らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

烏の濡羽色

2024-05-11 | 家庭菜園

諺に「髪はカラスの濡羽色」があります。
これは、女性の髪の色彩を形容する言葉で、日本人女性の理想美として使用されている言葉です。
この諺は、万葉集の時代から使われていたようで、しっとりと黒く艶のある髪の美しい女性を褒める時の表現として使われていたようです。

「美しいカラスの濡羽色
家庭菜園をしていると実物(みもの)野菜を中心に度々カラスの被害に遭うことから、カラスは憎っくき害鳥ですが、カラスを傍で見ると、その羽の色は黒く艶があって、とても綺麗な色をしています。
諺の「髪は烏の濡れ羽色」が実感できる美しい色です。

・捕獲したカラスです。傍で見ると鮮やかな青みを帯びた黒色をしていました。


濡烏色(ぬれがらす)」
青味のある黒色の濡烏は、烏色、烏羽色、烏の濡羽色、濡羽色など、さまざまな呼び名があります。
この濡れ烏は万葉集の時代より「髪は、烏の濡れ羽色」といわれるように、黒く艷やかな女性の髪の毛を形容する言葉として用いられました。
その烏の色をよく見ると、羽は青や紫、緑などの光沢を帯びて見えますが、これは羽毛の表面にわずかに構造色を持つためだそうです。
まっすぐで健康的な女性の髪もまた同様に、水や髪油などを含むことで、わずかな干渉色を浮かべた「烏の濡羽色」のような美しい黒となるということです。


間違っていた「生姜栽培」

2024-05-09 | 家庭菜園

当地では大型連休の間は夏日となる暑い日があり、最低気温も15度以上になって、大きく冷え込むことがなくなりました。
最低気温がこの気温になると生姜の植え付け時期となります。
我が家でも先日この気温を待って植え付けました。
そこで、今日は我が家の生姜の植え付けをご紹介します。

「我が家の種生姜」
我が家で使用する種生姜は昨年収穫した生姜です。
生姜は寒さに弱いので、我が家では発泡スチロールの箱に入れて冬越しさせています。
植え付けるショウガは出芽したものを使用しますが、発泡スチロールの箱の中は温かいので、既に白い芽が出てきています。



「植え付け畝」
私は冬の間に、石灰、バーク堆肥、発酵鶏糞を混和して畝を作っておきました。
その畝に2条の溝を15センチほどの深さで掘り、その溝に化成肥料を入れて、覆土します。

・ショウガの植え付け適期は地温が15度以上になる4月下旬から5月上旬です。


「間違っていた植え付け」
植え付けは株間30㎝で溝に対して縦に植え付けます。
植え付け時の写真を撮り忘れたので、過去の画像を使用しました。
この画像では種生姜を横に置いているので、これは間違いだったようです。
今回は種生姜を縦に置き、更に2条の溝に千鳥植えにしました。

・この画像は過去のもので、溝に対して横の植えていますが、これは間違いだったようです。


植え付け後、土を戻して畝を作り直します。
ネットでは植え付けた後に水遣りをする様に書かれていましたが、天気予報で連休後に雨が降るとのことだったのでその雨を待つことにしました。

「この後の管理」
・追肥と土寄せを夏までに計3回行います。
 1回めは草丈15cmくらい、2回目は草丈30cmくらい、3回目はさらに1か月後に。
 ショウガは地中の下にまっすぐ根を伸ばしていくので、追肥は株元に施します。
・ショウガは乾燥を嫌うので、夏は株元にワラや刈草でマルチして土の乾燥を防ぎます。
 また、適度な日陰を好むため、真夏の強い日差しがある時期は、日除けをして直射日光から守ります。
・収獲は10月下旬から11月中旬の予定です。

