の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

アユタヤ世界遺産フェスティバル(3)

2015年03月13日 | アユタヤ
メイン会場に北接する「ワット・タミカラート」に来ました。
伝説ではアヨーティヤー王国のサーイ・ナムプン王(北方年代記では在位1027年~1056年)の王子タンミッカラートが王位(1056年~1107年)に就いてからワット・ムッカラートを建立したと言われています。
後に寺院の名前は建立者の名前に変更されました。
いずれにしてもアユタヤ王朝建国以前、もしくはアユタヤ王朝初期の建立で、王宮の隣に立地することからアユタヤ時代の重要寺院であったことが窺えます。
1767年のビルマ侵攻で王宮とともに激しく破壊され、以後放棄されますがラーマ5世の治世に再興されました。

ワット・タミカラートが歴史資料として初めて登場するのは、第18代国王チャクラパット(在位:1548年~1569年)が第16代国王シーシン(在位1548年)を反逆罪でワット・タミカラートに幽閉を命じたことです。
(「ウィキペディア」によるとシーシン王はクメール人ウォ-ラウォンサーによって毒殺された第14代国王チャイラーチャー(在位:1543年~1547年)、自身の殺害計画を事前に察知し処刑した第15第国王ヨートファー(在位:1547年~1548年)に替わって擁立されまれましたが、すぐにウォーラウォンサー自身が第17代国王として即位します。しかし、アユタヤ王家でない国王に不満を抱く高官ピレーンテープ(1569年、第20代国王として即位)たちに即位42日後に暗殺されます。)

門をくぐった左手に新しい礼拝堂があり、寝仏が安置されています。







仏足跡です。かかとの部分は割れてありません。

青銅製のウートーン様式の大仏頭です。発掘されたオリジナルはチャオ・サム・プラヤー国立博物館の入り口正面に安置されています。
頭髪の生え際の処理、つながった眉毛、角ばった顔つきはクメール様式の影響を受けているのが良く分かります。

仏塔の前の倚座像は1590年にビルマからの独立を回復したナレースワン大王です。
供えられた闘鶏はここでお祈りして宝くじが当たったり、商売で大金をつかんだ人がお礼参りしたものです。

仏塔の基壇は方形で、各面に13頭、合計52頭のクメール様式の漆喰製獅子像が支えます。
仏塔の調査の結果、仏塔内部にはアユタヤ時代初期に建築された相似形の小型仏塔があり、それを覆う形で現在の形に改築されているのが判明しています。











崩れた尖塔部が地面に落ちています。

煉瓦と漆喰で建設された長方形の「ソン・ターム礼拝堂」で前後に柱廊玄関を備えています。







アサヒカズラです。一般にピンク色の花を咲かせていますが、ここでは白色です。やはり、プアン・チョムプーと呼ぶのでしょうか・・・。

パパイヤの花です。

駐車場の立木部分は発掘されていないので、寺院壁でしょうか、積んだ煉瓦がそのままで、陶片が散乱しています。





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