の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ナーンの第2日目 (3)

2013年10月22日 | ナーン
■ナーンの第2日目の続きです。午前9時25分にナーン国立博物館に入館、出てきたのが10時50分でした。美術館、博物館の鑑賞は非常疲れます。
次に南隣りの「ワット・プーミン」へ行くのですが、その前に斜向かいのナーン観光案内所の敷地内にあるコーヒーショップで休憩です。



県が運営している観光案内所です。ナーンの観光地図を入手しました。

案内書の職員が不在で、隣で土産物を売っている女性が相手をしてくれました。



冷たいコーヒーを飲みながら、午後の観光を検討します。



ナーン市街地図です。小さな町でゆっくりと移動することができます。

とりあえずは「ワット・プーミン」です。寺院北東から眺めます。寺院の概要は既に紹介しましたので、今回は写真だけです。

北側から眺めます。



北側に伸び出ているナーガです。



南側から眺めます。



東側の門です。東西門はいつも閉まっています。

東西南北を向いたの四面仏です。後背に仏塔が建っています。






■「ワット・プーミン」は壁画も有名です。次回は壁画を紹介します。


ナーンの第2日目 (2)

2013年10月21日 | 博物館
■次に向かったのは、「ワット・プラタート・チャーン・カム」の西側道路向かいにある「ナーン国立博物館」です。
建物は1932年、ナーン最後の封建君主「プラチャオ・スリヤポーン・パリットデット」時代に市役所として建設されました。1974年、博物館として自然光の採光、通風をよくするために全ての壁面に窓を設けるなどの改修が行われました。
博物館は二階建てで、一階はナーンに居住する民族の衣装、織物、生活用品等を展示、二階はナーンで発掘された先史時代の遺物、ボースアックの陶器、仏像、磚仏などが展示されています。

入場券です。採用されている写真は、ナーンの神聖な宝物とされる黒象牙をガルーダが支えています。黒象牙は左の牙で長さ94cm、周長47cm、重さ18kgあります。ナーン王国第5代目国王カーンムアン(在位1353年から1363年)時代にビルマのチェントゥンからもたらされ、ナーン王家が継承してきました。今は博物館の特別室のガラス張りの中で展示されています。





博物館の玄関です。

■1階展示室からです。











漁具です。

タイ・ルー族の衣装です。ワットプーミンの壁画の女性が同じような意匠を纏っています。





どこの寺院でも見かけた紙飾りです。説明ではソンクラーン第3日目に寺院に詣で仏陀に水を灌ぎ、砂で仏塔を造り、紙幣を挿すようです。

■2階へ上がってきました。

2階のテラスから「ワット・プラタート・チャーン・ロム」を眺める。

2階入り口の左右壁面に掲げられている武器です。

2階の第一室はナーン様式の仏像と国王の肖像画が掲げられています。

館長が研修の女子大生にタイの美術様式につて説明しているのですが、彼女たちはあまり理解していないようで、がっかりした様子でした。

■ナーンの美術様式は大きく四期に区分されています。
・第一期は14世紀中頃から1450年までのスコータイ王朝との関係から美術様式もスコータイの影響を受けました。
・第二期は1450年から1558年までのラーンナーのティローカラート王の覇権下で美術様式もラーンナー様式が流入、既存のスコータイ様式と融合した美術様式できました。
・第三期は1558年から1786年のビルマ占領下の時代でアユタヤ、ラーンチャーンそしてビルマの美術影響を受けています。
・第四期は1786年から20世紀に至るまでのラッタナコシーン朝下で独自の地方色を帯びた美術様式を確立、豊富なチーク材を用いた木造仏が造られました。

1509年に鋳造された、スコータイとラーンナーの様式が融合した第二期ナーン様式の仏像です。

15世紀の第三期ナーン様式の仏像で、ワット・ター・ロー(プー・ピアン)からもたらされました。

16世紀のナーン様式の青銅仏です。ナーン川東岸のプー・ピアンのワット・ター・ロで発見されました。

16世紀のラーンナー様式の仏像です。

17世紀初期の青銅物で、第三期ナーン様式でスコータイ、ラーンナー双方から影響を受けた様式のワット・プラタート・チャーン・カムの仏像です。

ワット・ドン・チャイ(ウィアン・サー)の仏像です。

1813年作と説明されています。第四期ナーン様式です。

18世紀から19世紀の北タイ様式の青銅仏です。

19世紀後半の第四期ナーン様式の仏像です。
ワット・プラタート・チェーン・ヘーン(プー・ピアン)

19世紀、第四期ナーン様式の仏像です。ワット・チャナ・パイリー(ター・ワン・パー)

19世紀、第四期ナーン様式、ワット・チャナ・パイリー(ター・ワン・パー)の仏立像です・

19世紀から20世紀の北タイ様式の石造仏です。

19世紀から20世紀の北タイ様式の木造仏です。

19世紀から20世紀の北タイ様式の木造仏です。

19世紀から20世紀の北タイ様式の木造仏です。ラオスとも類似しています。

20世紀初期の第四期ナーン様式の仏像です。
ワット・ターロー(プー・ピアン)

