農園「和田山Berry park」をNHKが取材に来ると聞きました。
そして放送は2日後の21日の予定という事でした。
しかし、当日は急遽、岸田総理の記者会見が行われたことから放送は29日に延期になり、先日放送されたのでご紹介したいと思います。
「和田山Berry park」
ブルーベリーを栽培している「和田山Berry park」は、2019年に熊取町の南部にある「野外活動ふれあい広場」の前に地元の農家から畑をお借りして開園した農園です。
その農園のブルーベリーは2年ほど前から大幅に収量が増加したことから、毎年ブルーベリー狩りを実施して来園者から好評を得ています。
大阪でのブルーベリー農園は珍しいという事で、その現状をNHK大阪放送局が取材し、夕方6時からの地域ニュース「ホット関西」の ”ええやん!” のコーナーで放送しました。
・放送画面の一部です。
「熊取町の新たな特産品」
この農園は熊取町が町おこしの新たな特産品として、府内ではまだまだ栽培が少ないブルーベリーに注目して栽培を呼びかけ、これに賛同した地元のNPO法人が2年前に「和田山Berry park」を開園し、栽培面積を拡張しているところです。
ここでは現在十数種類の品種が栽培されており、地元の子供たちを始め、遠方からも多くの人がブルーベリー狩りに訪れているという事です。
「ブルーベリー栽培」
ブルーベリー栽培責任者のT氏は、ブルーベリー栽培には当地の気候は適していて、比較的育てやすいと考えていたようですが、そんなに甘いものではなかったようです。
当初は植え付けた苗木の1割から2割が枯れてしまったそうです。
その原因は水はけの悪さでした。
元々、水田だった土地に農園を整備したため根腐れを起こしたようです。
そこで粘土質の土を取り除き、排水設備を強化するなど、メンバーたちは試行錯誤しながら栽培に適した農地へと改良しました。
その結果、開園から去年までの2年間で収穫量はおよそ6倍に伸びるなど、着実に成果をあげてきたという事です。
「ブルーベリーを使用した加工品」
更に町内ではこうして栽培された熊取産のブルーベリーを使った様々な加工品が生み出されています。
例えば、ある飲食店では熊取産ブルーベリーを煮詰めたゼラートにヨーグルトを掛け合わせた味を開発し、ブルーベリーの甘みや酸味がぎゅート詰まった味が楽しめるスイーツを開発して、来店したお客様から好評を得ていると言います。
また、別のスイーツのお店では、ベイクドチーズケーキの上にブルーベリー味のレアチーズをのせたスイーツや、更に地元のフルーツを使ったシフォンケーキサンドやシュークリームも考案しています。
現在、熊取町内では6店舗で10種類の加工品が生まれ、ブルーベリーの存在感が徐々に高まってきています。
お店では熊取の新たな特産品として定着させていきたいという事でした。
現在、熊取町には特産品と言われるものは何もありません。
このブルーベリーが「熊取産ブルーベリー」として特産品に成長してくれればいいのですが・・・。
大阪には「笑わず餅」という和菓子がありますが、ご存じでしょうか?
大阪以外の方はご存知ないかも知れませんね。
府内在住の私も知らなかったので調べてみました。
「笑わず餅」
「笑わず餅」とは、26年前に大阪の和菓子職人たちが和菓子をもっと食べてもらうきっかけにしようと考案されました。
そして、毎年6月16日の和菓子の日に合わせて共通のラベルを付けて販売されており、今では大阪府内40ほどの和菓子店に広がっているという事です。
「由来」
「笑わず餅」の由来は、和菓子を笑わずに食べて厄除けにするという風習があったことに由来しています。
その謂れは、平安時代のことです。
当時の都は疫病が流行り、たくさんの人たちが苦しんでいました。
そこで、天皇が厄除けを祈願して16種類の菓子や餅を供えたところ、たちまち疫病は収まったとされています。
この言い伝えが江戸時代になると、笑うと口から邪気が入るから、笑わずに食べると言う厄除けの風習として広まり、健康に過ごせるようにという意味が込められるようになりました。
この風習に因んで作られた和菓子が「笑わず餅」です。
「笑わず餅の条件」
笑わず餅を作るにあたっては二つの条件があるのだそうです。
①その一つは夏らしい和菓子であること。
②もう一つは小豆を使う事です。
赤い小豆は昔から魔除けの意味があり、疫病退散には欠かせない食材なのだそうです。
・これが各種の「笑わず餅」です。(ネットより)
「各種の笑わず餅」
「笑わず餅」は毎年6月16日の和菓子の日に合わせて、共通のラベルを付けて販売されており、今では大阪府内40ほどの和菓子店に広がっています。
各店では、暑い夏を美味しく乗り切ってもらうためのアイディアを取り入れた和菓子が作られています。
例えば、クズを使った夏菓子では、餡とくずの二層仕立てにして、涼しげで美味しそうに仕上げていたり、
