生まれて初めて、心療内科というところへ行ってきた。
「眠れないんだよね・・・。」の私の一言に、すかさず反応した両親が薦めてくれ、父の知人に良い病院を紹介してもらって行くことになった。
今までも、情緒が不安定になる時もあった。心療内科もしくは神経内科に行ったほうがいいのではないかと、友人に相談もしていたのだが、思いとどまっていたのは、私の両親が悲しむと思ったからだった。
―自分の娘が、心療内科に行くなんて!!??―
ショックでものすごく残念がると思った。恥ずかしいことだと思うと思った。
ところが、現実は違ったのだ。
「早めに行きなさい」と言い、さらに父は自分の友人にまで私のことを相談し、病院を紹介してもらう手はずを整えたのだ。母も、私の高校時代の先生でもあった母の友人に相談して、力強い言葉をかけてもらっていた。
意外だった。私のほうが驚いた。
なんと、肝の据わった親だろう。
なんと、正直で強い人たちだろう。
ありがたかった。
いろんな物を買ってもらったり、いろんなところに連れていってくれたり、美味しいものをご馳走になったりするよりも、こんなところに深い愛情を感じて、感謝してもし尽くせない。
函館でも一番と言われる心療内科へ行った。
とても綺麗な施設と、やわらかい雰囲気の中、クラシック音楽が流れていた。そこの院長先生の薦めで、受付終了ぎりぎりに伺ったので、患者さんは3,4名ほどしかおらず、静かだった。
名前を呼ばれ、婦長さんらしき方が「お待たせしました。」とわざわざ待合室まで来て、案内して下さった。
初めてお会いする心療内科の医師は、想像していた細おもてで神経質そうなかんじではなくて、福よかで温かそうなかんじの方だった。
症状をお話しすると、医師はパソコンのカルテへ書き込んだ。
「東京の大学は、どこの大学ですか?」と聞かれ、(なんのため?)と思いつつも「A女子短期大学です。」と答える。いったい、それで何が分かるのだろう?
医師は言われた。
「山口の生活は、とっても心地が良かったのでしょう。友人関係も子育て関係も、仕事も、すべてうまくいっていて、生活する環境としてとても良かった。けれど、夫の転勤で突然の環境変化に気持ちがついていかなかったんでしょうね。」
「はい、その通りです。」私は、心の中でまったくその通りだと再確認しながら、うなずいた。
「診断名をつけるとすれば、“適応障害”です。」と言われた。
はぁ~!?という顔をした私に、医師は続けた。
「すなわち、自由に生きてきた所から、八戸という“皇居”に入った“雅子様”みたいなものです。」
「雅子様・・・、ですか。」
比べるにはまったく規模が違いすぎて、動揺してしまった。医師も、大きく分かりやすく言うとですよ、と念を押したが。
脳内には、いろんな物質が分泌されている。よく聞くのは“ドーパミン(喜びや快楽)”だとか“ノルアドレナリン(恐れや不安)”という物質だが、“セロトニン”という物質がこれらのいろんな感情をコントロールしているらしい。私の場合、その“セロトニン”が欠乏しているために、頭が活性化して眠れないのではないか、ということだった。
意外と、弱かったんですね、私って。
大丈夫だと思ってたし、大丈夫だとも言われて山口から送り出された。なにかあれば、山口のみんなが心の支えになっているから大丈夫だと、思っていた。
でも、実際離れてしまうと、なかなか思うときに思うようなことは相談できずにいる自分がいた。変な心配をかけたくない。元気でいる自分を見せていたい。元気じゃない自分は、本来の自分じゃないと思っていたし・・・。
あ~あ、やっちゃったよぉ、みんなぁ。笑ってくれ
今私は、夜寝る前に飲んでいる睡眠導入剤のおかげで眠れるようになった。夜きちんと熟睡できるということが、心と体にとってどれだけ健康なことか、初めて分かった。薬を飲まないと、やっぱり眠れず、いや眠れているんだけれど、脳の半分は眠っていて夢だって見るんだけれど、もう半分はしっかり起きていて夢を見ている自分を冷静に見ている、という感じ。だから、朝起きても頭はすっきりせず、徹夜をした時のようなぼやや~んとした状態になるのだ。船に乗っている感じだ。
薬が要らなくなるには、現状を変えなければならないという。
どうやって、自分自身の環境を変えていこうか・・・。そんなことを考えるとまた眠れなくったり、頭が痛くなったりするのだ。
どうよ!!!
