アユタヤ世界遺産フェスティバルのメイン会場はワット・マハタートの西側になります。時代劇が開演される夕刻までまだ時間があり、アユタヤ観光では代表的なワット・マハタートにも立寄ります。
東向き寺院ですが、観光客が入れるのは南側にある小門からです。
「アユタヤ王朝年代記」によるとアユタヤ王朝第3代国王ボーロマラーチャーティラート1世(パグァ王)(在位:1370年~1388年)によって1374年に建設が始まり、次代ラーメースワン王(在位:1369年~1370年)の治世に寺院が完成したと言われています。
広大な境内にはたくさんの礼拝堂や仏堂、仏塔が残っていますが、クメール風仏塔はソムタム王の時代に崩壊、プラサート・トーン王によって修復されましたが、ラーマ5世の治世に再び崩れました。
ワット・マハータートは1767年のビルマ侵略で壊された仏塔が菩提樹に絡まれて、木の成長と共に持ち上がっているのが有名です。
以前は境内のあちこちに大きな仏頭が置かれていたのですが、現在は別の場所で保管されているようです。
礼拝堂の壁面は窓ではなく、明かりとりのスリットにしてあるのもこの寺院の特徴です。
崩壊した仏塔です。発掘調査で仏塔の地下17mに地下室があって仏舎利、黄金の仏像や装飾品が納められていまし。発掘された遺物はチャオ・サン・プラヤー国立博物館で展示、公開されています。
また、盗掘穴が地下10mまで掘ってあったそうですが、岩盤に突き当り掘るのを諦めたようです。
回廊の壁面に並ぶ仏像群です。基壇のうねりが激しく、基礎工事に問題かあったようです。
崩壊の激しい寺院ですが、ビルマ軍の略奪だけではないようです。
漆喰細工の残る仏塔もたくさん見られます。
闘鶏です。1569年、アユタヤは執拗に侵略を繰り返すビルマの軍門に下ってしまいます。
1574年、ナレースワンはビルマに対して独立を宣言、攻め寄せるビルマ軍をことごとく撃破します。
1590年から1605年まで第21代国王に就任、後にナレースワン大王と称されています。
大王が好んだのが闘鶏です。
現在も闘鶏が盛んですが、これは博打好きのタイ人の性でしょう。
嘴と研ぎ澄まされた爪で一瞬の内に攻撃が加えられます。
時代劇のチケット発売は午後5時からです。出直すことにします。
東向き寺院ですが、観光客が入れるのは南側にある小門からです。
「アユタヤ王朝年代記」によるとアユタヤ王朝第3代国王ボーロマラーチャーティラート1世(パグァ王)(在位:1370年~1388年)によって1374年に建設が始まり、次代ラーメースワン王(在位:1369年~1370年)の治世に寺院が完成したと言われています。
広大な境内にはたくさんの礼拝堂や仏堂、仏塔が残っていますが、クメール風仏塔はソムタム王の時代に崩壊、プラサート・トーン王によって修復されましたが、ラーマ5世の治世に再び崩れました。
ワット・マハータートは1767年のビルマ侵略で壊された仏塔が菩提樹に絡まれて、木の成長と共に持ち上がっているのが有名です。
以前は境内のあちこちに大きな仏頭が置かれていたのですが、現在は別の場所で保管されているようです。
礼拝堂の壁面は窓ではなく、明かりとりのスリットにしてあるのもこの寺院の特徴です。
崩壊した仏塔です。発掘調査で仏塔の地下17mに地下室があって仏舎利、黄金の仏像や装飾品が納められていまし。発掘された遺物はチャオ・サン・プラヤー国立博物館で展示、公開されています。
また、盗掘穴が地下10mまで掘ってあったそうですが、岩盤に突き当り掘るのを諦めたようです。
回廊の壁面に並ぶ仏像群です。基壇のうねりが激しく、基礎工事に問題かあったようです。
崩壊の激しい寺院ですが、ビルマ軍の略奪だけではないようです。
漆喰細工の残る仏塔もたくさん見られます。
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闘鶏です。1569年、アユタヤは執拗に侵略を繰り返すビルマの軍門に下ってしまいます。
1574年、ナレースワンはビルマに対して独立を宣言、攻め寄せるビルマ軍をことごとく撃破します。
1590年から1605年まで第21代国王に就任、後にナレースワン大王と称されています。
大王が好んだのが闘鶏です。
現在も闘鶏が盛んですが、これは博打好きのタイ人の性でしょう。
嘴と研ぎ澄まされた爪で一瞬の内に攻撃が加えられます。
時代劇のチケット発売は午後5時からです。出直すことにします。
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