帰路は第一回廊大塔門から西参道に出ます。
大塔門十字テラスから西参道の北側に下りて撮影です。
再び西参道に上ってきました。
次に西参道を南側へ降り、参道下を西塔門へ歩きます。およそ500mです。
アンコール・ワットは神殿内の石組や彫刻も秀逸ですが、須弥山を模した威容を誇る外観が素晴らしいです。王の偉大さを誇示すために領民と時間を注ぎ込んだ遺構です。
石材は45km離れたプノン・クレーン山の石切り場から、牛や象、筏で運ばれました。運搬に15,000人、石工3,000人、建築仕上げに1,000人、彫工1,500人、補助作業を加えて毎日25,000人が建築に携わり30年以上かかったと見積もられています。
当時のアンコール周辺は50万人以上の人口を抱かえた世界屈指の大都市でした。
建設された貯水池(バライ)や灌漑用水は、大都市に供給する食糧生産を十分にまかなうことができました。
右の建物は南経蔵です。
西参道の基壇部に施された彫刻が延々と続きます。
西塔門に安置されている神像です。
西参道入り口へ戻って来ました。
次に1km北にあるプノン・バケン山頂へアンコールの
夕陽を見に行きます。
大塔門十字テラスから西参道の北側に下りて撮影です。
再び西参道に上ってきました。
次に西参道を南側へ降り、参道下を西塔門へ歩きます。およそ500mです。
アンコール・ワットは神殿内の石組や彫刻も秀逸ですが、須弥山を模した威容を誇る外観が素晴らしいです。王の偉大さを誇示すために領民と時間を注ぎ込んだ遺構です。
石材は45km離れたプノン・クレーン山の石切り場から、牛や象、筏で運ばれました。運搬に15,000人、石工3,000人、建築仕上げに1,000人、彫工1,500人、補助作業を加えて毎日25,000人が建築に携わり30年以上かかったと見積もられています。
当時のアンコール周辺は50万人以上の人口を抱かえた世界屈指の大都市でした。
建設された貯水池(バライ)や灌漑用水は、大都市に供給する食糧生産を十分にまかなうことができました。
右の建物は南経蔵です。
西参道の基壇部に施された彫刻が延々と続きます。
西塔門に安置されている神像です。
西参道入り口へ戻って来ました。
次に1km北にあるプノン・バケン山頂へアンコールの
夕陽を見に行きます。
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