の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

プレーの寺院巡り 第2日目 (3)

2013年10月14日 | プレー
■「ワット・プラバット・ミン・ムアン」の表を通りかかったので、もう一度プレーが誇る「プラプッタ・コーサイ(仏)」にお参りをしていきます。

本堂横ではソンクラーンのかたずけをしていました。







本堂では僧侶が食事中でした。

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■「ウォンブリー・ハウス」1907年から3年の歳月をかけて「チャオ・ポーム(ルアン・ポーン・ピブーン)」と国主ピリヤチャイ・テパウォンの最初の妻であった「チャオ・スナンタ・ウォンブリー」によって、広東から来た中国職人を雇って建築したピンク色の洋館です。訪問時はたくさんの人が集まり、パーティー開催中で入館できませんでした。
建物は煉瓦とセメントで1mかさ上げし、地元のチーク材を用いた2階建で、屋根は天井を設けて空気の循環を良くした構造となっています。館内には一族が継承してきた日用品や古文書が展示されているそうです。









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■「ワット・プラタート・チョー・ヘー」プレー市街の南東にあって、国道1022号線を約9km行った低い丘の上に建っています。
プレー王国がスコータイ王国の覇権下にあった、1336年から1338年にスコータイの副王リタイによって創建された言われています。




タイでは生まれ年の干支の仏塔に詣でるという信仰があって、タイ北部を中心に干支にちなんだ仏塔があります
「ワット・プラタート・チョー・ヘー」寅年生まれの人が詣でる仏塔です。それとの関係は分かりませんが山門の両脇は虎が守っています。



ビルマ様式の仏塔が回廊の外に建っています。



1922年、タイヤイ族によって奉納された仏像で、大変ご利益のある仏様だそうです。

下辺11m、全高33mのチェンセン様式の仏塔です。
お経を唱えながら仏塔を三周回ると、仏による守護力が強まり、より良い人生がおくれます。

仏塔は黄銅板で覆われ、漆を用いて金箔が貼られています。





タイには生まれた曜日仏像にお参りするという信仰もあります。曜日毎に仏像の様式が異なっていて、この仏様は日曜日です。
たいていの寺院には七曜日の仏像が祀られています。

「ルワンポー・チョーヘー」と呼ばれるチェンセーン様式の仏像で900年以上の歴史を持つと言われています。







こちらの階段は「マカラ」の口から生まれる「パヤナー」です。

丘の下の売店では地元の産物が売られています。プレーは藍の産地で、藍染製品が安い価格で並んでいます。野良着を一着購入しました。

銀細工の産地でもあります。

プレーの寺院巡り 第2日目 (2)

2013年10月11日 | プレー
■「ワット・サ・ボー・ケーオ」ビルマ様式の寺院でビルマ人が、1894年に建立された「ワット・チョム・サワン」と同時期に建立し、当初は「ワット・チョン・クラン」と呼ばれていました。この寺院はビルマ僧が経典を学ぶためにやって来ます。
大理石の仏像はマンダレーからもたらされ、ビルマ人が住職をしています。























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■「ワット・チョム・サワン」、旧市街の外にあるビルマ様式の寺院で1894年の建立です。
山門を入った左手に古びた仏塔が建っています。1902年のギャオ(タイヤイ)の反乱で廃墟となりましたが、後にタイヤイ族によって再興されました。











仏塔の龕に祀られているビルマ様式の仏像です。供えられた線香を見ると、参拝の人は多いようです。



総チーク造りの本堂です。

「ルアンポー・サン」と呼ばれる仏陀は竹を編んで黒漆で造形し金張りをしたものです。

天井が高く、板の間に座るとひんやりとし心が休まります。





本堂入り口の柱に下に置かれていた水です。
蓮の花を浮かべたのは良く目にしますが、この寺院ではリーラー・ワディー(プルメリア)が浮かべてあります。

■ギャオの反乱(ジョン・ギャオ・ムー・ペー)
ラーマ5世統治下の1902年7月24日、中央政府から派遣されたプラヤ・チャイヤブーン知事(1897年~1902年)の行政に対してギャオ(タイヤイ)族4、50人が反乱、警察署を急襲、武器を奪い通信施設を破壊、刑務所の囚人を解放、武器を渡して300名の勢力になり、翌25日にはプレーを制圧しました。
行政組織を襲撃、知事、副知事、財政官、検察官、裁判官等の駐在中の中部タイ人を大量殺害しました。制圧後のプレー統治には、ギャオの反乱部隊に食料、武器、弾薬、軍資金や兵員の支援をしたとみられる国主ピリヤチャイ・テパウォンを擁立しました。
中央政府は近隣都市から鎮圧軍を出動、8月11日ギャオ反乱軍は抵抗しきれずに敗走しました。
8月20日、政府軍はプレー入城し、事件を平定し協力者を処刑しました。
プレーの一般住民や国主の家族は断罪はされませんでした。
国主はルアンパバーンに逃亡、タイに戻ることはありませんでした。

