ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

私は健常者ではない

2011年05月30日 | これも自分あれも自分
私は、

世間で言う「健常者」とは、

違っていると、自覚しています。

グレーゾーンの一人だと、思っています。


だから、

そんな私のことを

不安に思って、

大事に思って、

守ろうと思ってくれる人たちがいます


一人では生きていけません

それは

誰しもそうです


私も

一人では生きてはいけません

誰かの支えが必要です

私を「まるごと」受け止めてくださる誰かが必要です


私を

「まるごと」受け止めることは

容易ではないと思います


常識?

この世の常識を破るために、やってきましたから、

非常識の部類に入ります


世間体を守る?

この世の世間体という境界線をなくすために 生きていますから、

世間体とは無縁の行動、構想を描いています


時間の感覚も 人と違ったり

話している途中に 意識がそこになくなります


それが なぜだか わかりません

それは 小さい頃からずっとそうなので

どう説明したらいいのか わかりません


ただ

それが 「わたし」であるということです

それが 「まるごとのわたし」であるという証拠です


そんな 「わたし」を受け止められる人は

ほんとうに限られています

過酷ですよ?

私という人間と付き合うのは


だから

結婚しても きっとすぐに嫌気がさされるのではないだろうか?って

ずっと不安だったし

それは今もそうなのですが。

友人と お付き合いしても

嫌がられてしまうのではないか?って

いつもいつも不安だし


そんなに不安なら

自分のその、自己分析した至らぬ自分を

改善するように努めたらいいのですが

それを改善するために

カウンセラーの勉強をしたのですが

持って生まれたくせは

そのまま継続しているのです


それなら

その至らぬ部分だと思っているところを

伸ばせ!

そこを長所にしてしまえばいいのだ!

って

自分のキャラクターを作って、何十年も経っています


まだまだ 先は見えません

たくさんの人を傷つけ

大事にされていないかもしれないと思わせてしまう

そんな私


ほんとうに、健常者ではありません


健常者という定義は何?

みんな、健常者ではないよ?

それは、差別用語だよ

そういう声が聞こえてきます


差別差別って

言うんじゃない!!!

そういうふうに言うこと自体が、差別だろうが!!!


(どうどう。。。あゆみん、怒っちゃだめですよ)


差別とは、差別と感じたその時に、生じること

私は、差別用語を差別とは感じない

人が何かを説明する時に、使いやすいように合理的に考えた名称であるという認識

私は、人と人とに差をつけて見たりはしない

人と人とを分けて見たりもしない


人は皆 違う

そして

人は皆

同じなのであるから




学び

2011年05月30日 | これも自分あれも自分
再び、学びの時期を迎えています。

実践しながら、学んでいきたいと思っています。

相談事業も、始めようと思っています。

最初は、こじんまりとでいいですよね。


私のできる範囲で、始めます。


学びは、実践と共に。


私の、今までの不思議な体験や、不可思議な能力(?)を

よりクリアにしていきたいという願いに適った出会いがありました。

ようやく長年の夢が、叶いそうです。




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