また、夏バテ対策に16種類の生薬を煎じたエキスを入れた「笑わず餅」も作られています。
更に、夏の夕方の蛍をイメージして金粉を散りばめた「笑わず餅」を作り上げたお店もありました。
このお店では、食べていただいたお客様のこれからの人生が光り輝くようにという意味合いが込められているという事でした。
「新たな大阪名物?」
ある店主の方は、若い人たちには、ケーキやチョコレートなどと比べ和菓子は食べられていないことから、和菓子をもっと身近に感じてほしい。
そして、京都には「水無月」という夏のお菓子がありますが、大阪にはそのようなものがないので、これらの「笑わず餅」が大阪の夏の名物になることを願っているという事でした。
大阪府熊取町で小学校4年生の吉川友梨さんが行方不明になった事件から今日で20年となりました。
この間、大阪府警では懸命に捜査していますが解決に至っていません。
「吉川由梨ちゃん事件」
この事件は平成15年(2003年)5月20日、熊取町の小学4年生だった吉川友梨ちゃんの行方が分からなくなり、誘拐事件として捜査している事件です。
弊ブログでも何度か取り上げて情報提供をお願いしているところであり、過去にコメント欄に情報をいただいたこともありました。
ありがとうございました。
その情報を泉佐野警察に提供しましたが、残念ながら未だ解決に至っていません。
引き続き情報提供をよろしくお願いいたします。
今日は 大阪府警が作成した事件の動画をアップさせていただきました。
ご覧いただいて、どんな小さなことでも構いません、心当たりがあれば情報の提供をお願いいたします。
・大阪府警が事件情報を編集した動画です。ご覧ください。
人口43千人余りの小さな町で、このような大きな事件が発生しました。
ご両親を始めご家族、ご親族の皆様のご心痛をお察しすると非常に心が痛みます。
全国の皆様にはどのような情報でも結構です。
心当たりのある方は下記までご連絡ください。
「連絡先」
大阪府泉佐野警察署捜査第一課捜査本部
郵便番号 598-0007 大阪府泉佐野市上町2-1-1
電話番号 072(464)1234
FAX番号 072(462)0854
もし、警察に連絡することに抵抗を感じられるようでしたら、当ブログのコメント欄にコメントください。
皆様に代わって私が警察までお届けさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
畑に行くと「雉(きじ)」のつがいをよく見かけます。
どうもこの二羽の夫婦雉は、ここは居心地がいいのでしょうか、何年も棲みついているようです。
私が畑に行くと足音に気づいて高い声でケーンと鳴いて飛び出て去っていきます。
雉は国鳥です。
今日は国鳥「雉(きじ)」について取り上げます。
・雌を呼ぶように竹やぶの方を向いて鳴いている雄のキジです。
「雉」
雉はキジ目キジ科に属する全長60㎝~80㎝、地上性のニワトリ大の鳥で、本州・四国・九州に分布しています。
1947年(昭和22年)に日本鳥学会で国鳥に選定されました。
昔から日本人とかかわりの深い鳥として、「桃太郎」をはじめいろいろな物語に登場しており、「朝キジが鳴けば雨、地震が近づけば大声で鳴く」といった予知能力まで与えられていると言われています。
しかし、日本の国鳥に選ばれていながら、狩猟が許されているという、不幸な鳥でもあります。
「キジの雄」
オスは顔は赤色、頸・胸・下面全体は暗緑色、背面の色彩は複雑ですが美しい色合いです。
繁殖期になると、ハート型の赤い顔になり、「ケーンケーン」と鳴きながらメスを求めます。
・キジの雄です。
「メス」
メスは淡褐色で黒斑があり、尾は雄と比べると短く、全体に地味な色合いです。
・地味な色合いのキジのメスです。
諺に「雉も鳴かずば撃たれまい」とあるように、キジは狩猟することができる鳥となっています。
日本ではそのキジが1947年(昭和22年)3月22日に国鳥に指定されています。
国鳥に選ばれた理由には、「メスは母性愛が強く、ヒナを連れて歩く様子が家族の和を象徴している」ことからのようですが、国鳥が狩猟対象となっているのは日本だけのようです。
国鳥に選定された理由にあるように、キジが「家族の和を象徴している」というのであれば、個人的には狩猟対象から外すべきと考えます。
国鳥を狩猟するなんて、余りにも可哀そうな気がします。
北朝鮮が何度も、何度も日本海に向かってミサイルを発射しています。
2022年に北朝鮮が発射した弾道ミサイルは50発を超え、2012年に金正恩政権になってからの最多を記録したそうです。
北朝鮮専門家によると、ミサイル1発の費用はおよそ3~4億円、射程距離が長いものだと10億円にもなるということです。
核開発にも力を入れている北朝鮮は、その莫大な費用をどこから入手しているのでしょうか?