私の心、工事中ってとこかな。
「眠れないんだよね・・・。」の私の一言に、すかさず反応した両親が薦めてくれ、父の知人に良い病院を紹介してもらって行くことになった。
今までも、情緒が不安定になる時もあった。心療内科もしくは神経内科に行ったほうがいいのではないかと、友人に相談もしていたのだが、思いとどまっていたのは、私の両親が悲しむと思ったからだった。
―自分の娘が、心療内科に行くなんて!!??―
ショックでものすごく残念がると思った。恥ずかしいことだと思うと思った。
ところが、現実は違ったのだ。
「早めに行きなさい」と言い、さらに父は自分の友人にまで私のことを相談し、病院を紹介してもらう手はずを整えたのだ。母も、私の高校時代の先生でもあった母の友人に相談して、力強い言葉をかけてもらっていた。
意外だった。私のほうが驚いた。
なんと、肝の据わった親だろう。
なんと、正直で強い人たちだろう。
ありがたかった。
いろんな物を買ってもらったり、いろんなところに連れていってくれたり、美味しいものをご馳走になったりするよりも、こんなところに深い愛情を感じて、感謝してもし尽くせない。
函館でも一番と言われる心療内科へ行った。
とても綺麗な施設と、やわらかい雰囲気の中、クラシック音楽が流れていた。そこの院長先生の薦めで、受付終了ぎりぎりに伺ったので、患者さんは3,4名ほどしかおらず、静かだった。
名前を呼ばれ、婦長さんらしき方が「お待たせしました。」とわざわざ待合室まで来て、案内して下さった。
初めてお会いする心療内科の医師は、想像していた細おもてで神経質そうなかんじではなくて、福よかで温かそうなかんじの方だった。
症状をお話しすると、医師はパソコンのカルテへ書き込んだ。
「東京の大学は、どこの大学ですか?」と聞かれ、(なんのため?)と思いつつも「A女子短期大学です。」と答える。いったい、それで何が分かるのだろう?
医師は言われた。
「山口の生活は、とっても心地が良かったのでしょう。友人関係も子育て関係も、仕事も、すべてうまくいっていて、生活する環境としてとても良かった。けれど、夫の転勤で突然の環境変化に気持ちがついていかなかったんでしょうね。」
「はい、その通りです。」私は、心の中でまったくその通りだと再確認しながら、うなずいた。
「診断名をつけるとすれば、“適応障害”です。」と言われた。
はぁ~!?という顔をした私に、医師は続けた。
「すなわち、自由に生きてきた所から、八戸という“皇居”に入った“雅子様”みたいなものです。」
「雅子様・・・、ですか。」
比べるにはまったく規模が違いすぎて、動揺してしまった。医師も、大きく分かりやすく言うとですよ、と念を押したが。
脳内には、いろんな物質が分泌されている。よく聞くのは“ドーパミン(喜びや快楽)”だとか“ノルアドレナリン(恐れや不安)”という物質だが、“セロトニン”という物質がこれらのいろんな感情をコントロールしているらしい。私の場合、その“セロトニン”が欠乏しているために、頭が活性化して眠れないのではないか、ということだった。
意外と、弱かったんですね、私って。
大丈夫だと思ってたし、大丈夫だとも言われて山口から送り出された。なにかあれば、山口のみんなが心の支えになっているから大丈夫だと、思っていた。
でも、実際離れてしまうと、なかなか思うときに思うようなことは相談できずにいる自分がいた。変な心配をかけたくない。元気でいる自分を見せていたい。元気じゃない自分は、本来の自分じゃないと思っていたし・・・。
あ~あ、やっちゃったよぉ、みんなぁ。笑ってくれ
今私は、夜寝る前に飲んでいる睡眠導入剤のおかげで眠れるようになった。夜きちんと熟睡できるということが、心と体にとってどれだけ健康なことか、初めて分かった。薬を飲まないと、やっぱり眠れず、いや眠れているんだけれど、脳の半分は眠っていて夢だって見るんだけれど、もう半分はしっかり起きていて夢を見ている自分を冷静に見ている、という感じ。だから、朝起きても頭はすっきりせず、徹夜をした時のようなぼやや~んとした状態になるのだ。船に乗っている感じだ。
薬が要らなくなるには、現状を変えなければならないという。
どうやって、自分自身の環境を変えていこうか・・・。そんなことを考えるとまた眠れなくったり、頭が痛くなったりするのだ。
どうよ!!!
私の心、工事中ってとこかな。