緑色の洋館、ムアン・プレー博物館は国主ピリヤチャイ・テパウォンの住宅で前庭には銅像が建ってあり、「仏教に帰依し、プレーで善政を布き、学校設立、地方経済の発展に寄与した・・・。」と国主ピリヤチャイ・テパウォンを称える石碑があります。
事件をみると、旧体制の都市国家から中央集権国家に移行して、中央政府が官僚組織を派遣、実権を奪われた国主がギャオ族を使い反乱を企てたようにもみえますが、反乱後の防衛などの計画もなく単純犯罪のようにもみえます。では、中央から派遣された知事の悪政に対する反乱かと思えば、事件後に死亡したプラヤ・チャイヤブーン知事は、国王ラーマ5世から特別昇進を賜り、現在市内には銅像も建ってあります。結局ギャオ族に全ての責任を転嫁して解決した事件なのか良く分からない事件です。


プレーの寺院巡り 第2日目 (1)

2013年10月09日 | プレー
■プレー2日目です。「クム・チャオ・ルアン・ムアン・プレー」(ムアン・プレー博物館)に来ました。1892年建築のプレー最後の国主ピリヤチャイ・テーパッウォン(在位1889年から1902年)の住居跡が博物館として無料公開されています。
72の窓と扉があって明るく、風通しがよくて非常に居心地の良い建物です。柱にはビルマ産のローズチークが用いられ、窓や明かりとりには精緻な彫刻が施されています。






正面は国主夫妻の肖像です。









夏休み中のボランティアでしょうか、学生が館内の清掃をしています。



















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移動中に「TAT」(タイ国政府観光庁)の建物がありました。プレー、ナーンのガイドブック、地図をもらいに寄ります。
この建物は、開館準備中で未だ業務をしていません。旧館の場所を説明されて移動です。

こちらが現在業務中の「TAT」です。「TAT」は全国に35カ所の事務所があって、管轄区域の観光案内をしています。地方に行ったときはまず一番に訪ねて、ガイドブック、観光地図を入手します。ホテル紹介もしてくれますし、ほとんどの事務所は職員がたいへん親切です。



プレーの寺院巡り (3)

2013年10月08日 | プレー
■水掛け祭りのパレードはまだまだ続いていますが、次の寺院へ参拝に行きます。「ワット・プラ・ノーン」です。一番初めに参拝した「ワット・ルワン」の道路一筋東で100mほどの距離です。午後4時になっています。今日の最後の訪問とします。

「ワット・プラ・ノーン」の山門です。

礼拝堂に入ろうとすると僧侶が出てきて、この寺の縁起を説明するからついてこいということで・・・。

山門を入ったところが回廊になっていて、寺院縁起やプレーの風俗が描かれた壁があります。村人が森の中でマンゴーの木に埋もれていた寝仏を発見、寝仏を祀るため寺院を建立した。というような説明がありました。

この壁画はタイ北部のローイカトーンを描いています。





右の礼拝堂に寝仏が安置されています。





寺院の名前にもなっている寝仏です。全長9mあります。











お寺の前の通りです。



今日のホテルを探しに行きます。

「ナコーン・プレー・タワー・ホテル」市内では一番の高級ホテルです。一泊、朝食付きで650バーツでした。

ロビーにはソンクラーンの仏様が置かれています。とりあえずは旅の安全を祈って、水を灌いでいきます。

ホテルの部屋から見る風景です。

午後5時を過ぎました。表通りは水掛けを終え帰る車で渋滞です。見ているとほとんど動いていません。でも水の掛け合いはやっています。

泊まった部屋からの夕焼けです。旧市街の方向です。



午後7時30分、通行する車も少なくなった、ホテルの前ではまだ踊っています。


プレーの水掛け祭り

2013年10月07日 | プレー
■「ワット・プラバット・ミン・ムアン」はプレー市街では一番大きな寺院で、旧市街のほぼ中央にあって、周りは役所が集中しています。ソンクラーンパレードはこの先少し行った交差点がロータリーとなって、そこが終点のようです。
 
寺院の山門です。見物に人がたくさんいます。パレードの車上で踊っている人も見えます。

表に出てみました。どれくらい歩いてきたのか分かりませんが、まだまだ元気です。

水掛け祭りの必要アイテムは水鉄砲、バケツですがもう一つ重要なものがあります。水に溶いた白いパウダーです。水掛けと共に白いパウダーを顔に塗りつけます。この女性も塗られています。



男性が白いパウダーを塗りに出てきました。









「ワット・プラバット・ミン・ムアン」の僧侶も聖水をかけています。

強烈な噴水に見舞われているあたりがロータリーになっていて、パレードの終点です。

パレードを終えた人たちが戻ってきます。



若い女性にも容赦ありません。皆びしょ濡れです。

こちらは水を入れたバケツを持ってパレードを待っています。

パレードはまだまだ続きます。











中年の女性は疲れが出てきているようです。





最後に、完全防水です。でも、これはダメでしょう。せっかくのきれいな女性がよく見えません。潔く濡れてください。

こんな女性(?)もいました。