シーサチャナライ旧都城の南3kmにサラチットがあり、農地からスコータイ王朝時代(13世紀~15世紀)の遺物が出土することはよく知られています。
今回はさらに5km南でヨム川沿い、サワンカロークのバン パー クム コーのサトウキビ畑を訪れました。
水田が多い地域ですが、スコータイ王朝時代の集落は洪水を避けるために丘陵地にあったようで、現在は水利が悪くサトウキビ畑となっています。
サトウキビ収穫後にトラクターで鋤入れされた畑でお宝探しです。
休んでいる人の金属探知機を借りてお宝を探してみます。
赤土と黒い土があり、黒い土の上を探せと教えてくれます。黒い土はスコータイ王朝時代以降に堆積した土のようです。
結構、金属反応をしますがお宝にはたどり着けません。ちなみに、金属探知機は3万バーツほどするそうです。
近くの人がリングを掘り当てました。青銅製で価値の有る物ではありませんが、皆さん気になるらしく集まってきます。
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掘り返された畝を少し歩くだけでたくさんの陶片が見つかります。スコータイ王朝時代に生産が始まった陶器の破片や中国から持ち込まれた磁器片です。
ただ、残念なことは耕作によるロータリーの爪で何度も叩かれ粉々になっていることです。特に磁器は薄いため小さく砕かれています。
日本なら鎌倉、室町時代の遺構跡で丁寧な発掘調査がされるのでしょう。
5、6m歩くだけで、地表に出ている大きな陶片がこれだけ集まりました。日常生活に使われたすり鉢の陶片が多いようです。小さな破片は至るところにありますが集めていません。
土の下にはまだたくさん埋まってそうです。
発掘人の1人が小さな象(全長 7.3cm、全高 5.5cm)をここで見つけたと持ってきました。彼はこの近くで金製指輪を3点も見つけたそうで、スマホの写真を見せてくれました。指輪の細工からアユタヤ王朝時代のものだと思われます。彼は3点を10万バーツで売りたいようだが、未だ買い手が見つからないそうです。
象の肖形は顔見知りとなった記念に彼の言い値の2/3で入手することにしました。小生の電話番号をしつこく聞いてきますが、お宝が出るたびに連絡されても困るので、何かあったら友人に連絡するように収めました。
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地表に出ていた陶片を持ち帰り、洗ってみました。
窯業開始初期の青磁鉄絵から青磁、鉄絵、白釉と全ての期間を通した陶片があります。
無釉のすり鉢の破片や壷の破片もたくさんありましたが、日常生活に使用した陶片で、身分の高い人の住居跡だったと思われます。
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技法毎に分類した写真です。
それぞれの陶片の破断面を撮してみました。どれも新しい破断面で、完品であればと惜しまれる陶片ばかりです。
象肖形です。尻尾に小さな打ち傷がありますが、耕作で上手に掘り起こされたようです。
ここから25km南にスコータイ都城とシーサチャナライ副都城の中継地、ムアン バーン クラン遺跡があります。昨日は暗くなってから訪れたので午前中に再訪することにします。
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翌朝友人宅を訪れると、バン パー クム コーの発掘人が3個所有していた金製指輪の一番出来が良い1点が彼の元に移動していました。
また、数日後に友人経由で発掘人から送られてきた写真です。