ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

ありがとう

2008年10月26日 | これも自分あれも自分
久しぶりにブログを開きました。

沈む自分を見せたくない自分と
こんな自分をさらけ出したい自分


他界した叔父には、会うことが叶いました。
どうしても会いたかったので、
会ってお礼を伝えたかったので、
行くことができてよかったです。

13年前、骨折の手術の時に血液製剤による被害を受けました。
それからずっと、肝炎から肝硬変、そして肝癌まで進展し、毎月の通院と手術で体はぼろぼろだったといいます。
そんな体の弱くなった叔父でしたが、若い頃は血のつながっていない私たち兄弟(叔父から見たら甥と姪)に、とても温かく優しく接してくれた大人の1人でした。

育ての母の実家に集まるときはいつも、緊張で体が震えました。
でも、その緊張感も、叔父の笑顔と
「よぉ来たなー!!」の明るい言葉で吹っ飛んだのを覚えています。

子ども心にも、こんなに大きく広く受け容れてもらえることが嬉しくて、そんな大きな器の叔父さんを尊敬していました。
こんな大人になりたいと、思っていました。

私たちも、大学だ就職だと実家から遠く離れ、縁遠くなってしまっていました。
実家へ帰省しても、会いに行くことをせずにいました。

代わりに、母から聞く情報で、皆さんの元気な様子にほっと安堵していました。


お通夜で叔父の安息な表情に会い、涙がぽろぽろと出てきました。
生きている時に、感謝の気持ちを伝えたかったと後悔しました。
でも、立ち読みした「死後の世界」という本に、
「心の中で思ったことでも、きちんと伝わる」と書いてあったのを思い出し、きっと叔父に私の気持ちは伝わっていると、確信しました。

なんとなくですが、
「あゆみちゃん、ありがとう。」って、聞こえた気もするからです。

人というのは不思議です。
亡くなってしまったからといって、残った人の記憶から消えないどころか、もっと鮮明に脳裏に焼きつくものです。
特別仲のよかったわけでもない方でも、少しでも関わったことがある方がお亡くなりになっても、忘れることはできません。

「死」には、深い意味があるのです。
教えがあるのです。
私たちに、いろんなことを教え、遺してくださってありがとうございます。

私たちを愛してくださって、ありがとうございます。
偽りのない、本心からの愛情、子どものときからずっと、ありがとうございました。




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