19世紀、ラタナコシーン様式の仏像です。

ボー・スアックの展示室です。

匣を積み重ねた最上段の蓋です。窯印が押されています。











白釉の鉢は匣で焼かれました。

笑顔の素敵な受付の女性でした。





ナーンの第2日目 (1)

2013年10月17日 | ナーン

■ナーンの2日目です。
ナーンはバンコクから668kmにあって、四方を高い山に幾重にも囲まれた小さな町です。
13世紀にはナーンの北60kmのムアン・プアにカーオ王国が成立。一時パヤオ王国のガムムアン王に占領されますが、パーノーン王が領土を奪回、1323年に即位してナーンに遷都しました。
世襲した息子のカーンムアン王は1354年にスコータイのワット・ルアン・アパイ(マンゴー寺)の建立に貢献し、スコータイ王リタイから七つの仏舎利と金銀の仏像を授かりました。
カーンムアン王は仏舎利をプーピエンに安置、ウィエン・プーピエンの建設を行いました。
1363年王位についたパーコーン王は、ウィエン・プーピエンが大干ばつにみまわれたため、1368年ナーン川対岸に遷都、これが現在のナーンです。
1397年、シーチャンタ王の治世にプレーの軍が急襲、王位を簒奪されるが、翌1398年チャリエンに逃れた王の弟フンが攻略、元の王家に王位が戻ります。
1450年頃、ラーンナーのティローカラート王がナーンを攻略、ケーンターオ王はチャリエンに逃げ去り同一王家によるカーオ王国は終わり、以後ラーンナーの覇権下にはいりました。
ラーンナーに征服されるまではスコータイの文化影響の強かったが、以降ラーンナー様式を積極的に取り入れることになります。
1558年、ラーンナーがビルマのタウングー王朝の覇権下に入ると、1560年、ナーンもタウングー王朝の主要都市として以後約200年間占領されました。
1726年、ビルマのコンバウン王朝はチェンマイ出身ノティンマハーウォンを国主として任命、ビルマ、タイの干渉を受けながら1931年まで国主の世襲は続きました。1891年にはパークナム事件によって領地の大部分をタイ政府はフランスに割譲しました。1931年にタイ政府はナーンの国主を廃止、ナーン県となります。


午前8時50分、ホテルからの道順に従ってまず「ワット・プラタート・チャーン・カム」に参拝です。
1406年に建立されスコータイの影響下にあった、スコータイ様式の仏塔です。




境内の隅に煉瓦と漆喰装飾の切妻屋根の小さな祠堂があります。「クゥ・ワット・プラタート・チャ-ン・カム」と呼ばれています。









礼拝堂です。










■2台のカメラを携えてきました。キャノンEOS50D、富士フィルムX-E1です。
動く被写体の撮影をするためEOS50Dを選んだのですが、3本のレンズ、本体とも故障が多く、毎年修理に出しています。修理の繰り返しも限界だし、新機種はバッテリー、メモリーの互換性もなくなったために一度別メーカー品を使おうと、今年になってX-E1を購入しました。
ミラーレスも性能が向上しただろうという安易な考えだったのですが、動くものの撮影や、少し暗くなるとピントがなかなか合わないという問題は解消されていませんでした。良かったのは露出補正が容易にできることです。しかし、特に問題なのが室内撮影の発色です。礼拝堂の仏像をX-E1で撮影したのですが、黄金に輝く仏像がくすんでしまいました。特にワット・プーミンの壁画の発色は見るも無残な結果となりました。
やはり、EOS50Dを使った方が良いという結論で、2本のレンズを修理に出し、1本は廃却、代わりにタムロンのレンズを新規購入して撮影することにしました。本体上面モニター表示の一部が消えたままですが、基本機能には差支えがないのでそのまま使用します。
X-E1は引き出しの中です。ちなみに、30D、SX20ISも引き出しの中です。

145cmで金の含有率65%といわれる、立仏像が安置されている礼拝堂です。修復のため、扉が閉まっていて参拝出来まませんでした。

朝の清掃が終わりアイスクリーム売りに群がっているネン(小僧さん)です。奥にはまだゴミを片付けているネンもいます。




ナーンへ (2)

2013年10月16日 | ナーン
■午後4時30分、ホテルの部屋に荷物を置いてすぐに出かけます。市街の西、「ドイ・カオ・ノーイ」山頂にある「ワット・プラタート・カオ・ノーイ」から夕暮れのナーン市街を望むためです。

寺院は1487年、ナーン国主「パヤ・プー・ケーン」の第二夫人によってラーンナー様式とビルマ様式の融合した仏塔が建立されました。1906年から1911年までナーンを統治した、最後の封建君主「プラチャオ・スリヤポーン・パリットデット(スリヤ国主)」の治世にビルマ職人によって大修理されました。

「ワット・プラタート・カオ・ノーイ」には高さ9mの遊行仏「プラ・プッタ・マハ・ウドム・モンコーン・ナンタブリ・シー・ナーン」が蓮華の上に立ってナーン市街を見守っています。





