ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

板橋興宗禅師

2009年11月28日 | 観劇・読書・感想記
曹洞宗の大本山は、永平寺と總(総)持寺と二つあるそうでございます。

そのうち、總(総)持寺の貫首(住職)をお勤めになられたご経歴のある、

板橋興宗禅師が、このたび八戸と三沢に来られ、ご講演されました。


坐禅をさせていただいたご縁で、今回三沢での講演のお手伝いを

させていただき、なんと光栄な勤めをいただいたものだと、

誘ってくださった方々のお気持ちに、とてもありがたく、

このタイミングで、この勤めという運命にも、

神様の御計らいと思わずにはいられませんでした。

感謝に感謝を重ねても、尽くしようがございません。


禅師は、末期の癌を患いながら、このように今でも全国を廻られ、

毎日朝夕の二時間の坐禅も欠かさずに行っているということでした。

ほんとうに病いが体に巣食っているのかと思われるほど、

顔の色艶よく、ほがらかに笑われる、大きな方です。


「人間は、考える動物になってしまったばかりに、考えてばかりいる。

考えても結論が出ないものを考えて、自分を苦しめている。

仏教とは、頭の中を空(から)にすること。

空っぽにするのではなくて、風通しをよくすること。

オープン ザ ドア じゃなくって、

オープン ザ ヘッドなんだな。」


「次々に考えることを、煩脳という。 煩悩を捨てなさい。

今この時に、動くもの、聞こえる音に反応する自分。

その反応することが命そのもの。

その命を感じることに集中して、そのことに考えをめぐらせないこと。」


深すぎて、尊すぎて、大きすぎて、高すぎて、

私には到底到達できないようなお話でしたが、

今の自分に語りかけられているこの言葉の重み一つ一つを、

メモに取り、心の中にしまっておく作業が、

次への自分へ繋げてくれる、そう感じました。


帰りの新幹線にお見送りに行かせていただけ、

握手をさせていたけましたことも、

たいへん光栄、恐れ多いことでございました。

が、禅師の気さくで、お茶目で、同じ目線に降りてくださる

大きさを、間近で感じることができ、

とてもとても幸せでした。


ほんとうの偉人は、

偉ぶらない

おごらない

高ぶらない

どこまでも やさしく

どんなものでも 受け容れる

そういう方なのですね


ありがとうございました。

この機会を与えてくださった、すべての皆様に感謝申し上げます。

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