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仏陀が涅槃に入られた後8年目頃に、高弟プラ・マハー・カッサパによって仏陀の肋骨がプラタート・パノムに安置されました。最初の仏塔は煉瓦造りで高さ8mから12mの四方に開口部がある覆鉢型であっただろうといわれています。
何度か修復を重ねた仏塔ですが、何世紀もの経年劣化で1975年の数日間続いた激しい降雨の後で、仏舎利を納めた箱の上にある塔部が倒壊します。崩壊によって仏舎利と貴重な遺物が発見されました。
仏塔は1977年から再建が始まり、1979年に完成します。57mの威容の塔で、仏舎利と貴重な遺物は再び塔に安置されました。
プラタート・パノム奉納舞踊の始まりは、1979年の仏塔落慶を祝って舞われました。1987年からは灯明船流しの日に奉納されるようになりました。
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プー・タイ族はラオスからだんだんとメコン川に沿ったナコーン・パノム、カーラシン、ムクダ―ハーン、サコン・ナコーンへ移動してきました。ナコーン・パノム南部のナーケー、レーヌ・ナコーンは最大の居住地で、青無地に赤い縁取りの服装は伝統的な儀礼用の衣装です。女性は純白のパー・サバイ(肩掛け布)を着けます。
「ラム・プー・タイ」は雨乞い儀式のバン・ファイで雨をつかさどる神「パヤー・テーン」に捧げられるほか、重要な仏教式典でも舞われます。
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舞踊奉納祭は午前8時から催されていたようですが、プラタート・パノムに到着したのは午前9時50分でした。2時間も遅れてしまいました。そのため、メコン川に面したゲートから山門までの踊りながらの行進、山門前で1番目に舞われた「プラタート・パノム伝説の踊り」2番目の「ラム・シー・コタブーン」を観ることができず、「ラム・プー・タイ」の終了間際の到着になってしまいました。
「シー・コタブーン」は5世紀から6世紀にメコン川左岸からイサーン中部にかけて栄えたという王国です。
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