ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

ジュエリー と 届ける人の思い

2010年07月25日 | これも自分あれも自分
八戸中心商店街を巡る、「へぇへぇウォーキングツアー」というものに参加してきました。

ちょうどホコテンの開催の日でした。

その中で、宝石店「宝石のキリハラ」さんというお店で、店主の方のお話を伺っていました。

「ジュエリーには、送る人の想いが乗ります。」

その言葉に、はっとしたことがありました。


結婚まで決まった彼がいました。

私への婚約指輪を選びに行くというので、どこのお店がいいかな?なんて、考えていました。

すると、彼は「○○というとこに行こう!」と元気よく言いました。

「○○」という店は、ブランド物や宝石などを取り扱うディスカウントの店でした。

一緒に見に行ったものの、赤札がついた宝石たち、ジュエリーたちの無造作感に、少々幻滅して帰ったのを覚えています。


そして、彼はこう言いました。

「同じものを買うんだったら、少し安く買った方が得じゃない?」


「・・・・・・」


ほんとうにやさしく、思いやりのある彼でした。が、その言葉に疑念を覚えました。何かが違う。彼をこういわせているのはなに?


聞いていくと、どうやら自分のお母様にそのようにアドバイスされたことを話してくれました。

二、三度お会いした、彼のお母様は、とても厳しい目で私を見ていたことを知っていますし、好かれていないことも感じていました。

派手な格好をしていましたからね、私。

ひざ下のスカートなんて、持っていませんでしたし、

鎖骨が隠れるシャツも、持っていませんでしたから。。。


悲しい思いを、たくさんしましたが、きっと彼のお母様も悲しい思いをたくさんされただろうと思います。

かわいい次男坊の嫁が、こんな小娘だとは、納得がいかなかったのでしょう。
いえ、その前に、24歳までに結婚したいというわがままな女であるという事実を、見抜いていたとも言えます。

だから、このご縁は、はじめからなかったものなのです。

ただ、それに抗うことをせず、素直な自分の気持ちに向き合おうとせず、
流れに身をゆだねてしまった結果、たくさんの人を傷つけてしまったという事実が、その後私や彼や、家族を苦しめることになってしまったのです。

その学びを、させていただいたのです。

同じような学びを、何度もしている気がする私です。
期待させては、裏切るという行為・・・。 


キリハラ宝石店での話しに、ふと、その一連の出来事を思い出し、
ジュエリーに乗せる気持ちと、選択するお店とは、比例するのだということを、参加者の皆さんに、ちょっぴりお話しました。

若い男性の参加者が多かったので、参考になったかな?


。。。ということはつまり、

ディスカウント店を指定された「私」という人間は、

その当時、ディスカウントという値しかない「嫁・女性」であったということです。

いやん、恥ずかしい。

(赤裸々に語る私は、これまたどうなんだ? あまり真似のできないことに挑戦しているということです。)


心のコーヒーを濾すフィルター

2010年07月25日 | これも自分あれも自分
人の話を聴くとき、

同じ話なのに、ある人の話した話なら「いい話」と思えるのに、

別の人が話したら「疑ってしまう話」に聞こえることがあります。


たとえば、知人のAさんが

「四葉のクローバーを持っていたら幸せになるんだって。」と言ったとします。

私は、Aさんとは最近知り合ったばかりで、あまりよく知りはしませんが、信頼しています。

そのAさんの発する言葉には、とても共感することができます。

「そうなんだぁ。探してみよう!」と素直に思うことができました。


一方、Bさんが同じことを話してくれました。

「四葉のクローバーを持っていたら幸せになるんだって。」

私は、Bさんの言葉に

「私って、幸せに見えないのかな?なんでそんなこと言うんだろう?」と思ってしまいました。

Bさんと知り合ったのは、Aさんよりも少し前ですが、

苦手なわけでも、嫌いなわけでもなく、普通に接することのできる知人の一人です。


あ、これはあくまでも分かりやすく説明したいから、参考に取り上げているだけで、実際に起こったことではないし、特定の人物でもないので、気になさらぬようにお願いします。


同じことを話してくれたのに、なぜ私の捉え方はまったく違ったものになってしまったのでしょう?

