ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

盛岡で地震に遭遇

2008年06月16日 | これも自分あれも自分
6月14日(土)、今現在もなお行方不明者の捜索活動が続く、「岩手・宮城内陸地震」。

私は八戸8:01発の新幹線はやてに乗車していました。「認定子育てアドバイザー」の欠席している講座が一つあり、それを受けるためです。
早朝、本八戸駅で知り合いのヨガの先生にお会いし、こんな朝早くに知り合いと会うなんて~!なんて楽しく話をしながら、八戸駅でそれぞれの乗車口へ向かいました。あいにく、私は1号車。彼女は3号車でした。

隣りに座った男性は、朝から缶ビールを飲み始め、つまみを開ける手はたどたどしく、少々不快に思いながら、きっと昨夜まで仕事をしていて、今は一人で打ち上げをしているんだろうと、肯定的に考えるようにして窓の外を眺めていました。

いつもは必ずコーヒーを頼んで、飲みながら東京へ向かうのに、この日は珍しく「コーヒーはやめておこう・・」と思い、講座を主催する方々へのお礼の手紙を書き始めていました。

外を流れる景色はいつもの、山々と、植えてしばらく経った田んぼの稲。空には厚い雲の切れ間から、青空がちらりと覗いていました。

盛岡駅で乗車してくる人たちが増え、わいわいがやがやしていました。私の手紙は書き終わり、カバンの中へそっとしまいました。社内の中の、わいわいがやがやが収まり、盛岡から乗車した方々が座席に馴染んだであろうその瞬間。

突然、新幹線か加速するのをやめるばかりか、減速し、ゆっくりと停車してしまったのです。
停車しながら、車体が少し揺れているのを感じました。私は、1両目に乗っていたため、後ろの車体が停車するたびにこのように揺れるようになっているのかな?と勘違いをしました。

誰かが、「風か?」と言いました。
高架の上にいたので、強風にあおられたのか?と下を見下ろすと、木々は少しも揺れてはいませんでした。
しばらくすると、先ほどよりは小さく揺れているのを感じました。頭の中でふと「地震」の二文字がよぎるも、まだ確信までしていませんでした。
停電のせいかもしれないと思ってもいたのです。

停車してから5分後くらいでしょうか?車内アナウンスが入り、「宮城の方で強い地震が発生し・・・」と言っていました。
同時くらいに夫からメールがありました。
8:48「岩手震源岩手宮城6強」
恐らく夫と同時にメールしたのが、時間差で
8:49「今、停車中。どこで地震?」

夫からの情報が続きます。
8:50「5宮城南4福島3埼玉東京」
8:53「東北新幹線運転見合わせ中」
8:55「八戸震度4、長女が次女に地震の絵本読んでる」
9:27「宮城北部で余震震度5弱」

私の近況報告9:29「まだ停車中。」
停車中の間にまず水を購入するために5号車くらいまで歩き、水とチョコレート菓子を購入し、ついでにトイレにも行ってみました。途中3号車の知人にそのお菓子を少しおすそ分けし、席に戻り、長丁場になるだろうと覚悟を決めました。

10:05「今徐行で、新花巻に行くらしい。着いたら戻ろうかと思う。」
徐行運転で新花巻駅へ向かいます。というアナウンスがあり、動きだしました。が、盛岡に戻った方が絶対に近かった!と思うほど、新花巻駅への道は遠く感じました。

10:28「今、新花巻到着。復旧のメドたたず。」
駅に着いたら、まずは降りて情報収集しようと決めていました。そして、腹ごしらえも・・・。お腹がすいていたら冷静に考えられないし、腹がたつばかりだし、早目の判断の方が空いていますから・・。

10:39「夜6時までめど立たないらしく、今駅構内でカレー食べた。バスを聞く」
駅員さんに情報をある程度聞き、席が空いている立ち食いそば屋にてカレーライスをほおばる私は、きっと新幹線の乗客には見えなかっただろうと思います・・・。

10:43「バス、なし。」
盛岡駅までのバスはないということでした。そして、花巻駅に行っても、在来線もストップしているから・・との答え。さて、どうしよう?

10:55「盛岡からはIGRが動いているから、タクシーかレンタカーで行く。タクシーも並び始めた。」
レンタカー会社は大混雑です。しかし、「もう車がありません!あとはご自身で各レンタカー会社へ電話してみてください!」とチラシを配るレンタカー会社のおじさん。その横で、そのチラシを無理やり取った人がいたらしく、怒号が聞こえました。みんなのやり場のない焦りと怒りが見えます。

11:05「盛岡までタクシー乗りました。」
知人のことが気になりつつも、タクシーの列へ並んでいました。盛岡まで40分かかるということは、大した金額にはならないでしょう。でも、一人で乗るのは勿体ないので、声をかけてみることにしました。
「盛岡駅まで行く人いませんか~!?」
ここで私よりも前に並んでいた方が手を挙げて、来てくれました。タクシーは、私が並び始めてからまだ3台しか来ていません。少しずつ、タクシーが来始め、ようやく私たちの番になった時に、再び声をかけました。
「盛岡駅まで行く人、あと2人いませんか!?」
女性一人と、男性が一人手を挙げ、4人で乗車しました。私たちは、心の不安を打ち消すように話し始めました。
一人は盛岡の方で、新幹線が停車したあたりに住んでいる方でした。もう一人の女性は秋田の方。男性は宮古の方でした。地震の被害の大きさを知らない私たちは、悠長に様々な地域の情報を交換しあった40分でした。別れ際、みなさんの帰路の無事をお祈りしました。

12:08「盛岡に到着。IGR駅に着いてすぐ、今から動くという事。」
盛岡駅に到着してすぐに、IGR銀河鉄道の乗り場へ急ぎました。が、調整中の文字が・・・。ここもだめか・・と思いながら、窓口に確認すると、話している矢先に「今から動くそうです。」とのこと。八戸までの切符を購入し、すぐさま電車へ乗ることができました。朝から動いたのがようやく2回目・・・と、乗車しているおばあさんが言っているのを聞きました。今日2回目の割には、車内は閑散としてましたが。私はとりあえずほっとして、水とお菓子を少し口に入れました。トイレが近くなるといけないので、水を飲むのを我慢していたのです。
ゆっくりと動く電車は、線路を確認しながらでした。作業員が二人乗り込み、フロントガラスから外を覗いています。

途中、がけ崩れのような場所を見かけると、ぞぞっとしました。恐らくそこは、地震とは関係なく、豪雨の影響の方かもしれませんが。

狭い高架や橋の上を走るとき、下を見下ろすと見える川や畑が、今日は穏やかな光景には見えませんでした。私はすっかり疲れて、眠ってしまいました。

14:02「北高岩。つぎ八戸到着します!」
約二時間後の午後2時すぎ。無事に八戸へ到着しました。
夫とのメールは、八戸に無事に着くまで22回にも及んでいました。この日ほど、携帯電話のメール機能に感謝した日はありません。
地震発生から約5時間半。私は八戸の家族の元へ帰ることができました。

帰宅すると、被害にあった山間部の映像がテレビで流れていました。私は、目を見張り、自分が置かれていた状況が、自分で考えていたよりもずっとすごいものであることを知りました。そして、その重大さを知らずにいたからこそ、焦らずに冷静に判断して、帰ってこれたのだということも。

被害状況が克明に報じられるのを見るにつけ、自然災害の恐ろしさと、そこに偶然居合わせた方々の不運さとを思わずにいられません。行方不明者の早急な救助と、お怪我をされた方々の回復とをお祈り申し上げます。

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