植え付け後に作り直した畝です。


「栽培方法」
生姜の栽培方法をネットで調べると概ね次のようになっていました。
1.種ショウガ・・・ショウガ栽培は、種ショウガの良し悪しで初期育成が決まるそうなので、充実した種ショウガを購入することが大切ということです。
          そして、表皮がみずみずしく、色・ツヤが良く、しっかりした芽がついている種ショウガを選びます。
2.畑の準備・・・・1カ月ほど前に石灰とケイ糞を混和して畝を作っておきます。
          ショウガは有機質豊かで保湿性に優れた土壌でよく育ちます。
3.種生姜の準備・・芽を2~3個つけた種生姜を50g前後に分割します。
4.植え付け
   ・60㎝幅の畝の中央に深さ15㎝くらいの溝を掘り、堆肥と化成肥料を施します。
   ・その上を覆土し、株間30cm、芽が出る方を上に縦に向けて置き、倒れないように土に強く押し付けます。
   ・ショウガの植え付け適期は気温が高くなる4月中旬〜5月上旬、地温が15度以上になってから行います。
5.植え付けた種生姜の上に4~5㎝覆土します。深植えはよくないので土をかけすぎないように気をつけます。
6.植え付け後、水遣りを忘れないようにします。
7.この後、5月下旬から20日おきぐらいに2~3回追肥をして土寄せをします。
8.乾燥に弱いので夏には水遣りと敷き藁が欠かせないという事です。


「ゴーヤの日」の前に植え付け

2024-05-07 | 家庭菜園

明日5月8日は「ゴーヤの日」だそうです。
この日の由来は直ぐに解りますよね。
「5」と「8」の語呂合わせからできた日でしょう。

「ゴーヤの日」
念のため調べてみると「ゴーヤの日」とは、平成9年(1997年)、ゴーヤの国内栽培発祥地として知られている沖縄県が記念日に提唱して制定されたそうで、その由来は5月8日を「ゴー(5)ヤー(8)」と読む語呂合わせからでした。
加えて、沖縄県では5月はゴーヤーの出荷量が増加するシーズンであることも記念日制定の要因になっているという事です。

「原産地」
ゴーヤーの原産地は、インド東北部で、中国には明代(14世紀末)に伝わり、日本へは中国経由で慶長年間(1596年~1615年頃)に渡来したといわれています。

「語源」
「ゴーヤー」は産地である沖縄での言葉で、和名はニガウリ(苦瓜)です。
ニガウリの語源は中国語の「苦瓜(クーグア)」からという説があります。
実際、食すると苦いのでそこから苦い瓜「苦瓜」となったとも言われています。
また植物名は「蔓茘枝(ツルレイシ)」と言われており、こちらは、ライチとして知られる「茘枝(レイシ)」の実に喩えたものではないかと言われています。

「ゴーヤの日の前に植え付け」
私は毎年ゴーヤを栽培していますが、種から育てた苗は「ゴーヤの日」の前に定植するようにしており、先日、8株植え付けました。
この後、ゴーヤーの蔓を這わせる網棚を作って蔓を誘引していきます。
私はゴーヤの果実が網棚からぶら下がるのを見るのが好きで、その時が来るのを今から楽しみにしています。

・8株植えたゴーヤーの畝です。


ゴーヤの日の由来にもなったゴーヤの出荷量が、沖縄では5月に増加するようですが、我が家では「ゴーヤの日」を前に定植していることから、収穫の始まりは7月頃になりそうです。
7月の暑い夏の夜に、収穫したゴーヤで作るゴーヤチャンプルーを食べながら、ビールを飲むのが今から楽しみです。


カタツムリとナメクジは「巻貝の仲間」

2024-05-05 | 家庭菜園

先日、イチゴの葉っぱにカタツムリが這っていました。
今までナメクジはいましたが、カタツムリがイチゴに来るの初めてです。
カタツムリもナメクジも野菜を食害する害虫ですが、カタツムリは何となく可愛いので捕殺することがありません。
でもナメクジは見ただけで不快感が湧くので、見つけるとすぐに足で踏みつぶします。
おなじ害虫でも殻があると得しますね。

さて、今日はそのカタツムリとナメクジについて調べました。

「巻貝の仲間」
ナメクジ(蛞蝓)とカタツムリ(蝸牛)は近縁で、いずれも陸産貝類に属する巻き貝の仲間です。
丸い巻き貝状の殻を持つのがカタツムリで、殻が無いか、殻が退化して見えないのがナメクジです。
しかし、近縁ではあるものの、ナメクジとカタツムリは別の生き物です。
カタツムリの殻の中には内臓などがつまっているため、殻から無理やり出すと死んでしまいます。
また、ヤドカリと同じように、殻の貝殻をナメクジに与えても、殻を身につけてカタツムリになることはありません。