一方で、北朝鮮の国民は苦しんでいます。
食べるものがなくて飢餓で死んでいく人々が絶えず、住民の生活水準が比較的高い開城(ケソン)市でさえ、毎日数十人が餓死しており、住民からは「ただ人間らしく生きたい」と飢餓に苦しむ声が上がっているという事です。
国民が飢餓に苦しんでいる状況下に、なぜ、何億円もするミサイルを製造し、発射するのか?
権威主義国の為政者、金正恩氏は民の苦しみを考えないのか?
国民は金一族の奴隷として搾取する対象としか考えていないのでしょうか?
「仁徳天皇陵」
民と言えば、日本では1700年ほど前に仁徳天皇が民の生活の苦しさから、租税の免除を発したとの伝説が残っています。
その伝説は後に記すとして、その前に仁徳天皇陵についてご紹介します。
仁徳天皇陵古墳はエジプト・クフ王のピラミッド、中国・秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。
前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されています。
・仁徳天皇陵古墳です(パンフレットより)
・仁徳天皇陵参拝所です。
「民のかまど」伝説
仁徳天皇は即位して4年目のある日、難波高津宮から遠くを見渡して、人々の家から少しも煙が上がっていないことに気付きました。
天皇は「民のかまどより煙が立ち上らないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、3年間、税を免除しました。
税を免除したことから朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。
天皇は衣も新調せず、茅葦屋根は破れて雨漏りがあり、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。
3年経って、天皇が同じ高台に出て遠くを眺めると、今度は人々の家々から炊煙が盛んに立つのをご覧になり、一緒にいた皇后に「我は豊かになった。喜ばしいことだ」と言いました。
皇后は「私たちが住んでいる皇居の垣は崩れ、衣服には穴があき、屋根が破れて雨漏りがしているのに、どうして豊かになったと言えるのですか?」と問うと、天皇は、「昔の聖王は国民の一人でも飢え、寒がる者があるときは自分を顧みて自分を責めた。今、国民が貧しいのは自分も貧しいのだ。国民が富んでいるのは自分も富んでいるのだ。未だかつて人民が富んで、君主が貧しいということはあるまい」と言ったのです。
「6年間税を免除」
天皇は引き続き、更に3年間、税を献ずることを許さず、6年が経過してやっと税を課し、宮殿の修理をすることを許しました。
すると人々は命令もされないのに、老人を助け、子供を連れて、材料運びに精を出し、昼夜をいとわず宮殿づくりに励みました。
そのため、瞬く間に宮殿ができあがりました。
それ以来、天皇を「聖帝(ひじりのみかど)」と崇めるようになりました。
日本の天皇は、初代の神武天皇以来、国民を「おおみたから」と呼んでいます。国民は奴隷として搾取する対象ではなく、宝として大切にするという姿勢です。
仁徳天皇はその姿勢で政治を行い、困窮者を救い、病者を慰問し、孤児や寡婦を扶助したと「日本書紀」にも書かれています。
「仁徳天皇御歌」
「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり」
意訳:高殿に登って国のありさまを見わたすと、民家からは煙がたちのぼっている。民のかまども豊かに栄えているのだ。
・仁徳天皇の歌碑です。
岡山の方言に「はしる」があります。
「Run」の走るではありません。
ひりひり痛むとか沁み込むような痛みの時に使います。
岡山県出身の私は故郷を離れて半世紀以上になり、すっかり忘れていた言葉なのですが、先日、新聞のコラムに載っていたので、懐かしい方言をご紹介したく取り上げました。
「コラム」
コラムには、次のように書かれていました。
広島出身の知人から「歯がはしって辛い」との理由で会食を欠席したい旨の連絡がSNSグループに回ってきた。「お大事に」と即座に反応したのが岡山県人。中国地方特有の言い回しで歯がズキズキ痛むのである。
「痛みが走る」は共通語だが、「火傷(やけど)がはしる」など、具体的な患部が「はしる」のは方言的な用法だ。突き刺すような激しい痛みを表すのにはぴったりの表現だと言う。
(中略)
ところで、激しい歯の痛みにおそわれると、我慢できずに歯医者へ走って行きたくなるほどだが、そんな語源説は何処にも見当たらなかった。
「使用例」
コラムに「具体的な患部が ”はしる”のは方言的な用法だ」と書かれているように、「はしる」は岡山の方言で「沁みる」とか「沁みて痛い」という意味で使用されます。
私が子供のとき、怪我して傷口にヨードチンキ(赤チン)を塗られた時、痛みをこらえて、
「うー、はしる~!」
のようによく言ったものです。
この「はしる(痛み)」は消毒液を塗られた時、傷口から沁み込む痛みで、どのような痛みなのかは年配の方なら想像がつくと思います。
「語源」
「はしる」の語源は『走る』なのだそうです。
これは消毒で周辺を走り回りたくなるような痛みを感じることを表現しており、標準語だと「沁みる」に相当します。
「言葉は国の手形」という諺があります。
岡山県で現在でも「はしる」が使用されているのかどうかは知りませんが、もし、使用されていないとすれば、故郷の手形が一つなくなったことになり、少し寂しさを感じます。