人は、自分の鏡だと申します。

私にとって、Aさんと対面して見せられる鏡の自分は、

信頼するということだったのかもしれません。


一方、Bさんと対面した時に見える鏡に映った自分は、

疑いをもって物事を観察するということだったのかもしれません。


人は、相手の言葉や態度をいったん自分のものさしと整合して、

自分の考えを整理するのではないか?と思うのですが、もしそうなら、

相手の言動を「自分の考え」というフィルターに通して濾しながら、

自分らしい答えを見出すということを無意識にしているように思える時があります。


そのフィルターがどんなフィルターなのか?

信頼しているというフィルターなのか、

疑念を抱くというフィルターなのか、

ねたみというフィルターなのか、

尊敬というフィルターなのか・・・

それらによって、人の言葉や行動は、どんな風にでも取れてしまうのではないでしょうか?


同じことを、同じ人に言われても、

それを聞いたときの自分の状態(フィルター)によっても、

まったく違った見解に至るときも、多々ありますから・・・。


この人をよく知らなければ!と思う相手

その人と接する時の自分のフィルターが曖昧なのが心地悪いと感じているとして、

どうしたらいいのかなぁ?仲良くなりたいなぁ?と思っている人がいるとして、

まずは、自分なんだな・・・と

自分のフィルターをクリアなものにしないと、

相手のフィルターは濁るばかりなんだなと思う今日この頃なんであります。






人間とはまったく、うねうねと動きがあって、

へこんだり、ジャンプしたり、調子がよかったり悪かったりと

様々に変化していて、楽しいものです。

そして、思うのは、その様々な変化には、実は変動しながらもそのサイクルがあるのではないか?

そのサイクルはまるで、宇宙に浮かぶ星が周回するように、

一定なんじゃないか?とも思ってしまいます。

私たちの心の動きは、実はもっと単純明快で、ただぐるぐるぐるぐると

同じところを回っているだけなんじゃないか?

太陽の周りを何十億年も回る地球のように。


だから、思うのです。

悩め!自分!!と

愛しいぞ!自分!!と



それで結局、そのフィルターをどうすればもっと素敵なことになるのかは、

今もって、奮闘中だということです。。。

少し見えているのは、

やはり何事にも「感謝」すること。。。

これは、不変のテーマですね。。。






天使の翼のような雲

2010年07月24日 | 子ども
天使の翼のような雲に出会いました。

写真が小さくて見えにくいのですが、

鳥の羽のように細かいうねりがたくさんあって、

翼の形をしています。


電柱がなくて、広い空を見られる場所であれば、

もっと美しくて荘厳だったに違いありません。


こんなふうに、空のキャンパスに

絵を描く画家が、

存在するのかしら?と思えるほどの、素敵さでした



そんな中、「となりんち」に随分と長く来てくれていた方が、

この時期に転勤することになりました。

この金曜日が最後の「となりんち」であることを知らずに、

私は「となりんち」へ。。。


最後だという彼女と、少し話し、お別れのハグをしました。

このハグをすると、きっとこの先行く場所では、

孤独感を最小限にできる。 そう信じています。

そのために、自ら積極的に、行動してほしいと思っています。

「となりんち」との出逢いは、そんな出逢いです。

受身の人は、残らないのが「となりんち」

ずんずん進んでいったり、交友を楽しんだり、

そして、何よりも自分を気にかけてもらえることの喜びを知っているからこそ、他のどんな場所へいったって、他の人へ目を向けられる人になるところ。

自分を信じて

大丈夫

あなたなら、新たな場所でも、受け入れるし、受け入れられると思います。

今日は、偶然なのに、最後に会えて嬉しかったよ。


ありがとう。。。


きゅうりは曲がる

2010年07月24日 | これも自分あれも自分
関西にいる夫の両親から、

菜園で取れたという野菜が届きます。

今回のダンボールに入っていた中に、こんな形のきゅうりが入っていました。


子どもたちと一緒に楽しんで観覧した後、

長女が「これ、部活のピアノを弾いてくれている先生にあげたい!」と言ったので、

持っていかせました。


先生は、とっても喜んでいたということでした。

食べてくださったかな?


広告