ラーンナー様式とビルマ様式を折衷した仏塔です。

礼拝堂には大理石のビルマの仏像が安置されています。



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■午後6時、「ワット・プラタート・チャーン・カム」を通りかかった時に、夕陽がきれいだったので境内に入り写真撮影です。

「ワット・プラタート・チャーン・カム」は「ワット・プーミン」の北にある幹線道路の交差点の対角にあります。また、道路を挟んだ向かいは「ナーン国立博物館」です。
寺院の歴史はは1406年、「チャオプー・ケーン」の統治時代まで遡ります。1548年、「プヤ・ポンラテープ・ルーチャイ」の統治時代に礼拝堂の修復が行われたことが、寺院内で発見された石碑に書かれています。
仏塔はスコータイ様式の影響を受け、スリランカ様式の釣鐘状の塔の基壇を24頭の象が支えています。スコータイの「ワット・チャーン・ロム」と類似した仏塔です。
礼拝堂には14世紀に造られた、高さ145cmで金の含有率65%の青銅仏「プラ・プッタ・ナーンタブリ・シー・シャカヤムニ」が安置されています。





各面5頭と四隅で象が支える、スコータイの影響を受けた仏塔です。象は煉瓦で基礎を造り、漆喰で仕上げられています。

陽が雲間に隠れます。明日、ゆっくりと参拝に来ます。

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■午後6時12分、ホテルへ戻り再び食事に出掛けます。
隣の木造3階建のホテルが気に入り、また写真撮影しました。

ホテルの道を隔てた小道を入ると市が催されています。

夕食を買い求めてやってくる人でいっぱいです。

30分余りホテル周辺を散策しましたが、食事は結局ホテルですることにしました。


ナーンへ (1)

2013年10月15日 | ナーン
■「ワット・プラタート・チョー・ヘー」の参拝を終え午後1時30分です。ナーンへ向けて出発です。
ナーンまでは国道101号線で約120km(寄り道などで150kmを実走行)です。
プレー市街を抜けて暫く行くと国道101号線は旧街道と2本の道路に分かれます。旧街道のノック・ノーイの町にうまいと評判の「メー・ライ」というカオ・ソーイ屋さんがあります。国道101号線を通過するときは必ず寄り道をして食べていきます。





「カオ・ソーイ」です。揚げ麺と湯掻いた麺をカレー出汁でいただきます。好みによって赤玉ねぎ、漬物、ライムを入れます。2杯食べて60バーツ、腹ごしらえも出来て一路ナーンを目指して山越えです。

国道103号線とのロン・クワン交差点です。左折をすると100kmでパヤオです。ナーンは国道101号線を直進であと80kmほどとなります。



■午後3時30分、ナーンの市街に入りました。まず市内のほぼ中央にある「ワット・プーミン」へ行きます。
ナーン年代記によると「ワット・プーミン」は、ナーンを統治していたプローミン王によって1596年から6年の歳月を要して建立されました。当初は「ワット・プローミン」と呼ばれていましたが、後に現在の名前に変わりました。300年後の1867年、アナンタ・ウォラリットデート王によって7年がかりの大修復がありました。ワット・プーミンは四面仏を祀った十字形をした寺院建築で東西方向は礼拝堂、南北方向を本堂とし、背中合わせの四面仏は仏塔が背後に建っています。また、北面の入り口のナーガは祠堂を貫くように南面へ尾を出した意匠になっています。
祠堂内の壁面には修復時に描かれた壁画があり、上段にジャータカ、下段には当時のナーンの生活様式が描写されています。

今回ナーンへ来た第一の目的は「ワット・プーミン」の境内にある小さな郷土博物館に展示されている「ボー・スアック」の陶器を見ることでした。

ワット・プーミンです。

北側のナーガです。胴体は祠堂壁に突き刺さっています。

こちらは、祠堂南面で尻尾が壁面から突抜けています。

寺院の南側に建っている「プーン・バーン博物館」です。郷土博物館という意味です。

展示品は13世紀から17世紀に地元、ナーンで焼成された古陶器とその時代の周辺国の窯で焼かれた陶磁器です。

窯址からの発掘品が主です。



館内はお土産品売り場もあって、寺院の壁画を題材にしたものや、かってワット・プーミンが紙幣の模様に採用されたことがあって、その紙幣のコピーが売られています。


博物館の横では、ワット・プーミンの本堂内に描かれている壁画を模写して売っています。

参拝記念に古チーク材に描かれた壁画の「誘い」を購入しました。絵を持っている男性が描いています。

ナーンのガイドブックにもよく採用される壁画です。

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■明日改めてゆっくりと出直すこととし、4時過ぎにホテルを探しに出発します。

「テワラート・ホテル」にチェックインします。一泊、朝食付きで800バーツです。二泊します。

「テワラート・ホテル」に隣接して「プーカー・ナーンファ・ホテル」という木造3階建ての感じの良いホテルがあったのですが、駐車場が見当たらず「テワラート・ホテル」にしました。ちなみに、「プーカー・ナーンファ・ホテル」は一泊2300バーツとのことでした。