プリヤ・カーンは「聖なる剣」を意味する、創建時の名前で呼ばれる数少ない寺院の一つです。
環濠と東西800m、南北700mの外周壁を含む4周壁の壮大な寺院です。
東向き寺院の塔楼門の左右に砂岩の巨大なガルーダの彫刻が嵌められています。
1191年、ジャヤヴァルマン7世によってチャンパ軍との激戦跡地に、戦勝記念と父王ダラニンドラヴァルマン2世の菩提を弔うために大乗仏教寺院として建立されました。
ガルーダの上の壁龕や塀の屋根飾りの彫刻が削られていますが、ジャヤヴァルマン7世の没後にヒンドゥーに改宗した国王は、全ての寺院から仏教的要素を排除しています。
日本語の解説板がありました。
東参道を環濠まで来ました。土産物売りの女性が待ち構えています。
環濠を渡る橋には、アンコール・トムと同じナーガを引く神々と阿修羅の欄干です。
頭のなくなった像が多いです。
東楼門です。
まだ、塔頂の四面観音菩薩像はまだ見られません。
冒頭のガルーダです。門の左右に嵌められています。
楼門周りは砂岩で構成されています。偽窓の連子格子は下部だけです。
彫るのを途中で止めたのでしょうか、窓回りの装飾に対して物足りないように思います。
プリヤ・カーンも女神像がいたる所に彫られています。中央祠堂近くには、崩れた石材の瓦礫を乗り越えて、地元の人が参拝に訪れるという女神像があるそうです。
楼門をくぐる前に、来た道を振り返ります。
門内から見る楼門です。
環濠と東西800m、南北700mの外周壁を含む4周壁の壮大な寺院です。
東向き寺院の塔楼門の左右に砂岩の巨大なガルーダの彫刻が嵌められています。
1191年、ジャヤヴァルマン7世によってチャンパ軍との激戦跡地に、戦勝記念と父王ダラニンドラヴァルマン2世の菩提を弔うために大乗仏教寺院として建立されました。
ガルーダの上の壁龕や塀の屋根飾りの彫刻が削られていますが、ジャヤヴァルマン7世の没後にヒンドゥーに改宗した国王は、全ての寺院から仏教的要素を排除しています。
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日本語の解説板がありました。
東参道を環濠まで来ました。土産物売りの女性が待ち構えています。
環濠を渡る橋には、アンコール・トムと同じナーガを引く神々と阿修羅の欄干です。
頭のなくなった像が多いです。
東楼門です。
まだ、塔頂の四面観音菩薩像はまだ見られません。
冒頭のガルーダです。門の左右に嵌められています。
楼門周りは砂岩で構成されています。偽窓の連子格子は下部だけです。
彫るのを途中で止めたのでしょうか、窓回りの装飾に対して物足りないように思います。
プリヤ・カーンも女神像がいたる所に彫られています。中央祠堂近くには、崩れた石材の瓦礫を乗り越えて、地元の人が参拝に訪れるという女神像があるそうです。
楼門をくぐる前に、来た道を振り返ります。
門内から見る楼門です。