「カタツムリ」
カタツムリは広辞苑によると、陸生有肺類巻貝の一群の総称。5~6階から成る螺旋形の殻があり、大部分は右巻き。頭部の対の触角のうち長い方の先端にある眼で明暗を判別する。雌雄同体で、卵生。湿気の多い時、又は夜、木や草に這い上がって若葉などを食う。世界に約3万種、日本に約800種。
と説明しています。

カタツムリは、種によらず基本的に広食性で、植物なら種を選ばず、手当たり次第なんでも食べる傾向が強いようです。
しかも、緑の葉っぱだけでなく花びらや落ち葉まで食べることもあり、更に、植物だけではなくキノコも食べます。
なお、例外もありますが、カタツムリの多くの種について、殻のヘリが反り返っているか否かで、幼体と成体を見分けることができるそうです。
反り返っているものが成体、反り返っていないものが幼体です。

・カタツムリです。撮影の後、草むらに帰してやりました。


「ナメクジ」
ナメクジも広辞苑で調べました。
それによると、有肺類の陸生巻貝のうち殻が退化したものの総称。一般にはその内のナメクジ科に属する一種の名称で、体長約6㎝、淡褐色で3条の暗褐色の帯がある。頭部に長短2,対の触角があって、長い方の先端に眼がある。腹面全体の伸縮によって徐々に歩き、這った跡に粘液の筋を残す。塩をかけると体内の水分が出て縮む。暗湿所にすみ、草食性で野菜などを害する。雌雄同体。日本に広く分布。
と説明しています。

ナメクジは“おろし金”のような多数の歯のある舌を持ち、農作物や庭の植物の花、葉や果実、コケなどを削りとるようにして食害する害虫です。
ヌメヌメとしていて見た目が気持ち悪いことから、不快害虫として扱われることも多いようです。

子供の頃、ナメクジに塩をかけると、溶けていなくなると思っていましたが、それは間違いでした。
辞書にも説明しているように、ナメクジの約85%が水分です。
加えてナメクジの皮膚は水が通りやすい構造になっているので、塩をかけると身体の水分が塩に移り、どんどん水分や粘液がなくなって縮んでしまいます。
砂糖をかけても同様に縮みますが、小さくなったナメクジに水をかけるとある程度のサイズまでは戻るそうです。

・ナメクジです。撮影の後、踏みつぶしました。


カタツムリとナメクジ、同じ陸生有肺類巻貝の仲間でありながら、その見た目から、己の運命に差が生じるのは何とも気の毒ですね。


いずれアヤメか杜若

2024-05-03 | 

今、私の畑にはアヤメが咲いています。
菖蒲と言えば、慣用句に「いずれアヤメかカキツバタ」があります。
意味はご存じのように、アヤメも杜若もよく似ていて区別がつけがたいことから、いずれも優れていて選択に迷う事の例えです。

「菖蒲(アヤメ)」
アヤメはアヤメ科アヤメ属の多年草で、畑や山野の草地に生え、特に湿地を好むことはありません。
葉は直立し、草丈は50~80cm程度になり、5月頃に花径8㎝ほどの紫色の花をつけます。
前面に垂れ下がった花弁(外花被片)には網目模様があるのが特徴で、これがこの花の名前の由来となっています。

・畑のアヤメです。花弁の網目模様が特徴です。


「慣用句の由来」
タイトルの「いずれアヤメかカキツバタ」の由来は、平安末期の武将・源頼政が鵺(ぬえ)という怪鳥を退治した褒美として、菖蒲前(あやめのまえ)という美女を宮中から賜る際、十二人の美女の中から選び出してみよと命じられて詠んだ次の歌にあります。

五月雨(さみだれ)に 沢辺の真薦(まこも)水越えて いづれ菖蒲と引きぞ煩(わずら)ふ」
 意訳:五月雨で沢辺の水かさが増したため、マコモも水中に隠れてどれがアヤメかわからず、引き抜くのをためらっている

