
週末二日間、プール三昧でした。
土曜日は南部山、そして今日は福地です。
サーヤが泳げません・・。
お恥ずかしながら、我が家はまるでアウトドア派でも、スポーツ派でもありません。自分たちでプールなどに連れて行くこともしないくせに、お金を払って教えてもらう○○クラブなるものは、なんだか勿体なくって行かせないという主義ときています。
従って、誰にも教わったことがないので、泳げるはずがありません。これは誰のせいでもない、私たち親の責任です。
そして、いよいよこれではやばい!と思い、夏休みに入るやいなや、家族でプールというわけです。
それにしても、プールの水って、冷たいよね・・。(あああ、もうほら、ここからだめだもん、私って・・)
今日プールに入る前に測った血圧、なんと上が95で下が56。低すぎやし・・。
どうりで水が冷たく感じるわけだよね。
プールから上がって、ラーメン食べて、さぁ今度こそ!と思って再度測ったら、上85下60って、どういうことでしょう?低血圧にもほどがある。
ここのところ、めまいがすると思ったら、こういうことなのでしょうか。朝、起きれません。
さて、サーヤのプールといえば、泳ぎはパパの出番です。パパに教えてもらって、だいぶ沈まなくなったかな?息継ぎをする時に、サーヤはバタ足の足を止め、手の動きも止め、体全体が止まって、体全体で息継ぎをするものだから、そのたびに沈んでいた、ということが判明しました。そこで、動作を一つずつ覚えこむ練習をして、バタ足をやってみる、その繰り返し。
明日は学校のプールで一人もくもくと練習するのだとか。がんばれよ、サーヤ。
そして夜は、太鼓の練習。
子どもってつくづく、頑張る生き物なんだなぁと実感しました。
認めてもらいたいという欲求がそうさせるのでしょうか?
それとも、心から好奇心と探究心で頑張るんでしょうか?
両方、でしょうか?
子育てをしていると、「あ、子育ての仕方、間違ったかな?」と思う瞬間が幾度もあります。その気付きのたびに、どう建て直そうかと考えながら、相手に伝える言葉を選びながら、間違いを修正する方法を考えます。できるだけ冷静に、がポイントです。でも、伝えているうちに、どんどん腹が立ってくるときもしばしばです。そんな時は、相手には私の怒りの表情と声色しかインプットされていません。そして、その状況を作っているのは自分の失態だということは、怒りながら頭のどこかで感じています。なのに、口から出る伝えたくない言葉は溢れ出ます。感情任せの、ほとんどでまかせな言葉が・・・。
そんなケンケンとした自分の出した空気をどう修正するか。子育ての間違いは、そもそも自分自身のそういう悪いパターンだったりするものです。子どもの間違いを修正するより先に、自分の間違いを修正した方が、事態は早く解決するように思います。
だから、そんな自分の間違いに気付いたときには、相手が子どもだろうと大人であろうと、同じ人間。素直に謝ります。言い過ぎたことと、本当の気持ちではないことを。相手の気持ちの代弁も交えながら。「恐かったよね。傷ついたよね。本当にごめん。」この言葉の後に、「でもね」は付けません。でもねを付けると、その後にくるのは結局自分の否を肯定する言い訳ですから。みっともありません。
子育ては、私たち大人の悪い癖を見直す訓練の時のような気がしてなりません。今までの自分の見直し期間なのです。
反省しきりですよ、毎日。
土曜日は南部山、そして今日は福地です。
サーヤが泳げません・・。
お恥ずかしながら、我が家はまるでアウトドア派でも、スポーツ派でもありません。自分たちでプールなどに連れて行くこともしないくせに、お金を払って教えてもらう○○クラブなるものは、なんだか勿体なくって行かせないという主義ときています。
従って、誰にも教わったことがないので、泳げるはずがありません。これは誰のせいでもない、私たち親の責任です。
そして、いよいよこれではやばい!と思い、夏休みに入るやいなや、家族でプールというわけです。
それにしても、プールの水って、冷たいよね・・。(あああ、もうほら、ここからだめだもん、私って・・)
今日プールに入る前に測った血圧、なんと上が95で下が56。低すぎやし・・。
どうりで水が冷たく感じるわけだよね。
プールから上がって、ラーメン食べて、さぁ今度こそ!と思って再度測ったら、上85下60って、どういうことでしょう?低血圧にもほどがある。
ここのところ、めまいがすると思ったら、こういうことなのでしょうか。朝、起きれません。
さて、サーヤのプールといえば、泳ぎはパパの出番です。パパに教えてもらって、だいぶ沈まなくなったかな?息継ぎをする時に、サーヤはバタ足の足を止め、手の動きも止め、体全体が止まって、体全体で息継ぎをするものだから、そのたびに沈んでいた、ということが判明しました。そこで、動作を一つずつ覚えこむ練習をして、バタ足をやってみる、その繰り返し。
明日は学校のプールで一人もくもくと練習するのだとか。がんばれよ、サーヤ。
そして夜は、太鼓の練習。
子どもってつくづく、頑張る生き物なんだなぁと実感しました。
認めてもらいたいという欲求がそうさせるのでしょうか?
それとも、心から好奇心と探究心で頑張るんでしょうか?
両方、でしょうか?
子育てをしていると、「あ、子育ての仕方、間違ったかな?」と思う瞬間が幾度もあります。その気付きのたびに、どう建て直そうかと考えながら、相手に伝える言葉を選びながら、間違いを修正する方法を考えます。できるだけ冷静に、がポイントです。でも、伝えているうちに、どんどん腹が立ってくるときもしばしばです。そんな時は、相手には私の怒りの表情と声色しかインプットされていません。そして、その状況を作っているのは自分の失態だということは、怒りながら頭のどこかで感じています。なのに、口から出る伝えたくない言葉は溢れ出ます。感情任せの、ほとんどでまかせな言葉が・・・。
そんなケンケンとした自分の出した空気をどう修正するか。子育ての間違いは、そもそも自分自身のそういう悪いパターンだったりするものです。子どもの間違いを修正するより先に、自分の間違いを修正した方が、事態は早く解決するように思います。
だから、そんな自分の間違いに気付いたときには、相手が子どもだろうと大人であろうと、同じ人間。素直に謝ります。言い過ぎたことと、本当の気持ちではないことを。相手の気持ちの代弁も交えながら。「恐かったよね。傷ついたよね。本当にごめん。」この言葉の後に、「でもね」は付けません。でもねを付けると、その後にくるのは結局自分の否を肯定する言い訳ですから。みっともありません。
子育ては、私たち大人の悪い癖を見直す訓練の時のような気がしてなりません。今までの自分の見直し期間なのです。
反省しきりですよ、毎日。