中央祠堂などの重要伽藍が立ち並ぶ第一回廊の内側へ進みます。門柱に彫られたドヴァラパーラ像(門衛)です。
日本では仏教の守護神で仁王さんです。寺院内に仏敵が入り込むのを防ぐため、山門に筋骨隆々として怒りの表情で立っていますが、この仁王さんは優しい顔で、口元に笑みを浮かべています。
破風はラーマーヤナでしょうか・・・。破損部が多すぎてよく分かりません。
中央祠堂です。碑文では父王ダラニンドラヴァルマン2世を模した観世音菩薩像が建立時に祀られていました。
ダラニンドラヴァルマン2世はクメール王国を統治した痕跡はなく、王統系譜で認められていません。クメール統治下の地方領主だろうといわれています。
第21代国王ジャヤヴァルマン7世の次にヒンドゥー教を信奉する第22代国王インドラヴァルマン2世(在位:1220年頃~1243年)、第23代国王ジャヤヴァルマン8世(在位:1243年~1295年)の治世は廃仏運動による、仏教受難の時代でした。
しかし、第24代国王シュリンドラヴァルマン1世(在位:1295年~1307年)は上座仏教を国教とします。
廃仏政策で廃棄された観世音菩薩像に代わって仏塔が安置されたのはシュリンドラヴァルマン1世の治世ではないかと考えられています。
祠堂の壁面に小穴が開いていますが、宝石が埋め込まれていたのではないかと言われています。
祠堂内を覆ていた銅板を留めた跡とも言われています。
台座だけ残っています。
祠堂の壁面はバラモンです。
壁面に彩色された神像の薄彫りが残っています。
第3周壁、西楼門へ出てきました。
破風の彫刻はラーマーヤナです。
左側のドヴァラバーラ像です。
右側のドヴァラバーラ像です。
参道の物売りも帰宅します。
バナナ売りの少女です。
外周壁の西楼門まで来ました。
外周壁西塔楼門の両側にも巨大ガルーダです。
環濠には、ナーガを引く神々と阿修羅の欄干が架かります。
環濠を過ぎると参道にはヒンドゥー様式のリンガを模した石柱が並びます。ただし、彫像は下部にシンハ、上部には仏像が彫られていたようです。全ての石柱から仏像が削り取られています。
日本では仏教の守護神で仁王さんです。寺院内に仏敵が入り込むのを防ぐため、山門に筋骨隆々として怒りの表情で立っていますが、この仁王さんは優しい顔で、口元に笑みを浮かべています。
破風はラーマーヤナでしょうか・・・。破損部が多すぎてよく分かりません。
中央祠堂です。碑文では父王ダラニンドラヴァルマン2世を模した観世音菩薩像が建立時に祀られていました。
ダラニンドラヴァルマン2世はクメール王国を統治した痕跡はなく、王統系譜で認められていません。クメール統治下の地方領主だろうといわれています。
第21代国王ジャヤヴァルマン7世の次にヒンドゥー教を信奉する第22代国王インドラヴァルマン2世(在位:1220年頃~1243年)、第23代国王ジャヤヴァルマン8世(在位:1243年~1295年)の治世は廃仏運動による、仏教受難の時代でした。
しかし、第24代国王シュリンドラヴァルマン1世(在位:1295年~1307年)は上座仏教を国教とします。
廃仏政策で廃棄された観世音菩薩像に代わって仏塔が安置されたのはシュリンドラヴァルマン1世の治世ではないかと考えられています。
祠堂の壁面に小穴が開いていますが、宝石が埋め込まれていたのではないかと言われています。
祠堂内を覆ていた銅板を留めた跡とも言われています。
台座だけ残っています。
祠堂の壁面はバラモンです。
壁面に彩色された神像の薄彫りが残っています。
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第3周壁、西楼門へ出てきました。
破風の彫刻はラーマーヤナです。
左側のドヴァラバーラ像です。
右側のドヴァラバーラ像です。
参道の物売りも帰宅します。
バナナ売りの少女です。
外周壁の西楼門まで来ました。
外周壁西塔楼門の両側にも巨大ガルーダです。
環濠には、ナーガを引く神々と阿修羅の欄干が架かります。
環濠を過ぎると参道にはヒンドゥー様式のリンガを模した石柱が並びます。ただし、彫像は下部にシンハ、上部には仏像が彫られていたようです。全ての石柱から仏像が削り取られています。
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