「菖蒲と杜若の見分け方」
慣用句にあるアヤメとカキツバタの見分けは模様を見ましょう。

「アヤメ」の特徴
・花色は紫色ですが、稀に白色もあります。
花には、網目模様が、外側の花弁に黄色い模様がある。
・葉は長さ30~50cmで、幅は5~10ミリの剣状をしており、中脈は目立たない。
・適地は、山野に生え、水とは関係のない畑や乾いたところにも育ちます。
・花期は5月上旬~中旬
・和名の文目(あやめ)は、外花被の基部に綾になった目があることが名前の由来となっています。

・杜若です。花弁の中央に白い紋があります。


②カキツバタ」の特徴
・花色は紫色、白色、紋などがあります。
・花には、網目模様はなく、外花被片に白い斑紋があります。
・適地は、水中や湿ったところに群生します。
・花期は5月中旬~下旬
・カキツバタの名前の由来は、この花から花汁を作り服を染めていたことから、「書き付け花」と呼ばれ、ここから転じて「カキツバタ」という名前になったということです。


「挨拶」が返らない人

2024-05-01 | 雑学

雨の日を除いて毎朝、約1時間の早朝ウォーキングをしています。
同じ時間帯にウォーキングをしている人が数人おり、その人たちとは「お早うございます」と朝の挨拶を交わしています。
ところが、私が「お早うございます」と挨拶しても、挨拶が返ってこない人がいます。
次回挨拶をした時も返ってきません。
私はこのような人でも3度は挨拶します。
しかし、それでも返してくれない人には以後、挨拶しません。
「仏の顔も三度まで」ではないですが、その人は礼儀を知らない気の毒な人と無視するようにしています。

でも、何故、挨拶をしないのでしょうね。
見知らぬ人とは言え、同じウォーキングをしている人同志ではありませんか。
朝一番の挨拶は新鮮な空気と共に、心が晴れやかになって気持ちが良いと思うのですけど・・・。

「挨拶」
「あいさつ」を漢字で書くことはあまりないかも知れませんが、漢字では「挨拶」と書きます。
「挨拶」の漢字の意味は、
・挨(あい)は「押す」、
・拶(さつ)は「迫る」です。
漢字だけの意味では「押し合う」という意味になります。

「挨拶の語源」
「押し合う」という意味の「挨拶」は元々、仏教の禅宗で使用されていた「一挨一拶」(いちあいいっさつ)という禅語からです。
「一挨一拶」は、ひとつ押し、ひとつ迫る、心を開いて接するというような意味合いで、問答を交わして相手の仏法修行の悟りの深さをはかったのです。
禅を修行しているお坊さん同士が出会ったとき、相手がどのくらい悟りの道を進んでいるかをたしかめるやりとりを意味する「一挨一拶」が短くなって「挨拶(あいさつ)」になったということです。

「挨拶の意味合い」
仏教でこうしたやりとりが生まれたのは、中国で仏教が禁止された時代のことです。
そのとき、禅の修行僧たちは山のなかにかくれ、たまに出会う修行僧同士で問答をして悟りの道を探しました。
つまり一挨一拶は相手が仲間かどうかを確認するためのものだったのです。
西洋では握手をしてあいさつします。
これも「私は武器を持っていません」ということを示すためです。
つまり、あいさつは味方や仲間であることをアピールするものなのです。

「挨拶が何故大切なのか」
あいさつは、単なる社交的、儀礼的な言葉ではありません。 
互いの存在を認め、関心を持っていますよと知らせるためのものです。
そして、相手に敵ではないことを知らせる手段でもあります。
自分があいさつしたのに相手から反応がなかったとき、多くの人が不快感を持つのは自分の存在を認めてもらえなかったと感じるからです。

「挨拶が返ってこない人」
挨拶は、相手に対して親愛や尊敬などの気持ちを示すための振る舞いです。
その場面に適した挨拶・礼にかなった挨拶は、相手と良好な関係を築くきっかけにもなり、人間関係を円滑にするための手がかりにもなります。
挨拶は社会のあらゆる場面において基本的な礼儀・マナーとして重んじられる作法です。
挨拶が返ってこない人には、「この人は最低限のマナーを知らない気の毒な人」と私は思うようにしています。

挨拶が返ってこないと、朝一番から嫌な気持ちになります。
他人同士であっても、時々顔を合わす間柄なら、挨拶くらい交わしたいものですね。